| 崩壊はなんてあっけない。 いつからか、貴方は。 あたしにも、兄にすら。 心を閉ざし、冷たい言葉。 廊下で赤い髪の青年とすれ違った。 貴方が王になってから、もう何年も経った日の事。 「…あ、貴方…。ロードソーサレス…の」 あたしの声に振り返った。 何処か思い詰めた瞳の国王直属ロードソーサレス。 カノン=サルトス。 「……ユーディン政務官」 「……どうかしたの?」 そう訊いたあたしを見ずに彼の視線は遠くを見ていた。 それは多分、さっきまで彼が居た、貴方の部屋。 「………政務官に…好きな方はいますか?」 「…………好きと言っても様々だけど。まあ…」 「…なら家族と愛する人と、どちらを選びますか」 「……え?」 「………すいません。おかしな事を訊きました。失礼します」 「あ、カノ…」 立ち去る彼を、引き止める事はしなかった。 程なくして、彼がミラーフェルト狩りを貴方から一任された事を知る。 廊下を早い歩みで去っていく彼にぶつかって、一人の少女が文句を言ったが彼は訊いていないようだった。 「…ちょっと謝りなさいよ! あ、ユーディン政務官! ちょっと今のカノンの態度はなんですか!? 乙女にぶつかっておいてアレは」 「まあ落ち着いてシエラ…」 シエラ=アヴィディア。 今の兄のロードソーサレスだ。 「全く、最近ちょーっと態度が軟化したかなーと思ったのが間違いでした」 「……、」 残酷な、でも孤独な王様。 愛する人を殺せと、命じる時ですら。 貴方は何を思っているの。 あの日差しの下の中の歌を、まだ覚えているの? 「…随分賑やかですね」 反対側の廊下から歩いてきたのは、相変わらず布を額に巻いた、あの頃からちっとも面差しの変わっていない男。 「あ、レイスレイスクライスカーセス魔法管理官…」 魔法管理官。 アスリースならではの役職だ。 ロードソーサレス選出やエリヌース祭。魔法に関する事を全て。 管理する者。それが魔法管理官。アスリースの重臣の一席だ。 「シエラ。ご丁寧にそんな長ったらしい呼び方しなくていいのよ」 「そうですよ。役職名だけで構いません。 貴様達みたいに短い名前ならともかく」 「…あんた、シエラまで“貴様”呼ばわりしないのよ! デリカシーのない奴。 あのねシエラ。本域にデリカシーのない男ってのはカノンじゃなくてこいつの事を言うのよ」 「……覚えておきます」 「…いい度胸ですね。今代のロスト猊下のロードソーサレスは…」 「前のロードソーサレスだったロリーナだって充分いい度胸してたわよ。 いつかシバくリストにあんたの名前書いてた辺り」 「個人的閻魔帳を持ってるロードソーサレスもどうかと思いますがね。 下手すると女と間違いかねない名前も。サラ=アクディナといい勝負です」 「……あの?」 「あ、ああ。サラは知ってるわよね? ロリーナは貴方の前のビショップ直属ロードソーサレス。 シエラとは引継の挨拶もなかったから知らないんだっけ」 「個人的閻魔帳…彼曰く“いつかシバくリスト”なんていうノートを持ち歩いてた強者ですよ」 「……えんまちょ………彼?」 「ロリーナ=ドットリード。名前がややこしいけど男よ。性別は。 まあ性格は別個にしても」 「…何故そこで政務官も魔法管理官も腕組んでため息なんですか?」 「シエラは知らない方がいいの…。 もう定時でしょ? 猊下の所に行ってらっしゃい」 「あ、はーい。…ロスト様に訊こう」 その金の髪を見送りながら、 『絶対答えてくれないけど』 とユーディンとレイスレイスクライスカーセスの台詞がハモった。 「うっわキモいなぁ。なんで最近あんたと言葉が被る頻度が高いのよ」 「そんな事知りませんよ。 今の話題はロリーナ=ドットリードでしょう? ロスト猊下だって絶対話しゃしないと思ったからそう言っただけです。 …まあ、実力と度胸は一流でしたけど」 「…………中身がねー」 ちょっと重臣二人。遠い目をしてみる。 あの兄、ロストですら初めての挨拶の時、ロリーナ=ドットリードの言葉と態度に驚いてか咄嗟に彼の性別を確認したくらいだから。 まあ嫌ってはいないけど多分兄にとって一番扱いに困るロードソーサレスだっただろう。 なんせ、女性神官用の法衣をまとって。 『初めましてロスト猊下。 ロリーナ=ドットリードと申します。 素敵な殿方で嬉しいですわ私…』 とか頬染めて言われたらあの兄だって対処に困るだろう。 男に。 ことある事に兄と腕を組もうとしていたあの、言ってしまえばカマ男は一時ロストを取られて不満ばかりを零していたカラベラクが、王になった時に“王宮の風紀が乱れる”という理由である意味での左遷を喰らっていたが。 それでも現在はしぶとく無属のロードソーサレスやっている辺り諦めが悪い。 その内いなくなるだろうエルフでもないんだしという楽観的観測はもろくも崩れる。 生憎、彼は死体寄生者と呼ばれるバロックだったので、今も相変わらずだ。 後日談としていうなら、兄がこの何年も後。 自分のロードソーサレスとなったバロックヒート=スフォルツェンドを、バロックだと見抜けたのはひとえにそのロリーナがいたからであろう。 ちなみにバロックヒートの名誉の為に言っておくと、ロリーナ=ドットリードは確かにバロックだったがバロックヒートとは別個のバロックである。 一緒にしたらいくらなんでも可哀想だ。バロックヒートが。 「……あれ? でもあんたはなんでこんな場所にいるの? 今日、会議も何もなかったでしょ? あたしは宝物庫の管理兼ねてるからいるんだけどさ」 「物覚えが悪くなりました?」 「うっわなに。なによ?」 「僕が…王宮に住んでる事くらいご存じでしょう?」 「……………、」 そう、だった。 レイスレイスクライスカーセス。 彼は、かつてのエリヌース女王の夫で、かつてのアスリースの王族で、エルフではないけど長命種族で、バロックでもなくて。 彼は、エリヌース女王の夫となった時から王宮から出る事を禁じられた、鳥籠の鳥。 「……何故でしょうね」 「え?」 「……可哀想だと、言われました。 同じ同僚の、ユリーシャに…」 「………あんたが可哀想って…ユリーシャの目も末期かしら。 って…あんたそれでユリーシャに嫌味言わなかったでしょうね? ユリーシャは数少ない女の重臣仲間なんだから」 「そのうち貴様お得意の精神攻撃で追い出すんだから一緒でしょ?」 「ユリーシャは嫌な重臣じゃないわよ!」 しかし悲しいかな。 この一年後にそのユリーシャは重臣を辞めてしまうのだが。 「………二人目」 「……、」 「僕を可哀想だと、同じ意味で言ったのは…二人目ですよ彼女が。 おかしいですね。てっきりあの子に似た貴様が言うと思ったのに。 似ても似つかない彼女に言われるなんて」 その時、彼はとても頼りなく見えた。 あの夜。踊りにあたしを誘った貴方のように。 彼の言う“あの子”が誰か。訊かなくたってわかる。 エリヌース女王。 「…ユーディン」 「…何よ」 「もし暇だったら、今夜僕の部屋に来て下さい。 今夜限りは、嫌味なんて言いませんから」 「……………」 はっきり、嫌と言えなかった。 本当は、レイスレイスクライスカーセス。あんたの方がね。 カラベラク、貴方より残酷な男だって知ってた。 だけど、あの夜の貴方に重なった、幼子のような表情に。 再びまだ、無邪気だった貴方がいるような気がして。 結局夜、彼の部屋を訪れた。 「……もう止めた。これ以上飲んだら明日仕事にならない」 「案外酒弱いんですね?」 「あんたが強すぎるのよ…ちょい寝台貸しな……」 「…人の寝台を勝手に」 「誘ったのはあんたでしょ……起きると吐きそうだから吐かれたくなかったら大人しく貸しなさい」 「はいはい」 「はいは一回」 「…」 それから、途切れ途切れ。 会話。 酒の所為か、珍しく弱気な。 彼とあたし。 「…………可哀想なんて、失礼ですよ…。何も知らないのに…」 昼間のことだろう。 「……思いを」 「どこにも残すことなく」 「生きていくのは」 「幸せなのに」 「……可哀想な人と…呼ばれる。 …エリヌースは、違う意味で僕を可哀想と言ったけれど」 「…………………なら、あたし達はなに?」 「……」 「思いを残そうと必死で、想い出を残そうと必死で、なのに届かせるやり方のないあたし達はなに…?」 レイスレイスクライスカーセスが、寝台の上。 仰向けになって顔を押さえて泣いているあたしの傍らに腰を降ろす。 「………陛下?」 「………………………無邪気なアリスは…もう何処にもいないわ」 顔を覆った、腕の隙間。 視線があった。 そのまま、何も言わず口づけて、一夜を共にした。 誤算なんて、それであたしが身ごもってしまった事くらいだ。 ただ、宿った子供を殺せなかった。 ひっそりと、王宮から離れた城館で。 産まれた赤子を見て、あたしはようやくレイスレイスクライスカーセスの正体に気付くのだけど。 あたしには育てられない。 王宮から出られないレイスレイスクライスカーセスも同じだった。 ただその子に、“オークル”と言う名を与えて。 信頼の出来る、ある人に託した。 「父親失格、母親失格。…よね。 あたしもあんたも」 「ただの気の迷いで産まれてしまったあの子供の、幸せを祈るのが精一杯でしょうね。 僕達には」 「そうね」 これは彼との秘密だった。 カラベラクも兄もサラも知らない話。 どうして貴方だったのだろう。 人間の貴方だったのだろう。 愛する人を、選べない。 雨が降る、夜だった。 何の用かと、貴方は冷たく切り捨てる。 あたしの残酷な王様。 無邪気な貴方は…もういない。 それでも。 「……少し、踊らない? 昔みたいに」 「なんの寝言だ。ユーディン」 「気安いとは、今日は言わないのね…。 誰もいない。見てないわ。…哀れな娘と思って、この手を取って」 滴の跳ねる、庭に面した回廊。 今はまだ、泣かない事があたしの、精一杯。 そういえば、貴方の前で、あたしが泣いた事なんてなかったわね。 細い腕。掴んで、引き寄せて。 そう、気まぐれでもいい。 誰もいない回廊で、もう王ではない貴方と。 王になったばかりの時のように踊る。 今日、月は出ていない。 「…やはり、妖精だな。お前は」 「…泣きそうになるから、不意打ちに言わないでよ…カラベラク」 昔のことと、幾つもの想い出。 切り捨てた、その口で。 「あの晩は月があった。 月の所為と思ったが、違ったようだ」 「………なんの所為?」 「…お前は…やはり妖精だ。 嘆きの精霊…ロストと同じ」 「…なら…もう一度抱き締めて…。 此処にいると、貴方の腕で確かめて」 貴方の手が、あたしの髪を梳いて、口づける。 そのまま抱き締める。 温もりだけが、あの夜と変わらない。 「……戯れでいいわ。 言葉なんて望まない……」 貴方の腕の中。 初めて貴方の前で泣くあたしを、どう貴方は思った? 「…あたしを抱き締めていて。離さないでいて。側にいて。 ………愛してるのよ…………。 愛してるの………」 「……寿命の短き人間に、妖精のお前がか…。 …それこそ戯れだ」 「……いつか貴方の亡骸を前に…泣き崩れる日が来てもいいわ。 その日まで……」 その背を抱いて、涙に濡れた顔で口づけて言う。 「……貴方の…貴方だけの妖精でいさせて…。 貴方の籠の中に閉じこめて……あたしを受け入れて」 ふ、と身体が離される。 あたしの目の前に、差し出された手。 初めて会った日の、あの手とは違う。大きな手の平。 「不幸になるぞ」 「…それでもね」 精一杯笑って言うわ。 忘れないでいて、切り裂かれた雨の中。 濡れた貴方の手の平。 「……貴方の妻と呼ばれる…その幸福を得られるなら…。 享受して見せるわ………」 重ねた、あたしの手。 それが、儀式にも呪いにも似た婚約の証。 「呪われても…一緒にいたいの…」 少しだけ、信じて貴方を愛する。 いつか、貴方がまた。 あの笑顔で、名を呼んでくれる事を。 胸を打つ静寂というものがあります。 たとえばさようならの時。 恋人が恋人でなくなる時。 誰かを愛しはじめた時。 大切なものを見つけた時………。 「不毛ですね。ユーディン=グロリオ…いえ」 それはあんたの慰め? 「ユーディン=サダァイナ」 「…不毛でいい。不幸でいい。 あの人を…愛しているから」 ねえカラベラク。 いつかのあの日差しの下。 いつかまた笑って歌を歌う日を。 あたしは待ってるわ。 あたしと貴方とロスト。 無邪気な物語のアリス。 貴方を待ってるわ。 兎のように。 ========================================================= −参照−用語・キャラクター等関連ML(〜2968 時点) ユーディン=サダァイナ(旧姓:ユーディン=グロリオ) サラ=アクディナ ―――――『2872/きみのたたかいのうた(986年)−16(ネヴィル−47)』 ―――――『2878/ネヴィル−48−幕間−【時を駆ける双子/前編】』 ―――――『2879 /ネヴィル−49−幕間−【時を駆ける双子/中編】』 ―――――『2880/ネヴィル−50−幕間−【時を駆ける双子/後編】』 ―――――『2957/ネヴィル−55−幕間−【桜は散り、そしてまた咲く】』 カノン=サルトス シエラ=アヴィディア ―――――『2859/きみのたたかいのうた(986年)−13(ネヴィル−46)』 ―――――『2884/フォルクス・環《サークル》挿話−11-上-』 ―――――『2894/アイム・環《サークル》挿話編ー2(後編)』 ―――――『2948/ネヴィル−52−幕間−サルトス家の令嬢−【神さまと仲直り】』 ロスト=グロリオ ―――――『2708/ネヴィル−34−幕間−【誰かの悪夢】』初出。 以下出番箇所が多すぎて記載できませんでした。 カラベラク(1000年時:カラベラク=サダァイナ) ―――――『2343/カガリ四拾参 環《サークル》挿話編』初出。 だと思われます。名前は出てませんが。 レイスレイスクライスカーセス=ディール=ウォルフガングス ―――――初出。 アイラ ―――――初出。 ユリーシャ ロリーナ=ドットリード ―――――初出。 バロックヒート=スフォルツェンド ―――――『2836/きみのたたかいのうた(986年)−7(ネヴィル−42)』初出。 エリヌース ―――――『ネヴィル番外:真昼の楽園(ML番外)』初出。 オークル ―――――『2958/ネヴィル−56−閑話−【暗闇のスキャナー/前編】』 ―――――『2959/ネヴィル−57−閑話−【暗闇のスキャナー/後編】』 “きみのたたかいのうた” ―――――『2872/きみのたたかいのうた(986年)−16(ネヴィル−47)』 魔法管理官 ―――――初出。 |