アルフェリア番外編


「たっだいまーーっ!」
 質素な家の扉が勢い良く開き、小さな子供が飛び込んできた。
 体中ドロだらけで帰ってきたその少年を、母親は優しく迎え入れる。
「お帰りなさい、アル」
 にっこりと笑った母を見、それからテーブルの上に用意されていたおやつに手を伸ばした。
「こらっ、まずは手を洗ってからでしょ?」
 母は苦笑して言った。
 叱られているはずなのだが、あまりにも日常のことなので叱られたという気分にはなることはなかった。
 アルフェリアはいつもと同じように、ちょっとだけ、反省しているような顔を見せて手を洗いに行く。
 水場は家の裏にある。勝手口から外に出て、手を洗って戻ってくると誰かの話し声が聞こえた。
 一人は母だ。
「・・・・お客さん?」
 問いかけると、母は慌てた様に奥に行ってなさいと強い調子で言った。母がこんな風に言うのは初めてだ。
 アルフェリアは少し戸惑ったが、母の言いつけに従って奥の部屋に入っていった。


 何があったのだろう・・・
 あのお客さんは誰なんだろう?
 母は、アルフェリアを叱る時もなにか言いつける時も、絶対に理不尽なことはしなかった。理由も言わずにあんな風に言うなんて今までなかったことだ。
 アルフェリアは不安を胸に抱えたまま、母が呼びに来てくれるのを待った。
 そうして、一時間ほど後、部屋の扉が開いた。
 母の顔を見たらまず理由を聞いてやろうと思っていた。けれど、聞くことは出来なかった。
 母はとても哀しげな表情をして、何も言わずにそっとアルフェリアを抱きしめた。
 なんだかあの客のことを聞いてはいけないような気分になって、結局そのことに触れることはできなかった。
 


 次の日。母はいつも通りの笑顔でおはようと言ってくれた。
 昨日の出来事がなんだか嘘の様に感じられて、アルフェリアも笑顔で挨拶を返す。
 その日も、アルフェリアはいつものように外に遊びに出かけた。
 友達と一緒に街外れの空き地で遊んでいた。
「貴方、アルフェリア・ノーティス?」
 友人達と遊んでいた間にいきなり割り込んできた女性は、そう聞いてきた。
「はい・・・?」
 その女性に見覚えはなかった。どうして自分を訪ねてきたのかわからないまま、とりあえず頷く。
 女性は一緒に来て欲しいと短く言うと、アルフェリアの腕を引っ張って歩き出した。本人の意思など全く無視だ。
「ち、ちょっと待ってよ。一緒にってどこに?」
 女性の自分の意思を無視した行動に、アルフェリアは抵抗をしてみた。が、相手は女性とはいえこちらはまだ六歳になったばかりの子供。抵抗空しく、引きずられる様にして馬車に乗せられてしまった。
 半ば誘拐のように乗せられた馬車であったが、その装飾には目を見張るものがあった。
 アルフェリアのぶすっと不機嫌だった顔がみるみる楽しげなものに変わっていく。目をきらきらと輝かせてその立派な馬車に見入っていた。
 良く見かける乗り合い馬車なんかと比にならない。こんな凄い馬車に乗ってるなんてきっととてもお金持ちなんだろう。
 ふと、疑問がわく。こんなお金持ちの凄い人が自分にどんな用があるというのだろう?
 眉を寄せて、どこか不機嫌そうな・・・嫌な物でも見るような表情で隣に座っている女性を見上げた。
 声をかけられない、そんな雰囲気の中、アルフェリアはいくつかの疑問を口に出すことが出来ず外に目を向けた。
 馬車の外には見なれた風景。どうやら家の方に向かってるらしい。
 数分後、予想通りとでも言おうか。馬車はノーティス家の前で止まった。女性は馬車から降りて扉を叩く。
 数秒の間があって、扉が開いた。出てきたのはもちろん母だ。
 女性を見た瞬間、母の表情が一変した。今まで見たこともないような厳しい顔。
 二人は何か話しているようだが、馬車の中からでは良く聞こえない。外に出ようと戸に手をかけた時だ・・・・それに気付いたのは。
 扉が開かない。鍵がかかっている様子はないのに、だ。馬車の扉には鍵穴なんて無いし、さっき外から見たときもそれらしい物は見当たらなかったのだ。慌てて再度チャレンジしてみたが、何度やっても結果は同じだった。
 泣き出しそうになるのを堪えて、アルフェリアは外の様子をうかがった。
 母が怒鳴っているのがわかった。女性はそんな母に対して平然とした様子で会話を進めていた。
 女性がちらりとこちらを見た。それにつられるようにして母の視線もこちらに移った。
 母は驚きに目を見開いて、それから急いでこちらに駆けてきた。
 女性の、どこか無機質な笑みが妙に目に付いた。余裕たっぷりの態度でゆっくりと歩いてくる。
「どうして私をそっとしておいてくれないの!?」
 馬車に近づいたこと、それが大声であったこと。母の悲鳴に近い叫びがはっきりと聞こえた。
 女性が扉に手をかけた。今度はいともあっさりと戸が開く。
 女性は、淡々とした口調で母の叫びに答えた。
「血筋を絶やすわけにはいきません。どうかご同行願います」
 丁寧な口調とは裏腹な、拒否を許さない鋭い瞳。それでも母は引かなかった。
「・・・・・今すぐアルを返して」
「それが返答ですか?」
 女性はわざとらしく溜息をついた。

 ?

 すぐ隣にいたせいだろう、女性がなにか呟いているのがわかった。
 その直後、アルフェリアは異様なほどの眠気に襲われ、自分の体を支えることさえ出来なくなってしまった。


 最後に目に入ったのは父の姿。大通りを走り抜ける馬車を、信じられないものを見るかのような表情で見つめていた。
 そういえばもうそろそろ仕事から帰ってくる時間だ。
 朦朧とした意識の中で、はっきりとはわからなかったが、父は泣いているようだった・・・・・・。

 目を覚ますと、そこは全く知らない部屋だった。
 家具を見る限りでは一人部屋だと思うのだがそれにしては広すぎる。置いてある家具も立派なものばかりで、かなり高価な物であることがわかった。
 とりあえず誰かにここがどこなのか聞かねばならない。けれど、押しても引いても扉はびくともしなかった。
 次に目をつけたのは窓だ。けれどすぐにその考えが甘かったことに気付いた。この部屋は屋敷の最上階に位置しているようだった。壁をつたって降りようにも足がかりになるような物は何もないし、飛び降りようものなら大怪我することは間違いない。
 どうしよう・・・
 出る方法が見つからず、アルフェリアはベッドにうずくまって時が過ぎるのを待った。誰か来てることを期待するしかなかった。
 そうしてどのくらい経っただろうか・・・日が暮れかけた頃、静かな部屋にその音はとても大きく響いた。
 アルフェリアはビクっと体を固くして扉に目を向けた。
 自分をここに連れてきた女性とは違う、二人の男女が部屋に入ってきていた。二人とも髪はもう白くなっていて、結構な年に見えた。
「あの・・・・ここはどこですか・・?」
 二人の視線は冷たかった。それがアルフェリアをますます萎縮させる。
 その冷たい雰囲気に圧倒されて顔を上げることが出来なかった。目線だけを彼らに向けて、出来るだけ丁寧な口調で尋ねた。
 男の方が、淡々とした口調でそれに答えてくれた。
「ここは君の母親の実家だ。こちらにも事情があってね、強引な招待になったことは詫びよう」
 アルフェリアにもわかる、口先だけの謝罪。この男はちっとも悪いだなんて思っていない。それどころか、二人は汚い物でも見るかのような表情でこちらを見ていた。
「まったく、あの子も何を考えているのかしら。あんな良い縁談を蹴ってどこの馬の骨ともわからない男と・・・・」
 女性はどこかヒステリックな口調で呟いた。男性は女性を宥めるように言う。
「それでも、今我が家の血を継いでいるのはこの子供だけだ」
 女性の様子が少し落ちついたのを見てから、男性がこちらに視線を向けた。そして、感情のこもらぬ声で言う。
「今日から君の名前はアルフェリア・ランディだ」
「え・・・・!?」
 どういうことか聞こうとしたが、二人ともアルフェリアの話など聞いてもくれなかった。さっさと扉の向こうに消えてしまう。
 閉まってしまった扉に慌てて手をかけるが時すでに遅し。一度閉じられた扉は、もうアルフェリアには開けることが出来なかった。
「くっ・・・!」
 自分では開けられないと頭ではわかっているが、それでも諦める気にはならなかった。
 扉を開けようと何度も挑戦する。その挑戦は少しずつ乱暴になっていき、最後には力任せに思いっきり扉を蹴り飛ばした。けれど、それでも扉が開くことはなかった。
 アルフェリアは、大きく溜息をついてその場に座りこんだ。
 何がどうなっているのだろう・・・・・・・
 誘拐まがい、いや誘拐そのものだ――そんな感じで連れてこられて、閉じ込められて、いきなり違う名前になったと言われて・・・・
「ああぁぁっ、もお〜〜〜!!! どうなってんだよ、一体!」
 頭をぐしゃぐしゃ掻きまわして考え込むが、結局何一つわかりはしなかった。アルフェリアは母の旧姓すら知らなかったのだ。
 ふわふわの、大きなベッドの上に沈み込むように寝っ転がった。
「・・・・・・どうなってんだよ・・・・」
 じんわりと目に涙が浮かんでくる。ごしごしと目をこすってそれを振り払い、無理やりに眠りについた。



「おはようございます、アルフェリア様」
 翌朝、アルフェリアはそんな風に起こされた。
「・・・ん・・・・」
 寝ぼけ眼を開いて周囲を確認する。
 白い天井と立派な家具、大きなベッド。
 ここ、どこ!?
 アルフェリアは慌てて飛び起きた。
 メイド服の女性がにこやかにお辞儀をする。
「おはようございます。今日からアルフェリア様の身の回りのお世話をさせて頂くことになりました。ユリア・ニースです。宜しくお願い致します」
「お・・・おはよ」
 呆気に取られた表情で挨拶を返す。それから、ここがどこなのか思い出した。
 母の実家とか言っていた。そういえば自分は母の昔をなにも知らない。この人は、昨日の二人よりは優しいように感じた。
「あの・・・」
 それでも昨日のことがあったせいか、すぐには言葉に出てこない。
 ユリアは着替えを用意しながらアルフェリアの次の言葉を待ってくれていた。
「一体どうなってるんですか・・?」
 その問いにユリアは不思議そうな表情を返した。
「なにも聞いてないんですか?」
 アルフェリアがこくりと頷くと、ユリアは少し考えてから大まかな経緯を話してくれた。
「アルフェリア様のお母様――メフィレル様はご両親に決められた婚約者がいらっしゃったんです。けど、メフィレル様はご自分で選んだ方と結婚するために駆け落ち同然でランディ家の屋敷を出たんです。旦那様と奥様は必死にメフィレル様の行方を追ってたんですけど・・・」
 それから、ユリアは戸惑ったような表情を見せた。言って良いものかどうか悩んでいる様だ。しばらく悩んだ後、ユリアは控えめの口調で教えてくれた。
「どうやら旦那様方は後継ぎのことを心配していたみたいで・・・」
 ユリアの表情が段々と暗くなっていく。
 アルフェリアは出来るだけ明るい表情を作ってユリアに礼を言った。
「教えてくれてありがとう、ユリアさん」
 子供である自分に対してもきちんと話してくれたユリアがありがたかった。
 ユリアは沈みがちな表情のまま小さく笑って、用意していた着替えを手渡しながら言った。
「今日から家庭教師が来るそうです。昼頃に来るそうですから、それまでに支度しておいてください」
「え゙っ・・・」
 思わず問い返したが、その時にはユリアはもう部屋の外に出ていた。
「・・・・そんなに急いで出ていかなくたっていいじゃん・・・」
 ユリアとて雇われの身だ。もしかしたらあまり話すなとか言われたのかもしれない。けれど、毎日友達と遊び、家に帰れば両親にその日一日の出来事を楽しく話す。そんな日々が日常だったアルフェリアにとって、会話が出来ないと言う事はとても辛いことだった。
 昨日の二人――ユリアの話からするとアルフェリアの祖父母にあたるらしい――とのあれは会話なんてものじゃないし、ユリアとの話だって、楽しい会話とは程遠い。
 アルフェリアはどこか虚ろな瞳で小さく息を吐くと、言われた通り着替え始めた。
 と、その時だ。扉をノックする音が聞こえたのは。慌てて服を着て、扉の方に視線をやった。
 多分この人が家庭教師とやらなんだろう。美人だけど怖い顔をしていた。
「こんにちは」
 自分を奮い立たせて、出来るだけ普通に挨拶した。けれどそれに対しての彼女の返答はつっけんどんで冷たい感じのものだった。
 彼女は軽く自己紹介をした後、部屋の隅にあった机に大量の本を置いた。
「貴方にはランディ家の跡取にふさわしい教養と知識を身につけていただきます――」
 彼女―カーリアというらしい―の言葉はまだ終っていなかったが、アルフェリアはカーリアの言葉を遮って怒鳴りつけた。
「ちょっと待ってよっ! どういうことだよ、僕にはわかんない。どうしてそんなことしなきゃなんないのさ。僕を家に帰してよ!」
 本当はなんとなくだが理解っていた。
 この家はどっかの名家か貴族様で、母は父と結婚するためにここを飛び出してきた。祖父母は母を探し出し、母の子供である自分も連れてきたのだ。この家の跡取りにするために。
 そんなもん養子でもなんでもとればいいじゃないかとも思うが、こういう家は血筋というものをとても気にするらしい。
 解かりたくも無い大人の事情みたいなものを感じて、アルフェリアはその憤りをとりあえず近場に居るカーリアにぶつけたのだった。
 直後、パンっと小気味良い音が部屋に響いた。
 アルフェリアは赤くなった頬を抑えてカーリアを凝視する。
 痛みに涙が零れてきた。
 泣き出したアルフェリアにカーリアは冷たく言い放った。
「あまり反抗するようなら多少手荒い方法を取っても良いと言われてますから。さ、泣いている暇などありませんよ」
 彼女はアルフェリアの都合などお構いなしに、無理やりアルフェリアを椅子に座らせたのだった。

 その日は、ずっと椅子に座らされたままで過ごした。
 叩かれようが何だろうがとにかく抵抗した。アルフェリアがあんまり騒ぐとカーリアはアルフェリアを椅子に縛り付けて動けない様にした。それでも、彼女に従うのはイヤだった。そんな状態で勉強など出来るわけもなく、その日はひたすら暴れまわって終った。
 日が暮れてからやっと開放されたアルフェリアは、倒れこむ様にしてベッドにうつぶせに寝っ転がった。
 疲れているのに、なかなか寝つくことが出来なかった。
 きっと母もこの屋敷のどこかに居るだろう、けれど今の自分には確かめることが出来ない。この部屋から出ることもできないのだから。
 たった一日を境に一変してしまった生活。アルフェリアは、真夜中まで声を殺して泣いていた。


昨日はなかなか寝つけなかったが、何時の間にか眠っていたらしい。
 その日もユリアの声で起こされた。ユリアの表情は暗かった。
 鏡を見て、その理由がちょっとわかった気がした。寝る直前までずっと泣いていたからだろう、しっかり泣いた跡が残ってしまっていた。
 アルフェリアは気恥ずかしそうに、それでも出来る限りの笑顔を作って挨拶をした。
 心配そうだったユリアも小さく笑みをつくってそれに返してくれた。
 少しだけ話をして――それは会話というよりは必要事項の伝達みたいなものだが――ユリアは部屋を出ていった。
 今日もあのおっかない人が来るんだろうなと、深い溜息とともに見えるはずのない扉の向こうを見つめた。
 窓の向こうには外の様子もはっきり見えているのに、外に出ることが出来ない自分が悔しかった。
 ・・・・・・どうやら自分はかなり涙もろくなっているらしい。
 そんなふうに思いながら、アルフェリアは零れかけた涙を服の袖で拭いた。


 ガチャリと扉が開く音がした。
 きっとあのおっかない女の人が入ってくるんだと、アルフェリアは身を固めて扉を見つめた。
 けれど入ってきたのはカーリアではなく、昨日二人で来た男女の男性の方。自分の祖父らしいが彼は何も言わないし、自分もそんなこと実感が沸かなかった。
「昨日はずいぶんと手を焼かせたそうだな」
 彼は威圧感たっぷりの口調と態度でそう言った。
 アルフェリアは怯えながらも、小さく頷いた。彼が何か言おうとした時、アルフェリアはそれを遮る様に口を開いた。
「僕を帰してください。僕、こんなところに・・・居たく、ない・・です・・・」
 彼の顔を見ることは出来なかった。俯いたまま、弱々しい声でそう言った。
「残念ながらそれは無理な話だ。それより・・・・昨日カーリアにも言われたはずだ。あまり反抗しないほうが自分のためだぞ」
 アルフェリアははっと顔をあげた。彼は昨日のことで叱りに来たのだろうか。
 数秒の沈黙、そして・・・・・
「!!!」
 自分の体を走る痛みに、アルフェリアは声を出すことすら出来ずに倒れこんだ。
 その痛みはほんの数秒間の出来事だったが、小さな子供には充分過ぎる脅しだ。
 アルフェリアは、冷たい視線を下す彼を涙目で見上げた。
 まだ痛みの感覚が残っている。彼はアルフェリアの様子など全くお構いなしで、用件だけを伝えると部屋を去っていった。
 従わなければ、もっと痛い目に遭うことになる、と。
 アルフェリアはここに連れてこられてから初めて、大きな声をあげて泣いた。
 泣いたら気持ちが負けてしまうような気がして・・・・だから泣かないようにしていた。
 けれどもう、そんな気持ちもどこかに飛んでしまった。
 その日は誰も来なかった。だから、アルフェリアは存分に泣くことが出来た。
 日が落ちかけた頃、アルフェリアはふと外に視線を向けた。
 その頃には、涙もずいぶん落ちついていた。
 誰だって痛いのは嫌いだ。でも、まだ諦める気にはならなかった。



 翌日の朝は自分の腹の音で目を覚ました。
 昨日は夕食を食べていないのだ。そう考えてアルフェリアは一瞬ぞっとした。この部屋は生活に困らない程度の物が揃っている。風呂もトイレもついていたし、タンスには服も入っている。けれど、食べ物だけは誰かに持ってきてもらわなければ食べられない。
 そんな時だ、ノックの音が響いたのは。すぐにユリアだとわかった。
 ノックをしてくれる人なんてユリアくらいのものだろうから。
 アルフェリアは足早にベットから降りると、扉を開けようとした。が、すっかり忘れていたが、この扉は外から鍵がかかっていて開けられないのだ。
 仕方ないので扉が開いたときに邪魔にならないところでユリアが入ってきてくれるのを待った。
「おはよう!」
 アルフェリアはにっこりと笑った。
 とにかくどこかで明るい気分になれないと、一日中沈み込むことになってしまう。そういう意味で、ユリアはこの生活の中での唯一のオアシス的存在だった。
 ユリアは仕事をしている間――ベッドを整えたり、部屋を掃除したり――はアルフェリアのお喋りに付き合ってくれた。話すことはここに来る前の楽しい思い出ばかり。
 アルフェリアは少し哀しくなった。ここに来る前のことがとても遠く感じたことに・・・・・。戻れるのだろうか。あの場所に・・・。
 ユリアは仕事が終ると部屋を出ていってしまう。
 そうして、カーリアがやってくるのだ。彼女は一般常識や歴史とか・・・とにかくいろいろなことをアルフェリアに教え込んだ。アルフェリアは彼女に従いたくない一心で反抗していたが、実際のところ勉強と言うもの自体はあまり嫌いではなかった。他にすることがないせいもあるけれど。だから、彼女が居ない時間はたいてい本を読んで過ごしていた。
 アルフェリアが言う事を聞かない時、カーリアは容赦なくひっぱたいたし、椅子に縛り付けられるのは常のこととなってしまった。
 痛いのは嫌だったけど、もとが負けず嫌いなアルフェリアは、絶対に彼女に従おうととはしなかった。
 いつも体のどこかしらに生傷を作っているアルフェリアをユリアは心配してくれたが、譲れない一線というものがあるのだ。




 アルフェリアがここに連れて来られてから半年ほどが過ぎた。
 その間、アルフェリアはただの一度もこの部屋から出してもらえなかった。
 ユリアは毎日朝と夕の二回、部屋へやってきた。
 その日ユリアは今日からカーリアは午前中しか来ないことを告げた。
 ユリアの話から察するに、祖父はどうやらアルフェリアに魔法を覚えさせたいらしい。
 そういえば以前カーリアが言っていた。ランディ家は優秀なソーサレスを何人も輩出している名家だと。
 後継ぎならば魔法も使えねばまずいというところだろう。
「ふーん・・・」
 小さく返事を返して、ユリアが部屋から出ていくのを見送った。
 
 アルフェリアは気付いていた。多分祖父は、自分がカーリアが居ない時には勉強していることに気付いている。だからこそ、最初の日・・・・あの日みたいにわざわざ出てきたりしないのだろうと。
 その日もカーリアとの授業は授業なんてものではなかった。けれど彼女も気付いているんだろう。一応は時間まで居るものの、最近は大量の本を置いていくだけで、教えることを諦めている様だった。

 その日の午後、部屋にやってきたのは細身の男の人だった。年は三十代前半くらいだろう。
「はじめまして」
 その人はぎろりとこちらを睨んだが、そんな目にはもう慣れっこになってしまっていた。
 カーリアもいつもこんな感じでアルフェリアを睨む。
 男性は不機嫌そうに、自分の名前を告げた。
 キシュマと名乗った彼は挨拶もそこそこに、早速授業を開始したのであった。
 アルフェリアはこいつに対しても、大暴れして諦めさせてやろうと思っていた。
 けれど、それがとても甘い考えだったことを、アルフェリアはその日のうちに知った・・・・。


 キシュマはいくつかの本を取り出した。
 まずは基礎を学べと言う事らしい。けれど当然アルフェリアはそんな物読む気は無く――彼が居なくなってから読むつもりだった――ふいとそっぽを向いた。
「旦那様に従わないなら無理やりにでも従わせろと言われた。多分前に他の者に言われたこともあるだろうが、言っておく。自分の身が大事なら逆らわないことだ」
 そんなこと言ったって自分を殺せるわけは無い。向こうは自分を・・自分の中に流れるこの家の血を必要としているのだから。そう思って、アルフェリアはその言葉も無視した。
 直後、アルフェリアの体に電が走った。
 本当に電だったのかわからないが、少なくとも本人にはそう感じられた。
 とっとと気絶してしまいたいと思ったが、なぜか意識ははっきりしていた。そのうち考えることもままならなくなり、ただ痛みに耐えるだけの時が過ぎていった。
 実際は短い時間だったろう。けれど、アルフェリアにはとても長い時間に感じられた。
「魔法を本だけで学ぶのは難しい。カーリアのように本だけ置いていくというわけにはいかないんでね」
 キシュマは冷たい表情でそう言った。
 カーリアはそんなに怖くなかった。痛めつけられるといってもそれは叩かれることがほとんどで、何が来るか予想出来るから痛みにも耐えることが出来た。
 けれど・・・彼はソーサレスだ。いくつもの魔法を知っている。それはアルフェリアには未知のものだった。
 それでも、最初の頃は必死に抵抗した。彼はそのたびにアルフェリアの体に教え込んだ。逆らわない方が利口だという事を。
 そうして、さらに半年が過ぎた頃・・・アルフェリアはすでに諦めていた。ここから逃げ出すことを。
 アルフェリアは決して涙を見せなくなった。それだけが、唯一の反抗であるかのように。
 泣かないようにと心を抑え続けた結果だろうか・・・アルフェリアは話さなくなっていたし、表情を変えることもなくなっていた。
 アルフェリアは、ただ人形のようにそこに在るだけになっていた。




 その日も、ユリアは入ってくると暗い表情を見せ、それから一生懸命にその表情を隠した。
 ここに連れて来られてから三年が経過し、アルフェリアは九歳になっていた。
「おはようございます、アルフェリア様」
 ユリアは出来る限りの明るい笑顔で言ってくれたが、アルフェリアはそれを無視した。
 もともと才能があったのだろう。素直に勉強するようになってから、アルフェリアの魔法はぐんぐん上達した。
 今では最上階から怪我一つせずに飛び降りる方法も知っていたし、扉の鍵だけを壊すという器用なこともできる。
 けれど、アルフェリアの頭の中に”逃げ出す”という選択肢はもう存在しなかった。自分の行動を自分で考えるということをしなくなっていたのだ。
 何を話しかけても気のない相槌を返すだけのアルフェリアにユリアは小さく溜息をつくと、いつものように部屋から出ていった。
 それからしばらくしてカーリアが来た。けれどその日はキシュマは来なかった。
 その日の午後、屋敷が妙に慌しくなっている事に気付いた。
 今までにも屋敷が騒がしくなったことは幾度かあった。気に留めなかったのでそれが何だったのかはいまだにわからないが。いつもならば気になるはずもないこと。なのに、なぜだろう・・・今回だけはどうにも気になって仕方が無かった。
 呪文を唱え扉の鍵を壊して、アルフェリアは騒ぎの中心を探して屋敷を動きまわった。
 それは思った以上に時間がかかった。三年もいるのに、アルフェリアはあの部屋の中とそこから見える景色しか知らないのだ。
 騒ぎの中心と思われる部屋の前に祖父母と、キシュマがいた。三人はアルフェリアに気付いたが、意外にも冷静だった。キシュマは祖父に一礼すると、こちらに歩いてきた。
「状況を説明してあげよう。来なさい」
 あの部屋で何が起こっているのか・・・気にはなったが、教えてくれると言うのだからとりあえず彼に従い、二人はアルフェリアの部屋に戻った。
「何があったんですか?」
 アルフェリアの問いに、キシュマはにやにやと嫌な笑みを浮かべて答えた。
「君に弟が生まれた。父親はこの家にふさわしい血筋の人間だ」
 多分あの部屋で生まれたのだろう。つまりそこには母がいるという事だ。
 アルフェリアは眉一つ動かさず、冷静な口調で聞き返した。
「それじゃあ僕はもう必要ありませんよね。母と僕を父のもとに帰して下さい」
 自分でも驚くほど心が静かだった。もっと驚くなりなんなりしても良いはずだ。けれど、アルフェリアの心にはなんの感情も沸きあがってこなかった。
 心を抑えることに慣れすぎて、心の感じ方を忘れてしまったかのようだ。
 彼は冷たい笑み浮かべて言った。
「残念ながらそれは無理だ。君の母親は出産のときに死んでしまった」
 がたんと、音をたてて椅子が転げた。アルフェリアが勢い良く立ちあがったせいだ。
 駆け出そうとしたアルフェリアをキシュマの手が止める。
「まだ話は終ってない」
「そんなもの後でで結構です」
 アルフェリアは、彼の制止を振り切って駆け出した。さっきの部屋へ向かって。
 部屋の前にはお手伝いさんらしき人が数名。彼女らを押しのけて部屋に入ったアルフェリアは愕然とした。
 そこには確かに、母だった遺体があった。
 けれど生まれたと言う弟と、祖父母は居なかった。
 その辺の人を捕まえて聞き出した結果、祖父母は生まれた弟を連れてさっさと部屋を去ってしまったことがわかった。母の後始末は召使達に任せて・・・・・。
 アルフェリアは呆然とその部屋の様子を眺めた。
 自分の娘が亡くなったというのに・・・・・・彼らは何も感じなかったのだろうか。
 いつのまにか、キシュマが部屋の入り口にいた。
「彼女の葬式はきちんとやってくださるそうだ。良かったじゃないか、一度は勘当された娘が盛大に葬式を出してもらえるんだ」
 アルフェリアはキッと後ろを睨みつけた。
「久しぶりに見たな、君のそんな瞳は。昔はいつもそんなふうに反抗していたのに。・・・・まだ話は終ってない。戻ろう」
 泣き出したい気持ちはあったが、こいつの前で涙は見せたくなかった。
 ほんの少し・・・・ほんの数秒、瞳を閉じるだけで良い。もう一度、キシュマの姿を目に留めた時には、泣きたい気持ちはどこかに消えていた。

  再び部屋に戻り、とりあえず椅子に座って落ちつくとすぐにアルフェリアはさっきの問いを繰り返した。
「僕を父のもとに帰してください。僕はもう必要ないでしょう」
 先ほどのキシュマの様子から、答はなんとなく予想がついていた。それでも、アルフェリアは同じ問いを再度投げかけたのだ。
 キシュマの答は予想通りの物だった。
「残念ながらそれは無理だ。血筋を大事にする者は君を邪魔にするだろうが、権力が欲しい者は君を欲しがる。君は危険なんだ」
 まだ九歳とは言え、すでにそこらの大人に負けない知識を持っている。彼の言葉の意味はすぐにわかった。
 血筋を大事に思う人間は当然弟の方を次の当主に望むだろう。
 しかし、この家の財産や権力を欲する直系から少し離れた人物は、アルフェリアを次の当主にしたがるだろう。理由は簡単だ。アルフェリアの父親は普通の平民。血筋を気にする人間は絶対に認めないだろうから、その場合は後見人が必要になる。つまりはそれを狙っているのだ。
「家はアスリースから離れています。それでもですか?」
 ノーティス家はクラリアットの西端に位置していた。父親の出身はアスリースだと聞いたことがあった。この家から逃げるために、離れた場所を選んでいたのだろう。
「それでもだ」
 彼は顔色一つ変えずに冷たく答えた。
 それまで、アルフェリアはここは地獄のようだと思っていた。確かに昔の幸せな生活からすれば、ここでの暮らしは辛いものでしかなかった。

 けれど、本当の地獄はその日から始ったのだ・・・・・・・・・・

 その日以来、屋敷の中に限り、アルフェリアは自由に動くことを許された。相変わらず外に出ることは許されなかったが、それでもこれまでに比べれば格段の進歩だ。
 しかしそれは自分の命を危険に晒すことだということに、アルフェリアはまだ気付いていなかった。
 アルフェリアに注がれる視線は全部で三つ。あからさまに嫌う視線、可哀想だとかそんな感じの同情の視線、そして・・・
「こんにちは、アルフェリア」
 にっこりと笑顔で声をかけてきた中年の男に、アルフェリアは冷えた口調で挨拶を返した。
 彼は大変だったねとか、君の力になってやろうとか・・・そんなわかりやすい言葉を述べて、アルフェリアの機嫌を取ろうとしていることがまるわかりだった。
 その日だけで、そんな感じの人物に二桁にのぼる回数出会った。
「・・・・疲れた・・・」
 ご機嫌取りのくだらない人間に付き合うだけでも疲れるのに、歩いているだけで注目を集めてしまう。それは精神的な疲れをさらに増大させた。
 相変わらずどこか無機質な雰囲気を漂わせているが、それでも久しぶりの人間らしい・・・・自分の状態を表す言葉を口に出したアルフェリアに、ユリアはくすくすと楽しげに笑った。
「ごめんなさい、そんな事態じゃないのはわかってるんですけど。アルフェリア様がそんなふうに言ってくださったのは久しぶりだから嬉しくて・・・」
 笑いながらユリアは持って来た食事を置いてくれた。
「そう?」
 答えたアルフェリアはもう、冷たい虚ろな表情に戻っていた。
 実は朝はよりも夜のほうが話す時間は多い。朝はアルフェリアが食事をしている間に、ユリアは部屋の雑事をこなす。けれど夜は朝に比べると仕事が少ないため、お喋り出来る時間が増えるのだ。
 けれどアルフェリアはそんな夜の時間も黙ったままで、ユリアが一方的に話すことが多かった。
 ほんの一言二言だが、今日は久しぶりに会話になった。ユリアにはそれが嬉しいらしい。
 突然アルフェリアの表情が変わった。ガチャンと乱暴にフォークを置く。
「アルフェリア様・・?」
「ごめん、もういいや」
 ユリアは心配そうにアルフェリアの顔を覗き込んだ。
「いいから出てって!」
 叫ぶと、ユリアは慌てて部屋から出ていった。
 アルフェリアはふらふらとおぼつかない足取りでベッドに向かった。
 あまり食べないうちに気付いて良かった。けれど、それは別の恐怖を引き起こした。
 ユリアは何も知らないだろう。誰がこんなことをしたのか知らないが、こんなことが毎日続けば毒に殺される前に飢えに殺されてしまう。
「早い対応だね・・・」
 涙なのか、それとも別の何かのせいなのか。霞む視界を見つめてアルフェリアは小さく呟いた。


翌日、ユリアは怖々と部屋の扉を開けた。
「あの・・アルフェリア様・・」
「昨日はごめん。気にしないで」
 ユリアがほっとした表情を見せる。
 まだ体がふらついていたが、それをユリアに見せないよう努めた。
 流石に二日連続でという事はないだろうと思ったが、一応警戒しながら食事をした。
 食事を除けば部屋から一歩も出なくたってなんの障害もない。
 その日、アルフェリアは部屋から一歩も出ずに過ごした。
 それから次の日も、その次の日も、ずっと・・・・。部屋から出ないで過ごすことには慣れきっている。カーリアやキシュマが持ってきてくれた本があるので退屈することはなかった。
 姿を見せなかったせいだろうか。それからは平穏な日々が続いた。
 けれど、一度感じてしまった命の危機は消えることなくアルフェリアの精神を削っていった。
 実際、平穏とは言っても部屋にまで訪ねてくる者はいたし、そういう奴らの相手をしないわけにはいかなかった。


 それから数ヶ月が過ぎた頃。
 アルフェリアはユリアにすら心を開かなくなっていた。というよりも、何に対しても無関心になっていたと言った方が正しいかもしれない。
 いつ殺されるかもわからない。その状況はアルフェリアの心に大きな負担をかけた。結果、アルフェリアは全てを閉ざすことでなんとか精神を保っていたのだ。
 さっさと出ていくのが一番良いとどこかで思ってはいたが、現実的に考えて、まだ十歳にも満たない自分が一人でやっていけるとは思わなかった。
 そんなある日。とうとう事件は起きてしまった・・・・。
 その日も、アルフェリアの部屋には数人のお客が来ていた。
 その客人の誘いを断りきれず、アルフェリアは久しぶりに部屋を出たのだ。その日は屋敷で催し物があったらしい。
 アルフェリアはそんなものに顔を出す気は無かったが、半ば無理やりその場に引っ張り出されてしまったのだ。
 視線が集まる。その中に、少なからず悪意の視線も混じっていたことにアルフェリアは気付いていた。
 けれどどうしようもない。血のことをどうこう言われてもそれは自分の範疇ではないのだから。
 しばらく部屋から出ていなかったから余計だったのかもしれない。
 その事はアルフェリアを邪魔に思う者達を刺激してしまったのだ・・・・・。



 それから数日後の夜。アルフェリアは妙な気配に目を覚ました。
 直後、上から降ってきた刃に気付き、慌ててその場を離れた。
 暗くてよくわからないが見まわすと二、三人の人影があった。
 向こうもとうとうキレたらしい。こんな手段を使うなんて・・・・・。
 アルフェリアは冷静に対処した。
 まず一人を風で吹き飛ばしたうえで、かまいたちで切りつけて動けなくした。
 もう一人は近づいてきたところを炎で焼いてやった。
 そして最後の一人・・・・と思ったところでパタパタと足音が近づいてきた。誰かがこの騒ぎに気付いたのだ。
 残った一人は倒れた二人を回収して去っていった。
 彼らが出ていった先に目が行った。
 ああ、そういえばここは外と繋がっているんだったっけ・・・・
 そう思った瞬間、出たいと思った。
 このきっかけを逃したら、もうここを出ていけないかもしれない。
 荷物も持たず、アルフェリアは窓に手をかけた。
 最初に部屋にたどり着いたのはユリアだった。後から声がかかる。
 けれど、アルフェリアはそれを無視した。

 こうして、アルフェリアは数年間軟禁され続けたその屋敷を出ることができた。
 本気で出ようとすればもっと早くに出られたかもしれない。
 出られなかったのは半分は自分のせいだと、アルフェリアは自覚していた。




 とにかく早く戻りたかった。
 力の続く限り飛びつづけた。とうとう魔力が尽きてしまった頃にはなんとかクラリアットに入っていた。
 目の前に草原が広がっている。遠くに小さく街並が見えた。
 が、アルフェリアは町に入る前に力尽き、意識を失った。

 目を覚ますと、見慣れぬ天井があった。
 木の色の天井。ぐるりと見まわしてみると、そこは粗末な小屋であることがわかった。
「おっ、目が覚めたか。三日も寝たまんまでさ。心配したんだゾ?」
 男性の声だ。
 そちらに目をやると、ナイトらしい青年が立っていた。
「あの・・・・・」
 彼はアルフェリアが何か言おうとしたことに気付かなかったのか、続けて口を開いた。
「びっくりしたよ、いきなり上から降って来るんだもんな」
「え゙っ!?」
 速度優先で飛んでいたから高度はそんなに高くなかったはずだが、意識を失ったまま落ちていれば良くて軽傷、最悪死亡ということもあり得ただろう。
「助けてくれてありがとうございます」
 ベッドの上で、アルフェリアは折り目正しく礼をした。
 彼は頭を掻きながら照れた様に笑った。
「そんな改まって言われると照れるなぁ。そういやまだ名前聞いてないよな」
「僕はアルフェリア・・・・・・・。アルフェリア・ノーティスと言います」
「アルフェリアか・・・アルって呼んで良いか?」
 彼の問いにアルフェリアはこくりと頷いた。
「おれはルーク・ヴァルマーだ。ナイトやってる。今はまだ修行中ってとこだけどな」
 一瞬でアルフェリアの考えが決まった。一人で家に帰りつく自信はなかった。ダメもとでも頼んでみようと思ったのだ。
 ランディ家のことは伏せたまま、家に帰りたいことを伝え、良かったら一緒に来て欲しいと頼んだ。
 ルークはあっさりとそれを承諾してくれた。
「ありがとうございます」
 アルフェリアは、にっこりと子供らしい可愛い笑みを作り上げてお礼を言った。
「出発は明日だ。今日はゆっくり寝ときな」
 ぶっきらぼうな言い方だが、そこには優しさがあった。
 命の危険が無いとは言いきれないが、あそこのようにいつも神経をすり減らす必要は無い。アルフェリアは弟が生まれて以来、一年ぶりに安心して眠りにつくことができたのだった。

「よぉし、行くぞっ。さっさと起きろ!」
 ルークが勢い良く布団をはがした。アルフェリアは慌てて飛び起きる。
「あ・・・・お、おはようっ」
 アルフェリアの慌てた様子が楽しかったのだろうか。ルークは楽しそうに笑いながら、そんなに慌てることはないと言ってくれた。


 久しぶりの外の空気はとても気持ちが良かった。
 一応昨日も外に出ていたはずだが、昨日は逃げることに必死で外の空気を感じる余裕などなかった。
「どうしたんだ?」
 ボーっとした様子で立ち尽くすアルフェリアに、ルークが声をかける。
「なんでもない。行こう?」
 アルフェリアはさっと”普通”の表情を作り出した。
 ここはあの屋敷とは違う。けれど、一度ついてしまった癖はなかなか抜けそうになかった。


 それから、二人は西に向かって出発した。
 

 数ヶ月後、二人はアルフェリアの生まれた街に到着した。
 その旅の間、いろいろなものを見た。昔ならば楽しいと感じたこと、嬉しいと感じたこと・・・そのほとんどになんの感情も沸かなかった。たまにほんの少し、心が揺れるようなことがあっても、どうしても感情を上手く表に出せなかった。

 例えば・・・旅の途中で祭り真っ最中の村に立ち寄ったことがあった。
 そんな時、昔の自分ならばウキウキして遊びまわっていた。
 ルークは、浮かれることもなくその祭りを眺めているアルフェリアの様子を見て言った。
「こういうの嫌いなのか?」
 アルフェリアは淡々とした口調で答を返した。
「別にそういうわけじゃないけど・・・・なんだか前みたいにわくわくしたりしないんだ」
 無感情にそう言ったアルフェリアを、ルークは意外そうに見ていた。
 

「おい、どっちだ?」
 ルークに声をかけられはっと現実に戻る。
 アルフェリアはきょろきょろとあたりを見まわして家の方角を指差した。
 久しぶりに見た家の様子にアルフェリアは愕然とした。
 そこは何年も人が住んでいないかのように荒れ果てていたのだ。
「アル・・・」
 ルークが心配そうにこちらを見ていた。
「その辺の人に聞いてみよう」
 アルフェリアは冷静な口調でそう言うと、とりあえず隣の家のドアを叩いた。
 ルークは意外そうに・・・いや、それとは少し違うかもしれない。どこか不思議なものでも見るような目でアルフェリアの行動を見つめていた。
 ノックをするとすぐに中年のおばさんが姿を現した。
 アルフェリアにはあまり見覚えがなかったが、どうやら彼女の方はアルフェリアを良く覚えていたらしい。
「まぁぁ、アルちゃんじゃない。久しぶりだねぇ」
「あの・・父は、いないんですか?」
 おばさんが首をかしげた。
「一緒だったんじゃないの? アルちゃんとメルさんがいなくなったすぐ後に旦那さんもいなくなったのよ。てっきりなんかの事情で引っ越したもんかと・・・」
「そうですか・・・ありがとうございます」
 アルフェリアは無表情のまま、お礼をしてその場を去ろうとした。
「ちょ、ちょっと!! 本当に・・あのアルちゃんなの?」
 アルフェリアは振り返らなかった。一瞬止まっただけだ。
 確かに、ここで暮らしていた頃と比べるとずいぶん変わってしまった。
 歩いていくその先で、ルークが待っていてくれた。
「・・これからどうする?」
 ここに来れば帰れると思っていた。けれどここにはもう何もない。母も、父も居ないのだ。
「僕に剣を教えて・・・僕、ナイトになる」
 真剣な瞳でルークの目を見つめた。ルークの表情は止まったままだ。
「本気か? アルはソーサレスだろ?」
「確かに僕は魔法を使えるけど・・・。でも、ソーサレスにはなりたくないんだ」
 ソーサレスになることは、あの人達に従うことになるみたいで嫌だった。ランディ家の人達は、アルフェリアをソーサレスにしたかったのだから。
 ルークは小さく溜息をついた。
「なんか事情があるみたいだな。ま、話したくなきゃ聞かないよ。言っとくけどおれはスパルタだからな」
「はいっ」
 アルフェリアは元気良く返事を返し、ルークはそれに頷いた。
 けれど、その元気良い返事が本当に心からのものなのか、それとも意識的に作り出した建前のものなのか・・・自分で自分がわからなくなっていた。
 
 ルークは次の日から早速剣術を教えてくれた。
 ルーク本人が言った通り、ルークの教え方は厳しかったが優しかった。
 そうして、あっという間に数年の時が過ぎていった。
 剣術を習い始めてから約三年。体力の無かったアルフェリアは最初の内はかなり苦労したが、最近やっとなんとか形になってきた。
 ランディ家の屋敷に居たのと同じくらいの時をルークと過ごしたが、アルフェリアは未だに感情を上手く表に出すことが出来なかった。昔は逆に隠すことに苦労していたくらいなのに、それに慣れたら何時の間にか感情を表に出すことが出来なくなっていたのだ。
「おーい、アル! 焚き木集め終わったか?」
 本来なら今日には街につく予定だった。けれどついつい稽古に熱が入りすぎてしまって、気がつけば日暮れ直前。仕方なく、街を目の前に野宿する羽目になったのであった。
「うん、今行く」
 そう返事を返して、アルフェリアは集めた焚き木を抱えてルークの元に戻った。
 その時だ。後の茂みでがさがさと音がしたのは。
 アルフェリアは急ぎ足でルークの元に戻った。
「どうしたんだ?」
「なんかあっちの茂みで変な音が――」
 その言葉が終る前に、茂みの中からいくつもの人影が現れた。
 どうやら追剥や盗賊の類らしい。どんなに治安の良い国でもこういった輩がゼロだなんてことは無い。
 ルークが真剣な表情で剣を抜いた。
「アルは安全なところに下がってろ」
「僕も戦えるよ。それに・・・・」
 アルフェリアは後ろに視線をやった。いつの間にやら後ろにも人影が現れていた。
「安全な場所なんて無いか。よし、アルはそっち頼む!」
 アルフェリアはこくりと頷くと言われた方角に駆け出した。
 自分の腕が足りないのだろう、思いの他盗賊達は強かった。そんな盗賊達をルークはあっというまに倒していく。
 残るはアルフェリアの前にいる数人のみとなった。
 ルークがこちらに駆けてくる。アルフェリアはそちらを見なかった。戦いの方に集中していないと負けてしまいそうだったから。
「アル、右!!」
 ルークの焦ったような叫び声。
 慌てて右を見ると、ちょうど右側の茂みから人影が飛び出してきたところだった。
 どうやら茂みの後ろをまわってきたらしい。盗賊が投げたナイフを止めようとしたが、それはアルフェリアの剣には当たらず、アルフェリアの右肩に突き刺さった。服に血が滲み出してくる。
 盗賊達が短い歓声を上げた。
 アルフェリアは止まらなかった。こっちが傷を負ったことで油断していた盗賊達を一気に叩きのめした。
「アル、大丈夫なのか!?」
 ルークが近づいて来た。アルフェリアはにっこりと笑った。
「大丈夫だよ」
 ルークは真っ青な顔でアルを見つめた。
「大丈夫って・・・よく動けたな。いや。動けたって普通一瞬でも止まらないか・・?」
 ルークはアルフェリアの怪我に対して青くなっているのか、それともアルフェリア自身に対して青くなっているのか・・・。アルフェリアは眉一つ動かさずに淡々と言った。。とても十三歳の子供のものとは思えない無機質な表情。
「痛みってさ、結構慣れちゃうもんなんだよね」
「アル・・・・?」
 ルークは一瞬呆気にとられたように立ち止まったが、ハッと傷に目をやった。
「とにかく座れ。応急処置だけでもしないと。幸い街はすぐだ、おれがおぶってやるからすぐ出発しよう」
「うん・・・・」
 アルフェリアはルークの言葉に素直に従い、とりあえず焚き火の隣に座りこんだ。
 ルークは傷の様子を見て、少し安心した様だった。出血は多いが、見た目ほど重い傷ではなさそうだ。
「まったく、頼むからあんまり無茶はしないでくれよ」
「うん」
 アルフェリアはルークが応急手当をしてくれるのを黙って見つめていた。
 止血をして、とりあえずは大丈夫だと思って安心したのかルークはさっきよりはすこし落ちついたようだった。
 包帯を巻き終えたとき、ルークが何かに気付いた。
「あれ・・? どっかにぶつけたか?」
 ルークの視線は右腕・・・巻かれた包帯のすぐ下に注がれていた。
 今まで見つからなかった方が不思議と言えば不思議だが、ルークに稽古をつけてもらった後も一人で稽古をしていた都合上風呂はたいてい別だったし、アルフェリアは袖なしの服なんて着たことはなかった。半袖の服でも隠れる位置にそれは存在していた。
「これ・・・ランディ家の家紋じゃないのか?」
 ルークの言葉に、アルフェリアの体がビクっと震えた。
 アルフェリアは慌てて自分の右腕を見下ろした。
 それは肩の近く・・・背中側の位置にあった。意識して見ようと思わなければあまり気付けないだろう。
 貴族や名家なんかでは生まれてきた子供にシルシをつける家があると聞いたことがある。それはたいていその家の家紋で、その家の人間だという証明のようなものだ。
 どうして今までこんなことに気付けなかったんだろう?
「知ってる・・・の?」
 アルフェリアは脅えたような瞳をルークに向けた。
「まぁ、有名だからな。ってもそんなに良くは知らない。ソーサレスの名家ってことくらいだ」
 そこまで言って、やっとルークは気付いたらしい。目を丸くして、アルフェリアを見つめた。
「アル・・もしかして、ランディ家の人間なのか?」
 アルフェリアは黙ったままだった。その様子を見てか、ルークはふっと笑った。
「悪い、今聞くようなことじゃないな。まずはそれの治療が先だ」
 ルークはアルフェリアの怪我を指差した。
 行こうと言って立ちあがる。けれど、アルフェリアは立とうとしなかった。
「アル?」
 ルークが手を伸ばした。
 アルフェリアはじっと、ルークを見つめた。それから、もう一度自分の腕にある家紋に視線を下ろした。
 もしもこれが見つかったら・・・・連れ戻される可能性は充分にある。
 ―−-‐・・・・・・アルフェリアは、目の前で赤く燃えている焚き木に手を伸ばした。
 それはあまりにも自然で、そうするのが当然だとでも言うような雰囲気だった。だからルークの対応も遅れた。
「おいバカっ、なにやってるんだ!!」
 ルークが制止の声を上げた時、すでにアルフェリアはその炎を自分の右腕に押しつけていた。
 家紋が印されている少し上の位置にはさっきできた傷があった。包帯までもが燃え、傷口が焼けた。
 アルフェリアの表情が苦悶に歪む。ルークは自分の手が火傷することもお構いなしに、アルフェリアの手から焚き木を奪い取った。
「アル!」
 ルークの叫びに、アルフェリアは苦しそうな表情のまま呟いた。
「・・・こんなのいらない・・・・僕は、もう・・・二度とあそこには戻りたくない・・・・」
 アルフェリアの目から涙が零れ落ちる。
 ルークの表情が歪む。ルークがどんな想いでその言葉を聞いたのかはわからなかった。
 その時のアルフェリアにとっては、泣いたことのほうがよほど大事件だったのだ。
 涙なんて何年振りだろう・・・・・・・・。アルフェリアは、自分の指で涙を掬い取り、呆然とした様子でそれを見つめた。
 ルークがもう一度アルフェリアの名を呼んだ。
 けれど、その声はとても遠くに聞こえた。次に気付いたのは視界が、暗闇に堕ちていっていることだった・・・。


目が覚めて最初に目に入ったのは怒ったような、心配そうな・・・・そんな表情でこちらを見つめるルークの姿だった。
「ルーク。あ、あのっ」
 言いかけたアルフェリアを制止して、ルークは言った。
「いいから、今は休んどけ。もうちょっと回復したら怒ってやるから」
「・・・・うん」
 そうして、アルフェリアはゆっくりと瞳を閉じた。


 翌朝、アルフェリアは外の光に目を覚ました。
 ふいと視線を横に向けると、ルークと目が合った。
「よぉ、おはよう」
「・・・・おはよう」
 どこをどうやっても怒ってるようにしか見えないその表情に、アルフェリアは肩をすくめてルークを見つめた。
「アホかっ、てめぇは!!」
 ルークの大きな声にもアルフェリアはなんの反応も示さなかった。ただ、大人しく聞いていただけだ。
 ルークは言葉を続けた。
「ったく、いい加減にしろよ? あんなことして・・・・何考えてんだよ」
「だって・・・・」
 アルフェリアは目を伏せて、ルークから視線をはずした。そして、布団を頭の上まで引っ張り上げた。
 ルークが溜息をつく音が聞こえた。
「今すぐとは言わねぇが、そのうち話してもらうからな」
 それだけ言い残して、ルークは部屋から出ていった。
 それから数分後、部屋に壮年の男性が入ってきた。服装から察するにプリーストのようだ。
「こんにちは」
 彼は笑顔でそう言って、簡単な自己紹介をしてくれた。
「こんにちは」
 今にも泣きそうなアルフェリアの表情を見てか、彼―ケイと言うらしい―が苦笑した。
「彼は本当に君のことを心配していたんだ。言うほど怒ってないだろうから大丈夫だよ」
 そして、ケイはルークが自分を抱えてきた時のことを話してくれた。
 二日ほど前の明け方、大きなノックの音に扉を開けるとルークがいきなり飛び込んできたんだそうだ。
「一瞬強盗かと思ったよ」
 ケイは笑いながらそう言った。
 それほど、ルークは慌てていたという事だろう。
 治療している間もルークはうろうろと部屋をうろつきまわって、見かねたケイは術に集中できないからと言って外に出したのだそうだ。治療が終ったら終ったで、今度はずっとアルフェリアのそばから離れようとしなかった。
 その時のルークの姿を想像するとなんだかおかしかった。
 くすくすと声を立てて笑うアルフェリアに、ケイは安心したようににこやかな笑みを返した。
「どうやら元気になったようだね」
「うん♪」
 笑いはすぐには止まりそうになかった。ケイが去った後もしばらく笑い続けていたアルフェリアはふと、気付いた。
 出来ているではないか。自分は、ちゃんと笑っている。
 気付けば簡単なことだった。こんな簡単なことが出来なくなっていたなんてそれこそ大笑いだ。
 ただ、感じたことを素直に表わせばいいだけだ。それはとても難しいことだが、きっかけさえあれば・・・・その感覚を思い出すことができさえすれば何より簡単なことでもあった。
 それからしばらくして、ルークが戻ってきた。
 ルークはアルフェリアのあまりの変わりように目を丸くした。
「なにがあったんだ?」
 そう聞いてきたルークに対し、アルフェリアはとびきりの笑顔で答えた。
「思い出したんだよ!」
 そうして、アルフェリアは約束通り、ルークに自分の身にあった全てのことを話した。
 誘拐まがいでランディ家に連れていかれたこと、そこであった全てのこと、そしてその家を出るきっかけとなった事件も。
 戻りたくないという気持ちは変わってないが、もう、自分の腕を傷つけてまであの家紋を消そうと思うまでには追い詰められていなかった。見つからなければそれで良い。
 ルークはぽんとアルフェリアの頭に手を置いて黙り込んだが、それも短時間だけ。すぐにいつものルークに戻った。
「アルがもうちょっと回復したら出かけよう。面白いもんたくさん見せてやるからさ」
 それはルークなりの励ましだったのだろう。アルフェリアはにっこりと笑って頷いた。


時の経つのは早いもので、アルフェリアがルークと出会ってから五年が経過した。
 二人はクラリアットの城下町に訪れていた。
 その宿の一室、アルフェリアは一人でルークの帰りを待っていた。
 数日前だったろうか、どっかに仕えているらしい人間が宿に訪れ、ルークに手紙を持ってきたのだ。その中身は知らないが、多分ルークはその手紙のことで出かけているのだろう。
 夕闇迫る窓の外をぼーっと見つめていると後ろで扉の開く音がした。
「おかえり、用事ってなんだったの?」
 言いながら振り向くと、ルークはベッドに腰掛けて荷物を下ろしているところだった。
「城に行かないか、ってさ。それだけ」
「城に・・・って・・・お城の騎士になるってこと?」
「断ったけどな」
 そういえば自分はルークの生まれも何も知らない。あの言い方からすると城から誘われたわけではなく、他の誰かから誘われたのだろう。
 この街に城に仕えているような・・・身分の高い知り合いでもいるのだろうか?
 でなければそんな誘いは来ないだろう。
「すごいじゃん、何で断ったの?」
 その問いに対して、ルークは城仕えなんて性に合わないとだけ言った。
 アルフェリアとしては多少納得のいかない部分もあったが、本人がそう言うなら自分は何も言えない。

 その翌日、宿に一人の青年が訪ねてきた。
「ルークに用事?」
 アルフェリアはこの街に知人などいない。用事があるとすればルークの方だろう。けれど、彼はルークではなくアルフェリアに用事があると言った。
「僕に・・・?」
「ああ、そうだ。ルークが城仕えを薦められたのは知ってるか?」
「・・・・知ってる」
「ルークは君を放って置けないからまだ城には行けないと言ったんだ」
 まだ?
 なんだか城に行くことが確定しているような言い方だ。
 アルフェリアの疑問に気付いたのか、彼は驚いたような表情で尋ねてきた。
「まさか・・・知らないのか?」
「? 何を?」
「ルークの生家だ。彼の家は代々城に仕えている騎士の一族だ。たいていの者は城に仕える前に自分の腕を磨くため何年か旅に出る」
「じゃあ、ルークは僕のために断ったってこと・・・?」
 誰に問うでもないその言葉に、彼はゆっくりと頷いた。
 そうして、アルフェリアは理解した。彼は、言いに来たのだ・・・・・・・・・ルークから離れろ、と。
「・・・・・わかった」
 そう答えると彼は去っていった。
 
 わかったというのは彼の意図がわかったという意味だ。
 ルークのことを考えるなら離れた方がいいのだろう。けれど今すぐ・・という気にはならなかった。
 その日の夕方、ルークは少しばかり酔って帰ってきた。
「悪いな、出かけてばっかで」
 すまなそうに言うルークに、アルフェリアは笑って答えた。
「仕方ないよ、ルークはここの生まれなんでしょ? 久しぶりに会う友人だっているだろうし」
 ルークがはじかれたようにこちらに目を向けた。
「どこで聞いた・・・?」
「今日、ここに人が来た。その人に聞いたんだ」
 ルークはその人は他になにか言ってなかったかと聞いてきたが、アルフェリアは答えなかった。
 その人は、たんにルークを訪ねてきただけだと答えておいた。
 ルークはそうか、とだけ言った。
 その日は気まずい沈黙の中で一日を終えた。


 翌日・・・まだ真夜中という時刻。
 アルフェリアはそっと宿を抜け出した。
 面と向かって出ていくと言えば絶対反対されるだろうことがわかっていたからだ。
 ルークの足手まといにはなりたくなかった。自分が居ることで足手まといになるなら離れよう。そう、思ったのだ。
 ・・・ほとんど家出だな。
 アルフェリアは自嘲気味に笑った。
 ルークに心配させない様に――どうやったってどうせ心配するだろうけど―置手紙も置いてきた。
 そうして、アルフェリアはその日のうちに城下町を離れた。
 とりあえずクラリアットを離れるつもりだ。


 そして、それからさらに数週間後・・・・・
 慣れぬ一人旅は大変なことが多かったがなんとかここまでたどり着いた。
 まぁこれからもなんとかなるだろう。
 そんな風に考えながらアルフェリアはそこに立っていた。
「ふぅ・・・・。やっとここまで来たか、長い道のりだった」
 確かにある意味長かった。
 この数週間の一人旅で、アルフェリアは今まで自分がどれだけルークに頼ってきたのか思い知らされた。
 もうルークはいない。それは自分で選んだ道だ。
 アルフェリアは自分に気合を入れて、キッと正面を見つめた。
 その視線の先にはストレシアの街並。ストレシアに入って最初の街である。
 と、同時に別のことにも気付いた。――・・数人の通行人が遠巻きにこちらを見つめていた。
 入り口で感慨にふけっている姿は変な人以外の何者でもなかった・・・・。
 と、そのうちの一人と目があった。いかにも胡散臭い者を見るような表情だ。
「・・・・あの、僕――じゃないっ、おれは別に怪しいもんじゃ・・」
 思わず言っても仕方ない言い訳を口に出してしまい、さらに気まずい雰囲気が流れた。
 アルフェリアはそそくさとその場を後にし、街中へと入っていったのであった。