マッドサイエンティスト『猫化大作戦』2



どうしてこんな事になってしまったんだろう。

二人は目の前に口を開けた底の見えない奈落の底のような崖を見て盛大な溜息をつい

た。

「まず、材料は……コケラの実とアリュセイラの肉、だってさ」

そこまで読み上げて事の重大さに気付いたらしく、顔面を蒼白にした。

(こんなもん、用意できるかああ!)

心の中で、大絶叫。だが、ワイズも同じことを考えていたのか、ただでさえ白い顔

が、真っ白になった。こままま紙を破り捨ててどこか遠くに逃げてもいいが……シェ

ンリンなら追ってくるだろう。そして、恐ろしき実験台とされるのである。

それだけはゴメンだ。互いの意思を確かめ合うと、運命共同体として行動を共にする

ことを誓う。

「で、とりあえずはどっち用意するの? 僕は……コケラの実がマシだと思うけど」

「あ、やっぱり? そうだよね、探すのは大変だけど危険はないもんね」

何しろ、アリュセイラの肉は泣きたくなるほど有名な危険毒物(シェンリン談)であ

る。

薬物の名前などてんで知らない浅緋でさえ知っていると言う代物。それを考えると

――コケラの実は一番マシ、と言うべきだろう。

――コケラの実。

それは、ある一帯にしか生息しない幻とされる低木、コケラ。さらに、十年に一度し

か咲かせない花、おまけに交配率が恐ろしく低いいため実など幻中の幻。だが、浅緋

はシェンリンがそれを手に入れ含み笑いをしていたことがあるのを知っている――わ

ずか12歳のときのことだ。

その笑みは大変恐ろしかったし、浅緋を実験台としなかたのでその効能は不明だ。だ

が――ワイズの話では食事を持って行かされたとき(こういう時、滅多に実験台とさ

れない歳の離れた弟はシェンリンへの橋渡しの役割をさせられる)わずかに開いたド

アの隙間から恐ろしい悲鳴が聞こえたと言う。

だが、アリュセイラの肉にくらべればマシだった。

アリュセイラの肉については、あとでおいおい触れることとしよう――

「さすがに何の手がかりもなしは無理だと思ったのかな、一応注意書きが付いてる」

必要なものリストの紙には、付属説明として見つけやすい場所がある意味達筆で書か

れていた。

「んーと、第一候補は……これ、なんて読むのかな……め、瞑慧の峡谷、かな」

二人は一瞬考え込み、同時に思い出した。

『はあああ?!』

瞑慧の峡谷――テーヴァとアスリースに国境線沿いに連なる山脈と山脈の間にある、

一部で有名な峡谷だ。上から見ると谷底が見えないくらい深く、えぐれているとい

う、山登りの物好きたちにとっての観光名所だったりする。

だが、見る分には最高であっても、そこに生える木が目的の浅緋たちにとっては命が

危ないところであった。

それでも、これが第一候補……もしかして、彼女は嫌がらせをしているのではないだ

ろうか。

彼女の性格を考えれば、それは充分ありうることであった。

「ほ、他に無いのかな」

なかった。

二人は甘かったのだ。シェンリンが、わざわざアスリースやらラジアハンドやらにわ

ざわざ長旅に行かせるような真似をするわけがなかったのである。

そして、今に至る。

情報通り、底が見えない。崖の角度は90度以下である……直角でも降りれないと言う

のに、更に上のほうが突き出ているとはどういうことか。

「うう、ここを降りるの?」

唯一幸いなことは、一応コケラの木が生えており、なおかつ実もできていることだっ

た。

「し、仕方ないよ……殺されるよりひどいことになりたい?」

ワイズの首がとぶんじゃないかと思うくらい思いっきり振られる。

よし。

覚悟を決める。

もう一つ幸いなことなのは、浅緋の琵琶が、特別製の強力な絃である点である。これ

は、楽器つくりの名人であるシェンリンらの兄と、シェンリンがいろいろと(中身は

怖くて聞けなかった)行って細く、しなやかな絃に仕上げられた、ある意味折り紙つ

きの琵琶である。つまり、それを上手に使うことができれば、降りずにすむかもしれ

ない。仮に降りなければならないとしても、危険度がかなり軽減される。

それは、大変喜ばしいことであった。

足を前に滑り出し、ぱらぱらと下に落ちていく土を無視して下を覗き込む。コケラの

木は根深く張っているらしく、そこまで行くことができれば、安全なようである。だ

が、この場合、そこまでにの道のりが大変なのだ。浅緋は自ら琵琶から絃を外し、腰

に装着した革製のベルトにくくりつける。

この辺りで一番太く、安全そうな木に絃の端をくくりつけ、さらに固定剤を塗りた

くった。同じように、ワイズの腰にもくくりつける。

二人は下を見ないようにして、崖の端まで足を進める。

『せーーのっ』

ヤケクソの掛け声で、一気に下へと飛び降りる。うまいこと張り出した枝に引っかか

り、そこにもう一度絃をくくりつける。

そんな調子で、二人は手際よく崖をくだって行った。

コケラの木の側にまで足を伸ばす。落ちて折って、あげくのはてに実を潰してしまっ

ては元も子もない、慎重に右足を伸ばして木の根元に靴を乗せる。後ろを下ってきた

ワイズも、髪の毛に土を被りながらも浅緋とは反対側で一息つく。

「ふぅ」

「これで、どうにかとれたね。えっと……5つくらいあればいいのかな?」

「ちょっと待って書いてあったはずなんだ、と。うーんと、3つくらいでいいみたい

だ――ああっ!?」

ぼきりと、嫌な音が足元で、した。

ワイズの体が後ろ向きに倒れる。足が空をかき、全てがスローモーションで動く。

「ワイズっっ」

浅緋はどうにかワイズの右手首を掴んだものの、浅緋も持久力はなかった。ずっと、

掴んで入られない、早急な決断。

「よし。ワイズ、切り離すよ」

「……わかった」

背中に背負った琵琶の絃を一本上に引き上げ、止め具を外して付け替える。

命綱が。

「一気に降りるよ」

「わかってる」

意を決し、二人は木から飛び降りた。

命綱が、底の手前で止まることを祈って。

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さあ、次は肉狩りです(何