Baroqueheat【孤独の中の神の祝福】



「こんな子供がロードソーサレスに選ばれただと!?」
 ロードソーサレス選出の試験の後、僕にぶつけられた最初の言葉はソレだった。
 初老の重臣だ。
「しかし彼が候補に挙がったソーサレス達の中で頭一つ抜きん出て強い魔力を持っているのは事実です」
 重臣の言葉を止めたのは一人のロードソーサレスだった。
「マトリカ。そうは言うが…」
「もうお黙り下さい。元々我らロードソーサレスは年や家柄ではなく実力で選ばれるもの。
 彼の魔力は見たところ私よりも上。陛下も異論はないと仰いました。
 それに家柄に不満があるのならそれは無用の心配です。彼は」
 確か、国王直属のロードソーサレス。
 名はマトリカ=フォルツァートと言ったか。
 まだ年若い褐色肌に縞瑪瑙の髪をした男だ。
「彼はバロックヒート=スフォルツェンド。ラジアハンドの名門の家柄です。
 なにより、彼を正式な直属と決めるのは私達ではなくこれから彼が仕える事になる、ビショップ、ロスト猊下が決める事。そうでしょう?
 歓迎致しますよ。新たなるビショップ直属のロードソーサレスよ」
 そうして差し伸べられた手に、嫌な既視感を覚えて僕は顔を歪めた。




 簡単に言えば、自分は人間じゃない。
 スフォルツェンド家の連中だって驚いたのだ。
 なんの魔力も持っていなかった一人息子“バロックヒート”の変貌ぶりに。
 それは“バロックヒート”が暗殺されて一度死んでから変わった。
 周りは奇跡的に命を取り留めた、と思っているけれど。
 本当の“バロックヒート”はもう死んでるんだよって。  僕は死んだばかりの新鮮な死体を、自分に相応しい器を探してその身体に入り込んだ悪魔に近しい存在なんだよって。
 そう言ったらどんな顔をするだろう。まあ“僕達”の存在なんて普通の人間は信じるわけもないが。
 “僕達”はとても不可思議な存在だ。
 死体寄生者(バロック)と呼ばれる存在―――――――死した身体に入り込みその身体を器としこの世界を生きる。
 生き返ったとか、思われるのも無理はない。
 実際、僕達バロックが入り込んだ時点でそいつの身体は実質生き返る。
 ただ、心臓が鼓動を打つのを再開するだけ。
 だから身体は死人のままで冷たいし体温なんてものはありゃしない。
 だから心臓が動いているだけの死人の身体である以上、バロックの身体は成長しないし出来ない。
 僕の今の器、バロックヒートの身体は13歳の年齢で止まったまま。
 さていつまで動き続けるかな。
 でも上手くやれる自信はいつだってあった。
 僕達バロックには特殊能力があったし、人間から見れば驚異的な魔力を持っている。
 だから、僕が仕える事になった相手に会った時は、驚いたよ。

 それはビショップの部屋で。
 承認の儀式を受ける前に彼に会う為にその部屋を訪れた時だった。
 固く閉じられた扉をノックすると柔らかい声が返ってきた。
「ロスト猊下。ビショップ直属に選出されたバロックヒートです」
「どうぞお入りなさい」
 同時に固いと思っていた扉が簡単に開いた。
 聞いたことはある。ビショップや国王の部屋の扉はある例外を除いて、部屋の主人の許可がない限り絶対に扉が開かないような魔法が掛かっていると。
 その室内で、書類をテーブルにおいて僕を見下ろす、黒髪に水色の瞳のエルフ。
 真っ直ぐに僕を見て、微笑んで。
「初めまして。ロスト=グロリオ猊下。
 本日より貴方にお仕えする事になりました。
 バロックヒート=スフォルツェンドと申します。
 見ての通り若輩者ですが…」
 言った。
「君は面白いフェイクを被っているね?」
 傅(かしづ)いてそう言った僕に、告げられた言葉はなんて。
 傅き彼を見上げたままの僕に、遠慮なく近づいてきて彼は僕に手を差し出した。
「握手ですよ?」
「あ、はあ」
 思わず間の抜けた声で答え、その手に自分の手を重ねた僕にまた彼は微笑んで告げたのだ。
「冷たい手……。君はもしかして“生きているのに死んでいる世界の住人”かい?」
 …バロックが、そう呼ばれている事もある。
 でも、見破られるとは思わなかった。
『おや驚いた顔を出さないのは流石だけどそう凍り付いたような顔をされては一緒だね』
 聞こえたのは彼の心の声だ。
 他人の心が読める。バロックの特殊能力の一つだ。
 手は繋いだまま、立ち上がり僕をも立ち上がらせてそれでも身長の低い僕が結局見上げる形になった彼は穏やかな顔をして優しい声で言う。
「自己紹介が遅れてすいません。私はロスト=グロリオ。このアスリースのビショップです。これからよろしくお願いしますね」
「…よろしくお願いします」
 この時の僕の心境は迂闊だった、だ。
 まさかバロックの存在を知っていて一瞬でソレを見抜ける奴が居るとは思わなかった。
「でもどうしましょう? 君はそれなりに長く私に仕えてくれるんですよね?」
「それは勿論ですが」
「じゃあ君の身体が成長しないのは不自然でしょう?」
「…………」
 いいや、開き直れ。
「そういう存在だからだよ。不味い時には精神的な病で成長しない身体になってしまったって言えばいい。そんなの朝飯前だろロスト様」
「開き直りましたね。まあその方が気を使わなくて楽ですが。
 ああ、そういえば承認の儀をする前に君に聞きたい事があるんです」
「なに?」
「君の本当の名前は?」
 彼がそう訊いたのは、僕のバロックヒートという名が所詮この身体の物であるからで。
 けれど僕は素っ気なく返した。
「忘れたね」
「……合格。度胸も充分ですし手が冷たいことくらいは新陳代謝が悪いとか言っておけば済みますよ。じゃ、行きましょうか? バロックヒート。私のロードソーサレス」
 そう言って僕の死人の手を引いてくれたロストを。

 多分僕は、それなりに気に入っていた。
 980年の事だ。





 985年。
 書き置きもせずにいなくなった自分の主君を探して廊下を歩いていると背後から抱きつく勢いで引き止められた。
「………マトリカ? いい加減僕にボディランゲージするの止めてよ」
 国王直属のロードソーサレスにそう言うと、彼は素直に離れてくれた。
「お前相変わらずちっこいな。冷たいし。ちゃんと物食えよー。今18歳だろ?  男の成長期はこれからだぜ?」 「あのねぇ…」
 溜息をもらさずにはいられない。
「マトリカ。僕だって好きで小さいんじゃないよ。
 でもね、君もう少し落ち着き持ったらどう?」
「いや? ジーニウス陛下の前ではちゃんと礼儀正しくしてるぜ」
「ようは猫かぶりだろ」
「そう言われると身も蓋もない。
 で、なにやってんだ?」
「……………ロスト様がいなくなったから探してんじゃん」
「はあ? ちょっとどっかに引きこもっただけじゃねえの?」
「…マトリカ? ロスト様は狭いところを好んで入る猫じゃあないんだよ?」
「ちょ、バロックヒート。この身長差で襟首掴まれると首が苦しい」
「それを承知の上で」
「やってるんだろう? バロックヒートは」
 背後からそう言って現れたのは無属直属のロードソーサレス、ロイド=ランディだった。
 藍色の髪と藍色の瞳の19歳の青年だ。
「ねえロイド。ロスト様見なかった?」
「いや、見ていない」
「っかしーなー。何処行ったんだろ奴は」
「仮にも自分の主を“奴”呼ばわりするのってお前くらいだよなバロックヒート」
「べぇっつにー。だって僕奴に敬語使ってないもん。タメ口万歳。あっちが黙認してるんだからいいじゃん」
「…前から思っていたが忠誠心が足らないような気がするのは俺の気のせいか?
 それは俺は一年前にロードソーサレスになったばかりの新参者だから前からという言い方はおかしいかもしれないが」
「お、珍しく饒舌じゃんロイド。別に僕忠誠心足りてないわけじゃないよ。  ロスト様は好きさね。ただフランクな感じの方が、お側にいやすいのさ。  ただでさえ奴は約五百年近くビショップやってんだし」
 明るいマトリカと無表情だが本当は優しいと判るロイドと、ロストと。
 思えば、この頃が楽しかった。  自分が人間じゃないバロックだって事も忘れるくらい。  それは楽しい日々だった。


 雨が降った。
 僕が探していた人はその本人の部屋にずぶ濡れの状態で佇んでいた。
 腕の中に、血に汚れた小さな有翼人の少年を抱いて。
「…ロスト、様?」
 間抜けにも、それしか言えなかった。
 駄目だね、とロストは言った。
「…いつも…つまらないものばかり愛して…増えては困る猫ばかり拾ってた……。  バロックヒート…君なら判るでしょう? この子の事が。  だから、黙認して下さい。この子は私が守りますから」
 ロストと同じように雨に濡れ、血に汚れた大きな白い翼の少年。
 僕に気付くと、恐怖の色をその顔一杯に浮かべた。
 ああ、判るよ。
 伝わる。君の心。
 恐怖。罪悪感。自責。憎しみ。死へと落ちそうな危うい感情の奔流がその少年から流れ込んでくる。
「…君は大切な物を人間に奪われたんだね…。  怯えなくていいよ。僕は人間に見えるけど人間じゃないから。…ネヴィル」
 少年の心が読めるからこそ、判った彼の名前。
「…………………ちがう?」
「そう。君は知らないと思うけど僕は悪魔に近しい存在なんだ。 ロスト様以外は皆人間だと思ってるけどね。  そのうち君にもはっきり判るんじゃないかな?  僕はずっと、成長しないから。見てれば判る」
 そう言って自嘲に近い笑みを浮かべると、僕は自分の肩より短い黒い髪を指先で軽くつまんだ。 「髪も伸びないしね」
 ねえ君の瞳にはどう映る?
 同じ年頃の子供にしか見えない、君と同じ金色の瞳を持った僕が。
「ロスト様。カイザード殿下に頼まれたんだろ?  その子助けてくれってさ。僕に頼んでくれてもよかったのに。馬鹿だね」
「…確かに、貴方もレージラールを使える存在ですけどね。  ネヴィル、彼はバロックヒート。僕の…共犯者ですかね?  本当に人間じゃないですから安心していいですよ。ただ、これは口外無用で」
 まだ信じ切ってはいないネヴィルを抱き締めて、大事そうに抱えるロストの姿が、僕には少し羨ましかった。




「ビショップ承認の儀式、無事行われた事を心よりお喜び申し上げます。  新ビショップ、ネヴィル猊下」
 987年。
 14歳の幼さでビショップとなった銀色の髪と金色の瞳の有翼人、ネヴィル=ガールゴートの前で傅いて、僕は儀礼として頭を下げた。
「ロスト猊下より引き続き、貴方の直属はこのバロックヒート=スフォルツェンドが勤めます。どうかその御手のささやかなる導きとならんことを…」
 くすり、と頭上から笑い声が聞こえたので、僕もぶっと吹き出して立ち上がる。
「ここら辺で猫かぶりは止めておこう。これからよろしく。ネヴィル様」
「よろしく。バロックヒート」
 このアスリース王宮に初めて来た時とは違い、ネヴィルは随分笑うようになったとは思う。  それが心からのものではなくても。  自らビショップの道を選んだのだから、そうであってなくては困る。

 強くあって。

『今は憎悪しかなくても、いつしかあの子は自分の周りにある愛情に気付いてくれると信じているから』

 ロストの言葉が蘇る。

 今はもう、僕には向けられていない憎悪は未だネヴィルの中にあるけれど。
 僕に向けられないのはネヴィルが僕が本当に人間じゃないと判ったからだ。
「…本当に、君の手は冷たいね」
「死人だからね。身体は」
「…本当に君が人間じゃないって納得したのは雪が降った時だったよ。  君の手の平に雪が落ちても溶けてはいかない雪の欠片を見て、ああって思った」
「体温がないからね。溶けないよ。僕の手じゃ」
「君は、ずっとここにいるの?」
「…わかんないね。僕は自分が怪我をしないよう…血を流さないように気を付けてきた。  心臓が動いててもそれだけで僕の血には限りがあるからね。食事したから血がまた新しく造り出されるわけじゃなし。絶対量があるからそれが一定量流れ出ちゃったらこの身体も捨てなきゃだからね。  第一僕回復魔法効かないじゃない。それはおかしいでしょ端から見たら」

「ねぇ、ネヴィル。今はまだこの城にいてくれてるロストも近いうちいなくなる。  僕も多分、そのうちに。  君はどんどん成長していくだろうけど、その時はバイバイじゃなくてまたねだったら素敵だなって思うよ」

「……考えとく」
「あ、保留にしやがった」
 暖かく降り注ぐ日差しの温もりも僕には無意味だけど。
 君達と笑い逢えるこの日々はとても美しいと思うよ。
 神様なんて信じてないけどねえ。
 僕が生まれた意味があるのならどうか。

 孤独の日にも、その祝福をどうか――――――――――――――




 それから数年経って、ロストの行方は知れず、ロードソーサレスにも移動や変更があった。
 今まで国王直属のロードソーサレスだったマトリカ=フォルツァートが辞任し、新しい国王直属に無属のロードソーサレスだったロイド=ランディ―――いや今はロイド=ロックスが就任した。
 ロイドはマトリカの実家であるアスリースの名門家の令嬢、リエラ=フォルツァートと結婚しランディ家からもフォルツァート家からも独立し新たにロックスという家を造り上げ、あっという間にそのロックス家を有力貴族にしてしまった。
 少々シスコンの気があったマトリカは姉であり長女でもあったリエラをロイドに取られてさぞ悔しい事だろう。
 それから空席になった無属のロードソーサレスに就任したのはシュミット=アヴィディアという名のアヴィディア家の長女だ。
 えらく綺麗な金色の髪をしていたのを覚えている。
「シュミット。就任三日目はどう?」
 廊下で彼女を見つけたので駆け寄って笑いながら声を掛けた。
 銅色の瞳が振り向いて、僕を見つける。
 991年。黒月。
 ビショップとなったネヴィルも17歳になった。
 確か彼の誕生日は黒月の五十日だからもうすぐ18歳になる。
「ああ、…貴方は」
「僕はバロックヒート=スフォルツェンド。ビショップ直属ロードソーサレス」
「そうでしたね。確かビショップ直属の方は随分幼い風貌の方だと聴いていましたので」
「しっつれいな。僕これでも24歳だよ? そりゃ10歳くらいにしか見えないだろうけど」
「あ、それは失礼しました」
「ま、いいけど。知ってんでしょ? 僕が精神的病で成長が止まってる事」
「…はい」
 少し罰の悪そうな、すまなそうな顔をした彼女の足を軽く踏んで、大仰に指さすと胸を張って言ってやる。
「そういう顔しない。君16歳でしょ? ロードソーサレスだからって風当たり結構キツイからねそれなりの度胸がなきゃやってらんないよ。  それから僕とは同僚。敬語はなし。いいね」
「………わかったわ」
「よし。その笑顔は及第点ね。
 さて、国王直属のロイドには会った?
 あいつ堅物だから自信なさげな顔してっと“帰れ”って言われちゃうよ。
 礼儀作法は君はアヴィディア家の令嬢だから心配してないけどね」
「そういうバロックヒートだって。スフォルツェンド家はかなりの名門だと聴いているのに。随分砕けているみたい」
「公式の場ではちゃんとするよー。ネヴィル様といい奴といい失礼な」
「…奴?」
「ネヴィル様の前のビショップ。ロストっての」
「………奴呼ばわりしてるの?」
「僕昔っからこうよ? ロストがビショップだった時もネヴィル様に対してもタメ口だったかんね。ビバタメ口。ま、流石に陛下にタメ口はきけないけど」
「………………、」
 隣で苦笑しているシュミットが居る。
「さて、今年はエリヌース祭だよ? 順番からして魔術班の責任者は僕なんだ。
 あれ面倒くさいんだよねー。遊べないし」
 いつまで、僕はこの日溜まりの中にいられるだろう。
 望みが、膨らむばかり。
 ねえ、迷ったって、僕は一つ目の角くらいなら目をつぶったって曲がれるよ。
 ねえもう少し。このままで。




 崩壊の時はなんてあっけない。
 995年。
 僕より一足先に、一年前にたった三年間のロードソーサレスを勤めたシュミットはラジアハンドの有力貴族の家に嫁ぐ事が決まり、辞任。
 新たな無属のロードソーサレスはクラリアットの貴族出のイライザ=ロンフォード。  彼女との付き合いもたったの一年。
 今度は、僕の番。
 もうちょっと、長くいたかったけどね。此処に。
「…………それが、いいんだろ?」
「………良いの? だって、こんなの僕の我が侭だ。  僕は、…藤が生きていてくれたって判っただけで…」
「君はもっと貪欲になるべき。欲しいなら欲しいって言ってごらん。  本当は会って、側にいたいんでしょ?」
「…………また、読んだ」
「………最後だから、大目に見てよ。  …それに僕は世間的にはもう28歳なんだ。  いい加減、無理がきちゃったんだよ。欺き続けるには。  …だから最後のプレゼントをあげるから、君は…僕を忘れないで」
 少しだけ顔を歪めたネヴィルに僕は翼もないのに宙を飛んで、その額にキスをした。
「僕が“バロックヒート”じゃなくなっても…僕を見つけてね。


 大好きだよ。僕のビショップ様」




 そして僕は辞任して、後継にネヴィルの兄弟であり幼馴染みである、ネヴィルが唯一憎まない人間である遙 藤を選んだ。
 勿論他にもロードソーサレス候補はいたけど藤の実力は結構なものだったし僕の推薦とネヴィルの希望もあって、彼は晴れてビショップ直属のロードソーサレスとなった。
(ま、僕には及ばないけどね)

「じゃ、これからネヴィルをよろしく」
「言われなくても」
 握手をして、ネヴィルの部屋へと急ぐ藤の背中に、僕はアスリース王宮から去る為に足を外へと向けながら言った。きっと彼には届いただろう。

「君の隠し事はなによりネヴィルに対して辛いよ…」

 足を止めた彼の背中に笑みを零して、僕は廊下を歩き出す。
 さあ、さよなら。
 僕への餞別はネヴィルがくれた言葉。

『きっと、またね』

 うん。またね。
 いつかまた会う日。
 神様が目に入った塵で眼をつぶっている間に、約束だよ。
 僕を見つけてね。


 僕はいつでも、孤独の中で、君という神の祝福を待っているから。




 END