Lloyd【The Song of "Wish You Were Here"】



『                             
                               』

 アスリース王宮。
 中庭に面した回廊で、そっと、小さな声で歌う。
 誰かから聴いた、ああ、そうだ。
 彼女が大好きな歌。
 自分が歌うと喜ぶから、自然、覚えてしまった。
 誰もいないと思っていた。
 だから、ふ、と。
 その自分の声に重なるように、けれど邪魔しないように。
 女にしては低く、男にしては高い声で、ささやくように歌ってくれる声に。
 気付かない振りをして、しばらくその誰かもわからない相手と歌っていた。

『迷ったみちで手を繋ぎ きみとはしった。
 おおげさに転んで泣くきみを ぼくはわらっててをのばす』

(……あ)

 今まで自分も相手も、異国語で歌っていたのに。
 此処に来て、相手がこの国の言葉で歌い始めた。
 でも悪い気分じゃないと思った。
 が。


「随分と濃い面子で合唱だな」


 いきなり第三者に声を掛けられてそれは驚いた。
 それは相手も同じだったようだ。
「…か、カイザード陛下」
「こんな所で…。歌が聞こえるから誰かと思えばロイドはともかく」
 黒髪に独特の瞳を持った若き国王陛下は、ふうんと言いたげに、そこで自分のやや後ろに立って一緒に歌っていた相手を見て笑う。
 そこで自分も今まで一緒に歌っていた相手が誰だかを知って、また吃驚した。
「…お前まで歌好きだとは思わなかったぞ? ネヴィル」
「……ネ、ヴィル猊下」
 そう、そこに立っていたのは銀色の髪に金の瞳。
 大きな白い翼を持つ有翼人のビショップ、ネヴィル=ガールゴート猊下だった。
「いいじゃないですか。ロイドが歌っているのは久しぶりに見たのだし。
 丁度知っている歌だったので」
「それにしては随分声が違ったな。こうして話している時は普通に低いトーンなのに。
 お前は歌になると声が高くなるのか?」
「そうじゃないんですか?
 そんな事仰るなら陛下が歌って見せて下さい」
「猊下…!」
 笑顔で調子に乗るネヴィル猊下を諫めるような言葉を言っておきながら、確かに。
 と思った。
 普段、ネヴィル猊下の声はそう低くもなく高くもない。
 中性的な声だ。
だが先程歌っていた声音は、まるで女性のように高く響いていて。
 歌っている時と喋っている時の声のトーンが違うという話は本当だったのだな、と思う。
「ほう……いいだろう。ただしお前が絶対に知らない歌を持ち出してやるからな?
 それでも出来るんだろうなネヴィル?」
「嫌ですね本気にしないで下さいよ陛下」
 お互い笑って(でもどこか怖い笑顔で)話している二人を見て、ロイドはふと。
 そういえば、このお二方は奇妙に仲がおよろしいのだった。
 と。
 カイザード陛下はまだ、殿下と呼ばれていた頃から、常に自然体で何を隠すでもなく自分や猊下に接していた。
 が、猊下は違う。
 常は、礼儀正しく、穏やかで博愛的な態度で皆に接していらした。
 それが、陛下と二人きりの時には崩れる事があるという事を知っている。
 いつだったか。
 猊下が平然と陛下の事を呼び捨てで、タメ口で話していたのをうっかり聴いてしまった事があるからだ。だが陛下の方は、それに気分を害した様子もなく、逆に楽しそうに話していた。
 猊下の直属のジグレットはこんな事を言っていた。

『ネヴィル様と話していると……時々疲れるんですよねえ…………。
 ギルバートはもう慣れているから平気なんでしょうけど』


 証言1。

 おそらく、ジグレットや自分の護衛騎士、ギルバートの前では自然体で話しているのだろう。猊下も。  そう考えて、ふと。
 何故か寂しくなった。少しだけ。
 自分は陛下の直属。
 なのに、猊下にも自然体で接して欲しいと思うのは、
 妙な我が侭だろうか?
 それに多分、自分はやっぱり妙な嫉妬をしている。
 男が女に、女が男に、向ける類の嫉妬ではない。
 ただ、仲間はずれのような。
 親友を取られたような。そんな子供じみた嫉妬で。
 誰もいない場所では自然体で話しているだろう、陛下と猊下を、羨ましく思った。
 こんな事を無属のイライザに言ったら。

「それ貴方、ただの馬鹿よ?」

 と言われるのが予想できるが。

 そうでなくても。
 ああ、そうか。
 未だ何かを話しているカイザード陛下とネヴィル猊下を見て、俺は何となく納得した。
 陛下は、何故か。
 猊下の事を特別に思っているようで。
 その猊下が、陛下に対してはどうなのかと思うと。
 何処か壁があるような気がして。
 陛下が少し、可哀想だなんて思う。
 そんな感情は間違っているとわかっているけれど。
「ロイド? 何を呆けているんですか?」
「あ、いえ。猊下。少し考え事を…」
「考え事? そういえば、貴方がいつも歌っている詩も、必ず同じものですよね」
「…そんなに見ていらっしゃったんですか?」
「ロイド。ネヴィルは単に暇なだけだ」
 ああ、なんだろう。
「……それは、…ああこれは私事なのですが。
 …妻の、好きな歌なので」
「ああ、リエラ姫の」
「でもよく猊下。あの歌の訳をご存じでしたね」
 そう問いかけたら、猊下は何故か少し俯いて。
 訊いてはいけない事だったかと。
 思ったから。
「…………思えば、その妻との事は…落ち着くまでが大変だったんですよ」
 きっと、意味のない昔話を始めた。



 かつては、ロイド=ランディという名で、無属のロードソーサレスを勤めていた自分。
 その時国王直属のロードソーサレスが、マトリカ=フォルツァートという、アスリースの名門貴族の一つ、フォルツァート家の長男だった。
 彼は気さくな性格で、堅いとよく言われる自分をからかっては笑っていた。
 その彼がよく、誉めすぎだろうと思うくらいに誉めちぎる存在がいて。
 それが、リエラ=フォルツァート。
 透き通るような赤い髪の、凛とした女性だった。
 自分はランディ家と言っても傍系。
 そしてフォルツァート家はアヴィディア家と違い、ランディ家と仲が悪いわけではなかったので、ある時仕事の延長でフォルツァート家に立ち寄った。
「どうだ。結構立派なもんだろ?」
「そうだな。マトリカがよく自慢するのも判った気がする」
 居間に通されて、紅茶を飲みながら、仕事の合間に他愛ない話もした。
 嫌いではない相手だった。
 ただ。
「それでさ、リエラ姉がすっげー優しく手を撫でてくれてさ!
 気を付けてね、って! 気を付けてね、って!
 あの白い細い女神のような手で!
 言うんだよ!
 これが至福って奴だよな!」
 一度始まったら仕事の話を持ち出しても止まらないこのマトリカの姉自慢。
 はっきり言えばシスターコンプレックスという奴だ。
 その日もエキサイトして語るマトリカの手が、勢い余ってカップに当たり、中身が零れてテーブルの上に置いてあった書類にまで及んだので、流石のマトリカも驚いた。
 というか焦った。
「うわ! 悪いロイド!」
「いや、これはもう提出した奴で、これは俺個人が確認の為に持っているものだから大丈夫だ。あとで別紙に書き写せばいいだけの話だし…」
 それでも謝るマトリカと、とりあえず書類をソファに退かして、流れる紅茶をどうにかしようと思った時。  白く、細い手が横から。
 伸びてきてテーブルの上をゆっくりと、拭き始めた。
 赤い、透き通った髪。
 彼女は微笑んでこう言った。
「御免なさいね。ロイドさん。
 うちの弟、そそっかしくて」
「リエラ姉……!」
 それが初対面だった。
 その後、汚れてしまった書類を書き写すのに、マトリカが部屋を貸してくれるというので、その部屋まで行くのに案内してくれたのは彼女だった。
 軽やかな足取りで階段を上りながら、くすくすと階下の弟を見て笑う。
「あの子、いつもああでしょう?
 ロイドさんや他の方に迷惑をかけていない?」
「いえ、マトリカがいると皆明るくなります。
 いいムードメーカーですよ…。あ、ただ」
「ただ?」
「一人。当然ご存じと思いますがビショップ直属のロードソーサレスに、バロックヒートというのがいるのですが。
 彼相手になると逆にマトリカが巻き込まれている感じが…」
「ああ、マトリカから聴いたわ。とても可愛らしい子なのだって」
 …可愛らしい。それは外見だけだろうとロイドは内心で思う。
 何せバロックヒートはタメ口キングだ。
 人の心も読んでくるからやりにくい。
「ふふ」
「…? なんですか?」
「あのね、失礼。
 ロイドさんはお堅い方だと聴いたのだけど。
 そうでもないのね、と思ったの」
「…?」
「今、やりにくい、とか思いましたでしょ?」
「……!」
「ふふ」
 当てられて、まさか彼女もバロックヒートと同じか。
 と思ってしまうのは仕方ないだろう。
「ご安心を。私は彼のロードソーサレスのような能力は持っていないわ。
 ただ貴方の顔がそう言っていたから」
 驚いた。
 家族にすら、わかりにくい、何を考えているんだと言われるくらい。
 無愛想だと。
 階段を上がりきって、リエラの細い指が自分の頬に触れた。
「とても正直で真っ直ぐな人ね。
 でも、だからこそ…自分一人で抱え込まないでね」
「……はい」
「普通に話していいわ。
 私の事もリエラと呼んで。
 ね、ロイド」
 まだ、マトリカは階下でついに絨毯にまで零れてしまった紅茶の染みと格闘中だ。
 その、彼女の笑顔に捕らえられたように。
 何も言えなくなった自分に。
 彼女はそっと口づけた。
「…………リ、エラ?」
「…………不思議ね」
 くるりと背中を向け、階下へと歩き出した彼女が一度だけ振り返って。
 とても綺麗な微笑みで、頬を紅潮させながら言った。
「…貴方の事が、もっと知りたいわ」

 それから。
 マトリカとの仕事の話という口実を作ってはリエラに会いに来た。
 彼女はマトリカが言うような完璧な姉ではなく、結構おっちょこちょいでドジな面もあるのだと、いつか気付いた。
「私、ついあの子の前では完璧な姉を演じちゃうのよ。
 お姉ちゃん凄いって、言われたのが嬉しかったの」
「…なんだか、わかる。
 俺も、弟がいるから」
「可愛い?」
「可愛い。俺に似てないから」
「あはは。ロイド。
 貴方は充分可愛いわ」
 何度、口づけを交わしただろう。
 彼女と出会って、何年が過ぎただろう。

「……リエラ」
 もう、夜になっていた。
 その華奢な身体を抱き締めて、今離したら、駄目になりそうで。
 その時、お互いに結婚の話が来ていた。
 けれど、今更リエラ以外を愛せなかった。
「…愛してる。ランディ家から捨てられてもいい。
 …君の側にいられればいいから」
 そう、必死に伝える自分に、あの初めて会った日のように。
 キスをして。
 リエラは幸せそうに、潤んだ瞳でささやいた。強く。
「なら、さらって。
 ……愛する人にさらわれるなら、それは幸福だわ。
 宝石はね、愛する人が盗んだのなら、決して逃げないのよ。
 ………ずっと」
 その日の、彼女の温もりを忘れない。
「……好きよ。ロイド」


 そして、俺達は駆け落ち同然にランディ家からもフォルツァート家からも離れ、新たにロックス家という家を造り上げて、小さな挙式を上げた。
 周囲に反対されての事だったから、誰も呼んでいなかったのに。
 椅子には、不満げな顔のマトリカと楽しげなバロックヒートの姿があった。
 それから見知らぬ少女の姿も。
 名を聴くと、今は内緒で、と言われた。
 その疑問は、後に解けた。
 少女―――――――――シュミット=アヴィディアがマトリカの後継としてロードソーサレスになったからだ。
 それから、決して彼女に苦しい生活などさせぬよう、ただ夢中で。
 気が付けばロックス家もアスリースの有力貴族の仲間入りをしていた。
 フォルツァート家からも、ランディ家からもようやく結婚を認められて。
 子供にも恵まれ、忙しいながら幸せな日々が過ぎていった。



 聴いてる方には、ノロケに近い馴れ初め話を終えて、失敗したと思った。
 ただ、ネヴィル猊下が、あまりにも、辛そうな顔で俯くから。
「それでマトリカ。未だに君に絡むんだ」
 けろっと。
 言ったのはその猊下だった。
「男の嫉妬は醜い」
 そう言ったのは陛下。
「またいつか、その後の話も聞かせてくださいな」
「はい……え?」
 今、さっき。
 マトリカの事を言った時。
 猊下。
 自然体で、話してくれた。
 それに気付き、なんだか嬉しくて微笑むと。
 猊下は今度は照れたように俯いて、ぽつりと言った。
「また、歌う?」
「え?」
 顔をぱっと上げて彼は笑った。
「さっきの歌、姉さんが好きな歌なんだ」
 それだけ言って、また歌い出す猊下に、つられるように笑って。
 またそれに重ねるように、今度はこの国の言葉で歌い出す。
 願いを、重ねるように。
 気が付くと、それに低い、自分よりは高い声も混じっていた。
 陛下だった。
 驚いたけれど、歌う事は止めずに。
 目映いほどの日差しの中、その時だけは身分も何もかも忘れて。
 しばらく三人で詩を歌っていた。





『いつまでも願う。



 君を愛してるよ』



 END