Eliza【真昼が雪】 私がそこで、脳裏に焼き付く程に印象を残された相手は三人。 一人は、第一王子であるカイザード殿下。 その国王陛下とは異なる黒髪と、血の凝固したような色の縁に金を混ぜ込んだ双眸が、強く残って、随分、珍しい色だと思った。 二人目は、ビショップ直属のロードソーサレス、バロックヒート。 どう見ても10歳にしか見えないのに、実際は27歳だと知って驚いた。 三人目は―――――――――――――――――――――……。 美しい銀色の髪に、黄金の瞳を持った。 奇形のように大きな、白い翼の。 ビショップ、ネヴィル猊下。 三人とも印象は全く違うのに、一生忘れる事も出来ないような存在感を植え付けられてしまった。 994年。 無属管理のロードソーサレスとして、アスリース王宮の床を踏んだのは栗色の長い、波打った髪と青い瞳を持った、24歳の整った美貌の女。 クラリアットの名門貴族、ロンフォード家の次女。 名を、イライザ=ロンフォード。 異国の地を踏んでやって来た彼女を、最初に王宮で迎えたのは前任に当たるロードソーサレスの少女。 金色の髪と銅色の瞳を持った、アスリースの名門、アヴィディア家の令嬢。 一身上の都合でロードソーサレスを辞任する事となった少女はまだ19歳で、幼さを表情に残していた。 「ようこそ。イライザ=ロンフォード姫。 新たな無属管理のロードソーサレス、私の後継として歓迎します」 凛としていて、それでいて軽やかな声が耳を打つ。 「この度は私を数多くの候補の中から選んで頂き、光栄に思います」 「頭をお上げ下さい。 それにその言葉は陛下とビショップ猊下に言って下さいな」 「はい」 「それと敬語も要りません。 えっと…」 それまで凛とした態度で話していた彼女が、そこでちょっと迷ったように視線を彷徨わせた。 「…イライザさん、と呼んでよろしいかしら?」 「ええ」 「名乗り遅れました。私は貴方の前任を勤めました。 シュミット=アヴィディアと言います。 なんでも、イライザさんはクラリアットの方だとか。 色々話を聞かせてもらってもいい?」 砕けた話し方と敬語の混同する、変な少女だと思った。 「今回は私の都合で選出を早めてしまって、申し訳ないと思っているの。 だからせめて引継と承認の儀だけは見届けようと思って」 「都合? 聴かせてもらっていいかしら?」 「ええ」 長い回廊を歩きながら、女同士の話題に花が咲く。 それから、イライザは少し残念に思った。 シュミットはもう辞任する存在で、他のロードソーサレスは二人とも男だと聴いた。 話が弾むかわからない。 「実は私、ラジアハンドのある貴族家に嫁ぐ事になったの。 それで、陛下に申し出て辞任、という形に…」 「ラジアハンド? って…シュミットの家はあの名門の」 「アヴィディア家よ。 私は長女だし、当然反対されたのだけど次期当主の弟が父を説得してくれてね。 あの時はシルに感謝したわ」 「シル?」 「シルウィウル=アヴィディア。次期当主で私の弟。 政略結婚とかじゃないから、シルが味方してくれなかったら駄目になってたわ」 「…じゃあ、って事は恋愛結婚?」 「そう。お互いエリヌース祭で出会って。 だから本当にシルには感謝だけど……少し、あの双子達を弟に任せるかと思うと。 苦労かけるって思っちゃうのよ」 「…双子?」 「双子の妹と弟がいるの。でもこれが手の付けられないトラブルメイカーで。 当主である父も手を焼いてるの…あ、でもね、母も昔はロードソーサレスだったのよ」 「凄いわね」 流石はアヴィディア家。と思った。 クラリアットにまで聞こえてくるソーサレスの名門一族だ。 「本当はシルの方が魔力高いのだけど…次期当主だからって選出を全部断ってるの…。 あ……、」 話の途中でシュミットが足を止めた。 廊下の向こうから小さな少年が歩いてくる。 「あれ、シュミット。 もしかしてそこの彼女が君の後継?」 「そう。イライザ=ロンフォードと言うの。 イライザさん。 こっちはビショップ直属のバロックヒート=スフォルツェンド。 こう見えて27歳なのよ?」 「嘘!?」 「うっわ失礼なおばさん……」 「おばさんて貴方ね。私はまだ25歳よ! 年下!」 「でも見た目重視で行くから」 「…………この」 「イライザさん、落ち着いて。 バロックヒートはいつもこの調子なの。 もう一人の、陛下直属のロイドは寡黙で落ち着いた方なのだけど」 「それを聴いて安心したわ」 「…………ほ、ほらバロックヒート。 引継と承認の儀を済ませる為にも、陛下と猊下の所に行かなきゃ」 「ああ、…でもネヴィル今徹夜で書類仕上げたから起こすなとかって爆睡してるよ?」 「……ええ?」 そんなぁと言いたげなシュミットの様子に、イライザはワケが判らない。 「ねえ、ネヴィルって?」 「ああイライザさん呼び捨てにしちゃ駄目! ネヴィル=ガールゴート様。ビショップ猊下よ」 「…え? でも、この子はそのビショップの直属…よね?」 「ええ」 「思いっきり今呼び捨てにしなかった?」 「………バロックヒートは………先代のビショップであられたロスト様にも呼び捨てにタメ口で通していた方だから」 ……それでいいのかおい。 そうイライザが心の中で思った時だ。 背後から若い男の声がして、正直吃驚した。 「おい、回廊で立ち止まるな。それも横並びになって」 「あ、はい! 申し訳ありませんカイザード殿下!」 「あ、…申し訳ありません」 シュミットの言葉に、彼が王子だとすぐに判って慌てて道を譲りながら頭を下げる。 だが、その印象的な瞳の色は、強く心に残った。 「シュミット、彼女が後継のイライザ=ロンフォード姫か?」 「はい。これから猊下の元に向かう………ところだったのですが」 「何故言葉を濁す」 「それが殿下。ネヴィルが昨日徹夜して今爆睡してるんです」 (うわ…流石に王子様には敬語使ったけど相変わらず猊下のことは呼び捨て……!) 「ネヴィルが? 叩き起こせ。徹夜でやる羽目になったのはただ単にあいつが書類を溜め込んでいただけだろう。 自業自得だ」 「そうなんですが、これが蹴っても起きないんです」 (…その上自分の主君に蹴り…!?) 階級の厳しいアスリースで、そんな行動を平然と取っていて、しかも王子にナチュラルに言っているという事は日常茶飯事という事で。 …そんな事がまかりとおってるアスリース王宮って………。 ちょっと、考えが百八十度と言わず三百八十五度変わった気がしたイライザだった。 「…仕方ない。おい、」 「はい」 「はいはい」 (…………その部下に蹴られても放ってるネヴィル猊下って一体どんな人なんだろう……) 「おい」 「は、…はい!?」 「聞こえなかったのか。ネヴィルの部屋に行く」 「は、でも寝ていらっしゃるのでは…」 「先程言っただろう。自業自得だと。 俺が叩き起こす。 その場で引継を行え。 陛下の代わりに俺が見ていてやる」 「…………はあ」 最早、開いた口が塞がらない。 カイザードの後をついていくしかないイライザは、この場所で本当にやっていけるのかいきなり不安になった。 「今から不安にならない方がいいよ? ネヴィルの性格も凄いしさ。 殿下の起こし方なんか多分すっげ驚くと思うから君」 そう小声で言ってきたのはバロックヒートだ。 そんなに、言われる程不安な顔をしていただろうかと考える。 「顔はしてなかったよ?」 「…え?」 口に出していないのに。バロックヒートにそう言われてイライザは顔が思わず引きつった。 後に、バロックヒートが人の心を読める能力者だと聴くのだが。 それは本当に引継とかが全て終わってからの話だった。 しばらく歩いて、東の塔の左端の部屋の前でカイザードが止まった。 綺麗な紋様の描かれた、両開きの美しい扉だ。 「殿下、一応確認します。 ネヴィルー? 起きてるー? 開けてー?」 しばらくバロックヒートは扉に耳を当てて、それから離すと。 「駄目です。完全に夢の世界」 「なら勝手に開ける」 そう言ったカイザードが扉の前で小さく何かを唱えると、扉が独りでに、自分達を迎え入れるように開かれた。 「あ、イライザは知らないか。 ネヴィ…ビショップや国王陛下、それから殿下達の部屋には魔法による鍵が掛かってて。 その部屋の主の許可無しには開けられないの」 「え? でも今殿下…」 ずかずかとその部屋に入っていくカイザードの背中を思わず指さして言うと。 「特例がいるんだよ。許可無しでも扉を開けられる存在が。 まあ、普段内側からしか鍵を開けられない扉があったとして、でもその鍵穴の下にもう一個鍵穴が隠されていて。 それが外側から鍵を差し込む穴で。 特例の方々はその鍵を持ってる、って思って」 そう判りやすく説明してくれたバロックヒートも、カイザードに続く。 シュミットの促しで、イライザも恐る恐るその部屋に足を踏み入れると。 中はかなり広い。 天蓋付きの寝台はかなり大きく、本棚には色々な書物が隙間なく並んでいる。 そして書斎用の机だと思われる場所に、銀色の髪を流したままで、一人の有翼人が見ての通り突っ伏して寝ていた。 その周囲にはおそらく終わらせたのだろう書類の山。 (……これは…確かに溜め込んだ証の数だわ………この山は) にしても、随分大きな翼だと思った。 白い、大きな翼。 まるで奇形のような。 そうイライザが思った時、カイザードがその机に突っ伏している(おそらく)ネヴィル猊下の真横に回ると、一旦窓の方を向いて、直後思いっきり回し蹴りをその猊下に直撃させた。 もの凄い音が響いて、猊下(本当にこの人か?)が椅子ごと床に吹っ飛ぶ形で倒れ込んだ。 そして、言葉も出ない私とシュミットの前で。 その銀髪の有翼人はゆっくりと身体を起こすと、顔を上げた。 丁度、直線上にいた私と、眼があった。 バロックヒートとは何処か違う。 混ざり気のない。太陽の光のような、黄金の双眸。 それが銀色の髪と、白い大きな翼と相まって、とても美しかった。 だが、私が聴いた彼の第一声は。 「………いってぇ」 だった。 「呑気に寝ているからだ。俺の蹴りが腹に当たったからと言って文句を…」 「いや違いまして……殿下」 「……?」 そこでカイザードが眉をひそめた。 バロックヒートが一人だけいきなり吹き出した。 意味が分からない、状況もわからない。 なんだ、と思いながらよくその猊下を見てみると、腹ではなく首を押さえている。 「……………………思いっきり寝違えた」 その言葉に、呆れたのか。 カイザードは天井を仰いで“腹筋でもしてろ”と場違いな事を言った。 バロックヒートは遠慮なく。 いや彼の中に遠慮という文字は多分ないんだろう。 床を叩いて爆笑している。 「えっと………シュミット。 引継と承認の儀の事でしょう?」 「あ、はいそうです。猊下」 「それ、あと三時間だけ待って下さい? 私、しばらく首曲げられないので……」 「…………はい。だ、そうです。イライザさん………」 沈黙。 「イライザさん?」 私はただ、もう呆然としていた。 (…駄目…………ついてけない………) 自信と覚悟を持って来たというのに。 予想外の事でがっらがらである。 正式にイライザ=ロンフォードが引継及び、承認の儀を終える事が出来たのは、ネヴィルが提示した時間よりも一時間遅れた、四時間後の事であった。 「時が経つのは早いものね……」 「何がです?」 999年。 アスリース王宮の中庭に面した回廊で、呟いた私の声に問いを返したのは。 あの生意気で若作りと言うには度が過ぎているバロックヒートでもなく、私の前任であったシュミットでもなく、堅物と評判な国王直属の(でも私はからかいやすい人だと思っている)ロイドでもなく、二年前ネヴィル猊下にすら理由も告げられず追放された、バロックヒートの後継、藤でもなく。 金色の髪に銅色の瞳の。 あのシュミットの従兄弟である、ジグレット=アヴィディアだった。 「…私が、此処に来た時の事を思い出していたの。 …驚きの連続だったわ」 「そうなんですか?」 「ええ。当時のビショップ直属の奴なんて人の胸中読んでくるわ上司呼び捨てタメ口だわ。 どんな御方かと思っていた猊下は徹夜で爆睡してたわ。 その猊下を起こすのに当時王子だったカイザード陛下が回し蹴りを喰らわせたわ。 で、起きたと思ったら寝違えて首曲げられなくなってるわ」 「……………うわ」 「…………唯一まともだったのが貴方の従兄弟のシュミットよ」 「ああ、シュミット。久しく会っていませんね。 今は双子の子供がいて、旦那様と幸せにやっているそうですが」 「それが一番。 誰だって、望んだ形で…自分の仕事は終わらせたいものよ」 「……イライザ?」 立ち止まった私に、ジグレットも歩みを止めて伺うように顔を覗き込む。 「……私、辞任するのよ」 「え…、」 「それが自分の、シュミットみたいな理由だったら良かったのだけど。 いつの間にか、おかしいわね。最初はついていけないこんな所、って思ってたのに。 …今は、とても………居心地が良くて、離れがたいわ」 「……どうして…………、あ。 確かに、重臣達が色々言っていましたがそれは関係のないこ…」 「陛下に辞任を申し出たのは私自身よ」 「………………、」 「私の実家がね。 本当は長男が跡を継ぐはずだったのに…。 流行り病で兄弟が皆亡くなってしまって。…私しか跡継ぎがいなくなっちゃったの。 それを理由に厄介払いされたんだけど。重臣達には」 「…………イライザ」 「そんな寂しそうな顔しないで。 私は、私の道を、私なりに歩むって決めたの。 でなければ自ら辞任しないわ。 これは…」 言いかけたイライザの、声を遮ったのは。 日差しの中で降り注ぐ、雪だった。 「…………雪」 「………………真昼が雪、って奴だよ」 突然、後ろから二人以外の声が割り込んできて言った。 「……ネヴィル猊下……………」 「こういうの、風花じゃなくて、真昼が雪って言うんだって。 …ロストが言ってた」 「…真昼が…雪」 「うん…」 その時、私は初めて。 猊下がビショップとしての態度ではなく、自然体で話している事に気が付いた。 「……行くんだ」 「…はい」 「……………エリヌース祭で君と踊ったワルツ。楽しかったよ」 「……私もですわ。猊下」 「…………………月並みだけど…………元気でね」 「……………………いつか」 頷かずに、ただ。 言葉を。 言いたい事を。 雪が。 真昼の中であまりにも綺麗だったから。 手の平に落ちて、溶ける雪。 それは、白く。 銀色めいて。 まるで、この方の髪の色のようだと。 思った。 「……いつかまた、猊下と踊れる日を、楽しみにしていますわ」 「…………うん。いつでもね」 綺麗な。 綺麗な。 雪は。 私の別れを哀しむのではなく、 また帰っておいでと言ってくれているようだった。 そのまま、しばらく。 三人で、降り注ぐ雪を見つめていた。 明るい空を。 見つめていた。 ああ、私は此処で、自分の居場所を見つけたのかも知れない。 別れの日に、猊下にそう告げると、猊下は少し驚いて、少し寂しげに。 笑って。 手を振った。 その日も、雪が降っていた。 美しい、真昼が雪だった。 忘れないだろう。 この場所で過ごした、雪のように短く、綺麗な日々を。 雪は溶けて、土産にもならないけれど。 雪のような輝かしい日々を土産に。 私は、クラリアットの地に、足を降ろした。 “いつか、また” END |