:::オリヴィア外伝ー3:::



オリヴィアは沈黙を守っていた。いくらこんな所でウダウダと言っても何も状況を変えようとしない御仁ばかりだ。オリヴィアはこれで何度目の同じことを言っているのか分からないが、繰り返し訴える。
「何度も申し上げますが、私の口からこれ以上の事は申せません。」
まるでオリヴィアに対する尋問会になっていた。機密費の余りに大きい支出に金銭を扱うお役人の典型のような男に、この文官の集まる会議で指摘を受けていた。
「しかし、外交に当てている機密費を全額使用してしまうのは余りにも大きすぎると、先ほどから指摘しているのです。」
神経質そうな顔がオリヴィアを捕らえて離さなかった。こういう神経質で細かい性格の人物とは自分とは合わないと自覚していた。
半ば飽き気味の他の会議出席者もいる。普段ならこの場で話題になるのは、武官のことやら、何かと干渉をしてくる教会関係者の話題で持ちきりであり、その悪口にも似た批判会が繰り広げられるのだ。
しかし、今回はこの神経質な男と、砂漠の国でなにやら大きなお金を動かして、闇市で親睦を深めるためだけに出かけたと思った外交官のおかげでおもしろくもない押し問答を繰り広げているのをボーッと傍観していることしか出来なかった。
どの文官にも機密費は当てられている。
機密は機密であり、何も申告をしなければならないことはないのだが、外交官が動かした機密費は確かに大きかった。
「機密費は機密であるから、機密費であるのですよ?私がこの場で言えるような事で使えば、迷うことなくあなたに請求書を渡します。」
オリヴィアもいささか疲れてきていた。言えないから機密費なのに何故言わなければならないのか?
答えなどとうに出ているのに一歩も引かない財務担当の男に飽きれていた。
「私が問題にしているのは、機密費を使うなということではありません。あなたはその大きなお金を本当にこの国のために使ったのですか?仮にもこの機密費も税金で賄われているのです。国のために使っていただかなければ、国民に申し訳ありませんでしょう?」
この言い分にはオリヴィアは感心する所もある。国民のことを考えているのであれば、それはすばらしい志であるからだ。
しかし、この場だけ国民の名をかざされても困ることもある。では機密費などそもそも存在が国民にとって不明瞭であるからだ。
この押し問答に仲介役を買ってでた男がいた。農耕関係の仕事を担当するハラス・ガイリッチという名の男だ。昔から文官をやっている家系であり、何に対しても緩い雰囲気をかもしだしている。
「二人の仕事に対する熱意はよーく分かった。しかしながら、熱意だけ溢れていてもこの場合、事の問題解決にはならんようだ。えーっと君名前はなんだっけ?」
財務担当の男がムッとしたような顔になる。何度もこの会議にでているのに、名前を憶えていないこの緩そうな農耕担当の男に腹を立てたのだ。
「セスクサラシスです。ハラス閣下。」
ハラスは何度か頷き、名前が長すぎるなどと小声で呟いた。
「セスクハラシスくんにも人には言えないことの一つや二つはあるだろう?」
オリヴィアはそういう次元の話ではないような気がするが、仲介してくれようとするその好意に従おうとした。
「それは仕事上のことですか?それとも私個人の事でしょうか?仕事上のことであれば、私は隠し事など一つもありません。」
セスクハラシスはオリヴィアの方を向いて言い放った。
「それはすばらしい心がけだ。では、オリヴィア君がここは折れて話してみたらどうだね?」
オリヴィアは心の中でこの緩みきった男に舌打ちをした。結局何も役にはたたなかったのだ。砂漠の国であったことを聞けばこの緩みきった男でも卒倒するかもしれない。エーリックの話題を出すには時期が時期だけに皆が堪える名前であるからだ。
「何度も申しますが、ここで大手を振って発表出来るような、内容であるなら私はなにも機密費を使わなかったのです。」
話は振りだしに戻ってしまった。
オリヴィアは一言エーリックの名前を出してしまって黙らせてしまおうかとさえ思った。武官、騎士団の間でも有名な名前ではあるが、文官の間でも有名な名前でもあった。よりにもよって何故エーリックがあのステンダーで生まれ、しかも世継ぎになってしまったのか、文官の間ではもっぱらの話しの種でもある。
「くだらないね。話の内容に何も発展性がない。これ以上そのくだらない押し問答を繰り広げるのなら、ワシは帰らせていただくよ。」
この文官の集まりの間では年長の国事の企画や調整を担当するジェムソン・ハイネストが遮った。
「第三者のワシから君達の押し問答を評価してあげよう。まず、セスクハラシス君だっけ?君は財務を担当するのが役目だ。それなのに君は仕事の関係で口外しにくい機密費の使い道を発表しろと言う。金の使い道まであーだ、こーだど言う筋合いは君にはない。それとオリヴィア君、頑なに口を閉ざすのも分かるがそこまで相手を引き離すような言い方をされれば、相手もムキになって言い返したくなる。言えないことなら、もう少し話題を逸らせるような話し方を覚えるべきだ。この話題はもう終わりだ。機密費の使い道など口外するようなものは一つもないものだよ。なにサスクハラシス君が思っているようなことには使っていないらしい。砂の薔薇会と一悶着を起こしたらしいという噂を聞いたからな。あのステンダーの暴れ猿が絡んでいるのだろう?」
ジェムソンはオリヴィアにニヤリと笑みを見せる。何を隠そうこのジェムソンもかつてステンダーの暴れ猿ことエーリック・ステンダーに個人的なことでえらい目に合わされている。国事の企画や調整を担当しているだけにいろいろと金銭の動きも大きく、上前をはねたりしたりしているのだが、裏取引をすっぱぬかれ、とある事に対し脅された経験を有していた。この話は有名であるが、公の場で口にする者はいない。
文高官の間では、これ以外にもエーリック・ステンダーの名前は彼が王宮で騎士をしていた時はちょくちょく出ていた名前であった。
ここに集まった文官達はざわめき、君もとうとう被害にあったのかい、というような憐れみの視線を送る者がいたり、ざまあないというような視線を送る者もいた。
オリヴィアは出来うる限り口を封じたが、“情報水脈管理官”の前では無力だった。
ジェムソンはこの場にいる者達に他に何かあるかと聞くように目配せするが反応する者はいない。皆飽きていたのだ。
こういう所がオリヴィアにとって、嫌いな所である。正義を振りかざしもっと国のために働くべきだと言う気はサラサラないが、ここに集まる文官達は、行動を起こすのが遅すぎるのだ。事が起こってから初めて話し合うようでは対応は後手後手に回り、ビショップ猊下に氷のように冷たい微笑みを頂くことになるのだ。と一人心の中で言ってみる。
それぞれ官僚達は持ち場に戻って行った。そして今だ椅子に座っているオリヴィアの近くにセスクハラシスが寄ってきた。
「あなたの今までの行動と聞き及んでいる話で今回のことはこれ以上振れません。では。」
そう言い捨てるようにして背を向け去っていった。オリヴィアに一言も言う隙もなく背を向かれ歩み去ってしまい、見送るだけとなった。
だったら、始めからそう言って欲しいものだ。とオリヴィアは心の中で思った。一人ゆっくりと席を立ちあがり部屋を出る。


全く大変な目にあったものだと一人思いながら、公務室に戻っていた。廊下を歩いているとこの文官府区域には似つかわない、鋼の筋肉を見に纏っているのが遠目でも良く分かる男が近づいてくる。オリヴィアは数歩近づいて誰だか分かった。向こうもオリヴィアを見知っているようで足が一瞬止まった。
「オリヴィア!オリヴィアじゃないか。」
オリヴィアは小走りに呼ばれた相手の方に走っていく。
「ワルター閣下。お久しぶりです。」
ワルターはオリヴィアの肩を一回叩く。骨に染み入るような鈍い痛みがオリヴィアの体を伝った。
「閣下だなんて随分他人行儀じゃないか。」
オリヴィアはずっと前からそうである筈だが…と思い起こす。オリヴィアが王室警護隊長になる前にもワルターには世話になっていたことがある。言うなればエーリックやグレッタと同じである。ワルターの下で騎士であったことがあった。その時から“ワルター閣下”はワルター閣下で呼び名が変わることがなかったのだ。
「めずらしいですね。閣下がこちら(文官府)にお見えになっているとは。」
「何、文官どもが揃いにも揃って会議中だと言うんでね。この時を逃すまいといろいろと手続きをしてきたのさ。あの財務担当の男は頭が堅くていけない。ヤツには出来るだけ会いたくないんでね。」
オリヴィアはさっきその財務担当の男と押し問答を繰り広げてきた事を思いだし、苦笑をする。
「武官府も騒がしいらしいですね。お噂は聞きました。」
ワルターは腕を組み全くだと言わんばかりに頷いた。
「その辺の話しも合わせて少しつき合わないか?ここほど(文官府)綺麗な部屋ではないが紅茶でもご馳走するぞ。」
オリヴィアは断る理由など一つもなかったので、舞会の少し前にグレッタやルンドに合うために行った以来足を踏み入れていない武官府区域に行くことにした。オリヴィアは執務室とは逆の方向に方向転換をし、ワルターと共に歩きだした。
「外交官は忙しいらしいじゃないか。舞会後すぐに出かけたのだろう?」
「いえ、忙しいのは王宮にいる時ぐらいです。一度外に出てしまえば移動しているのがほとんどですから。楽な方だと思います。」
オリヴィアは一歩引いて答えた。
「そうか。俺はおまえがこの王宮を留守にしている間に随分働いたような気がする。ただ体を動かすだけならこれほど楽なことはないんだがな。」
ワルターが人差し指でこめかみをトントンと叩く。
「頭を使うことは本当に苦労をする。若い連中がいろいろやらかすんでな。エーリックが帰ってきていることは知っているか?」
オリヴィアはピクリと反応をする。
「はい。騎士にも戻るという話しはグレッタから聞き及んでいます。」
ワルターがそうかと呟く。
「奴のじいさん。つまりステンダー卿の帰郷から始まり……あいつはそこに立っているだけで問題を起こすような男だな。」
呆れ気味に言うワルターにオリヴィアは正式に王宮に戻ってきて僅かな間に問題を起こしたのだろうと推測をした。
そして自分にもエーリックに関しては思い当たる節が大いにある。今日の押し問答も元を辿れば誰の所為なのか……と思ってしまう。
「これからは今迄以上に武官府では働くものではありませんね。文官府も似たり寄ったりですが。」
ワルターは急に立ち止まった。
「似たり寄ったりなら、こっちに戻ってこないか?友人だってこっちに多いのだろう?」
オリヴィアもつい立ち止まってしまった。
「武官府に友人が多いのは私が武官府で働いていた時の方が長いからです。」
「そうは思えんな。文官府に移っていきなり高官では付き合う人間が老いぼれか的の外れた、わからずや共だらけだろう?それに剣豪セフィーダに仕込まれた腕も鈍るだろう?」
ワルターはまた歩き始めた。オリヴィアもそれにくっつくように後を追いかける。
「私はそんなに腕をひけらかすように粗っぽかったでしょうか?」
オリヴィアは笑って見せたがワルターは受けつけてくれなかった。
「王室警護隊はお前の後をネグローニ派の男が就いたのはもちろん知っているな?」
ネグローニ派とは聖ブライ教会に深く関係をしている派閥であり、そして熱心な反魔法支持の派閥である。ついては領内に正式な魔法使い集団を抱えるステンダーや、アスリースにある、魔法の大家を多く輩出ランディ家と繋がりがあるらしいと噂されるレイドルフとは不仲の派閥とも言える。
「あの男が魔法使いの暗殺者に対応するためにもっとプリーストを導入するよう最近言い出した。俺が思うには魔法でくるのなら、魔法で対応するのが一番なんだ。それに必要以上に教会を王宮に侵入させてはならん。本気で陛下が潰され兼ねない。………何故お前が王室警護隊に向いているか分かっているか?」
オリヴィアは無言でワルターを見る。
「お前は“陛下”を支持し、その腕と家系の力で揺るぎ無い壁を作くってきたからだ。」
「只でさえ肩身の狭い魔法使い達が、武官府の中でさらに肩身が狭い思いをしているということですか?」
「そういうことだ。あの氷のラミスサイヤ猊下がいらっしゃる内はいい。あの御方はこの国の道筋をよく御存知だ。しかし、いなくなった時が心配でならない。」
二人は沈黙をする。ワルターの公務室の前に着きドアを開ける前にワルターが豪快な笑い声とともにオリヴィアに言い放った。
「まあ、いざとなれば俺が意地でも陛下に申し立てて、お前を“陛下の命令”でこっちに戻ってくるよう仕向けるからな。俺のお願いでは役不足らしい。」
そう言ってドアを開ける。ワルターが中に入りオリヴィアも中に入る前にワルターに言った。
「“陛下の命令”であれば、私も逆らいようがありませんからね。」
二人は部屋の中へと消えた。
この後オリヴィアが砂漠の国にいる間に起こった事件の話しをきくことになる。もちろんそれは以前舞会でオリヴィアが何度か目にしてきた真っ白な青年が関係している話である。