:::オリヴィア外伝ー5:::



アルビノの青年がこの王城に来て、予想以上に波紋を広げて最高位騎士が裁判にかけられるなどと誰が予想をしていただろうか?青年を呼んだ張本人のビショップ猊下はまたラジアハンドから姿を消した。ビショップ不在の期間がこの国に多くなってきていた。そのことに不安を感じる者、鬼の居ぬ間と喜ぶ者。多種多様にいる中ラジアハンド国外交官オリヴィア・アルトゥールはストレシア・ワジュールへの出張からステンダーを経由し、王都に戻って来た。
「で、どうして両者共に凍る必要があるのか説明して欲しいな。」
ワルターが仕事で予算をもぎ取らなければならなくなり、自ら文官府へ出向いて仕事を片付けた帰りにワジュールから帰ってきていたオリヴィアと出会いワルターがお茶に誘ったのだった。以前武官府で働いていたオリヴィアを再び武官府へ戻らないかとさそってみたが笑顔で断わられた。ワルターが案内した執務室には、今のオリヴィアにとっては完璧な笑顔も引き攣らせる男が待っていた。
オリヴィアを自分の執務室へ案内をし、執務室で待っていた男を丁度良いと紹介をしようとしたがお互いに見知っているのか言葉を失ったような体裁であった。
「知っているかもしれないが、この金髪で人畜無害そうな笑顔で腹黒いことを平気で言葉にするオリヴィア・アルトゥール外交官だ。」
オリヴィアがその紹介文に武官府に戻ることを断わられたことを根にもっているなと感じたが愛情表現だろうと結論付け、その笑顔でエーリックを見やると、彼は彼で平気な顔をさせていた。
「で、この小僧が当然知っていると思うが、エーリック・ステンダー領王代理、いや、これからはラジアハンド国正規騎士軍第六軍団長という長ったらしい肩書きになるな。」
こうやって差し向かいでお互い顔を合わせるのは記憶の中では初めてかもしれない。しかし、お互いに話しだけなら聞き及ぶ所があった。
「兄クラウスと親友であったという話しはよく聞かされました。」
エーリックがそう切り出した。そう切り出されたらオリヴィアもそれらしく振舞う他はなかった。
「私もクラウスから話しはよく聞いていました。お噂の方も聞いております。」
オリヴィアは少し嫌味のニュアンスを忍ばせて答えたが、相手も怯むことなく言ってのけた。
「こちらも噂だけはよく耳にします。今だ身を固めず浮世の狭間を漂ってるとか。」
「あらゆる奇異的もめごとには必ず関わっているそうですね。」
「その笑顔で何人もの女性と同時にお付き合いをされているという噂も聞きました。」
「出張から帰ってみれば、王宮内が大変な問題が起こった中でやはり貴方が関わっていたそうですね。」
「先の舞会では私の従姉妹のアーリンと二回も踊ったそうで。」
「この国のあらゆる揉め事の原因を調べたければまずは貴方に聞いた方が良いとまで言われていますね。」
二人の全く一方通行の話しにワルターは口を挟んで止める事にした。
「おまえ等お互い嫌いだろう?」
その問いかけに二人が初めて同じ意見の言葉を口にする。
「いいえ、好きではないというだけです。」
お互いの相手への印象は今までの顔を合わせていない所でマイナスから始まってはいるが、お互い相手がどんな人間であるのか鼻ぐらいは利く。エーリックは思っただろう。
「クラウス兄貴と仲良かっただけにクセが裏ではつよそうだが、悪くはないかもしれない。」
オリヴィアは思っただろう。
「クラウスの話しの通りで、噂通りの王宮の異端児だな。けど、悪くはないかもしれない。」
二人の顔合わせはワルターが予想していたものより淡々として終わった。ワルターはもっと劇的な何かが起こるのではないかと楽しみにしていた感があったからだった。
「チッ、以外に面白くないヤツ等だな。」
二人の顔合わせがこんな風にあった後、数日後にこんな噂が流れた。
―エーリック領王代理が、トロス警備副隊長の娘と見合いをするらしい。―
人によってはトロス警備副隊長が随分上手く潜り込んだじゃないかと思うかもしれない。しかし、エーリックを見知った者達は驚いた。
「………エーリックが彼の娘とお見合いするとは…。」
オリヴィアはそんな噂を聞いてセフィータの前で呟いた。
「エーリック・ステンダーのことですね。良い縁談ではありませんか?」
セフィータは一般論的に返事をし、オリヴィアの会話の相手をしていた。
「セフィータ、君は自分の娘を手元に置いているようだけど“エーリック”にあげたいと思うかい?」
「“ステンダー”になら嫁がせたいとは思いますが……。」
「まあ、そんな所だろうな彼が考えている所は。私なら“エーリック”と“ステンダー”の天秤の前に悩みぬくだろうね。」
大体の話しはクビの対象とされていたブラス・ファーマーの方からや武官府にいる友人から大まかに聞いた。
「大体くだらないだろう?トロス警備副隊長とエーリックが相対して争っていたらしいじゃないか、何がどうして縁談が行われる?………トロス警備副隊長の方は“ステンダー”が目的だろう。エーリックの方は何を甘受して受けたか知らないがね。くだらないお見合いさ。いくら政略結婚が当たり前でも譲れないものぐらいあるだろう?」
「だから閣下は今だお一人なんですね?」
「セフィータ…私の妥協点は計り知れないさ。譲れないものを供えている女性に巡り合えないだけの話しだよ。まあ、お見合いぐらいしたからって減る物でもあるまい。一般論的に言えば、セフィータの意見に何ら反論する余地もないしエーリックにも利点がない訳でもない。なんだかんだ言っても警備隊の副隊長の娘だからね。それに猊下に恩を売るって感じか?それなりの利用価値はあるだろうな今回のお見合いは。しかし…こんな表面的な事しか分からない状況であーだこーだ言ってもしょうがないな。」
ただオリヴィアはそのお見合いをエーリックの耳に入る前に甘受したアーリンの真意に思いをはせるのであった。数日前に会った彼女は別段なにか悩みを抱えている風ではなく、渦中の「白ウサギ」くんの話しをする訳でもなくいつものようにたおやかに微笑むだけだった。

「相変わらず貴方はお強いというのか、身が堅いというのか…全くの第三者へ弱みを見せる事はないのでしょうね。」
オリヴィアが苦笑を洩らしながらアーリンへ言ったが効果は期待出来る訳でもあるまいなとオリヴィアは思った。
「対した事は出来ませんが貴方よりは若干長く生きていますし、それなりの人生経験もあります。何かあったらいつでもどうぞお呼びください。」
アーリンが何のことだか分からないように目を瞬く。その素振りにオリヴィアはその後の言葉を言う事はやめた。その他大勢の中でいくら誕生日のお祝いの言葉を言った所でその他の言葉として風化してしまうのが癪だったのだ。こちらが子供みたいだと思うが一言「お土産です。」と言って砂漠の国の金細工首飾りを渡した。
「こんな素敵で高価な首飾りは頂けませんわ。」
アーリンがそう言って返そうとするがオリヴィアはそれをさせなかった。
「私の気持ちがそのまま具現化できればどれだけあなたを美しくさせることができるか計り知れません。この首飾りはその具現化のほんの少しの一旦でしかありませんから、私の気持ちが少しでも伝わるように宝石箱じゃなくてもかまいません。そっと忍ばせてくださいませんか?」
アーリンは少し困ったような顔をしながらその金細工を手元に引き寄せた。
「この首飾りをして舞会に出られると、私はきっと幸せになれるような気がします。けど今はまだする勇気がありませんわ。」
ほんの少しだけ表情を揺るがすアーリンにオリヴィアも気が付くことが出来たのか、出来なかったのか…切っ掛けはいくつもの心の状況と、タイミングで波のように来ては引き返す。アーリンにとっても、オリヴィアにとってもそのすれ違いの前にもう一歩が進まずにいたのかもしれない。
「けど、いつかこの首飾りが出来る時がきたら…オリヴィア様は私の手を取って踊って下さるのかしら?」
アーリンからの今の心では精一杯の誠意を見せたつもりであった。
オリヴィアが笑顔を見せたのは言うまでもない。首飾りが再びオリヴィアの目の前に現れてくれることを祈った。
そして、二人は仕事の話しをした。
その後、エリーザ王女の所に例の買い物の品物を渡さねばならず、渡しに行くが白い博識のドラゴンの言葉が頭から離れない。
“その薬品で作れるのは媚薬よ。”
媚薬…さて、何に使うのか…悩み所と言えば誰がそんな智恵を与えたものか…。相手は?ルンド殿か?しかしあまりにも浅はかでそんな事ほどどうにでもなることじゃないか。既成事実でも作るのか?何はともあれ、お使いに行って品物はこれですとただ渡すだけでは今後の自分が住まう国の事を考えてみれば、どうにかせねばならないな、とも考えるオリヴィアだった。
「オリヴィア殿がこの場所へ来られるとは珍しい。」
そんな言葉を投げかけたのはジークラングその人だった。前と現役の王室警護隊長がこうして顔を合わすのは久しぶりのことであり、そう多いことではなかった。内心毒つきながら作り笑いをしてかわそうとした。言葉を発するだけ無駄のように思ったからだ。
「貴殿は“エリーザ王女”か?」
聞き捨てならない言葉だった。
「私は“この国の王”に仕えているつもりですが?」
オリヴィアがそうジークラングの方を見ていったが、ジークラングは視線を外し、周りを見やりながら言った。
「そうか。なら、次期王のことも少なからず気にする方が未来のためかもれんぞ。」
かつて務めていた役職をこの男が引き継いだと聞いた時はくるべき時が来たというか、この国もいよいよそういう流れを持つようになってしまったのかと思い、少し後悔をしてみたが後悔をした時点で自分の判断に自信が持てなくなってしまうのでその後悔はすぐに払う事にした。
「次期王のことは“神”のみぞ知る所ではないのではないですか?」
ジークラングがオリヴィアの言葉に返すことなくさっさと行けとばかりに通された。
以前にエーリックがこのエリーザ王女に会った時のように、エリーザ王女は荒れていた。全くもって何がこの孤独な王女をこうしむけたのか……溜め息をつきながら王女の部屋を出る。ジークラングと再び会話を交わすことなく部屋をでたのだが、変わりにオリヴィアは一枚の招待状を持って部屋を出て執務室へ戻る事となった。


「王女の代理で行かれるのですか?」
セフィータが聞いた。
「まあ、そうなることになった。」
オリヴィアはこめかみを押さえながらなんだか難しいことになったと思った。
「しかし、閣下にも招待状が来ていたのではないのですか?」
セフィータが郵便物の中からオリヴィアが持ってきたものと全く同じ物を探し出した。
「うん。だからおかしなことになったんだって。王女の代理の私は出席するが、私自身は欠席だ。」
「王女は閣下がどちらの者か試したと言う訳ですか。」
「そういうことだろう。王女も危機迫ってのことだろうから答えてやらねばなるまいと思った訳だが…。これで派手好きのジェムソン・ハイネスト公爵の生誕を祝う日に嫌が負う無しに出席せねばなるまい。」
オリヴィアが溜め息をついて見せた。この会には父親も招待をされていたから家族総出で行く必要もないだろうと思い(派手すぎて見ていて疲れる。)、断ろうとしていたのだが、事情が変わって代理を引きうけたからには出席をしなければならない。しかも父親よりも上座に近い席でだ…。数日後に行われたその饗宴で王女の変わりにオリヴィアが代理として出席することになった話しはあっというまに王宮内に広まりいろいろと憶測が飛び交う中、エーリック・ステンダーと王宮の武官府内ですれ違った。
エーリックはエーリックで険しい表情を知らぬ間に湛えていたのだろう何かを考えながら歩いている姿をオリヴィアが捕らえることが出来た。エーリックはオリヴィアに気が付いていないのか、気が付かないフリをしているのかまったく感づかない様子で、どんどんオリヴィアに近づきそのまますれ違う。
「………挨拶もなし、か。」
そんなことを、口を人悪く緩めながら言うオリヴィアにギョッとさせられるセフィータを無視し、オリヴィアはエーリックの方に振り返りエーリックを呼びとめた。
「エーリック領王代理。」
エーリックはその呼び声に振りかえり、やはり口元を緩めた。
「せっかくこっちはいらぬ接触を避けようと無視していたのに…。何ですか?オリヴィア外交官。」
王宮の廊下には日が差し、赤い絨毯が照らされていた。白亜の壁には等間隔に絵画やタペストリーが飾られている。二人の間では無言で聞き入る女性、軍神セラフィラーヌの石像が日に照らされ陰を作った。
「トロス警備副隊長の娘と見合いをするようですね。一つ忠告です、彼の娘がしおらしいだけが取り柄のような娘だと思ったら喰われますよ。彼の娘らしく一筋縄ではいかないのでね。」
「何故そんなことをご存知なんですか?」
「経験者は語るというやつですよ。」
「……ロリコン?」
「何か?」
「いえ、何でもございません。」
「例の件…は日を改めて話しましょう。」
エーリックは肩をすくめて歩き去った。
「彼も出席するそうですよ。」
エーリックの背中を見送くりながらセフィータがオリヴィアに言う。
「ああ、公爵の饗宴に?それは領王代理も大変なものだな。」
そして二人はエーリックとは逆の方向へと方向を変えた。

――――そして宴の日――――
ジェムソン$B(I%ハイネスト公爵の生誕の饗宴は大々的に行われた。文武官両方から多くの者が参加し、また、有力な家の者が次々と来場する。席順も綿密に組まれオリヴィア自身もその席順の緻密な計画には今後参考になるような要素が沢山あった。そんな中エリーザ王女の代理として座ったオリヴィアと、ステンダー領王の代理として席につくエーリックが近くに座る事になり視線を合わそうとはしないものの存在を感じずにはいられない状況であった。開始予定時間より数十分遅れてこの宴を取り仕切る「儀典官」なる宴や祝宴を取り仕切る進行係の者が高らかに手を掲げて楽師達が奏でるファンファーレと共に宴が開始された。開始と同時に料理が止めど無く運ばれ飾り立てられた机には料理が次々と並ぶ。季節の花と新鮮な海産物や肉料理。机ごとには神に使えし神官が食事に祈りを捧げ、それを口にする者に幸あらんことをと、なんともお気楽な祈りを捧げる。オリヴィアはその始めから熱気が立ち込めるこの席で久々にお目に掛かる御仁と隣り合わせた。
ルードウィック・ゴルディア。かつて最高位騎士として名を轟かせて久しいが、片足を失い現役から退くと思われた。しかし、このラジアハンドの内部混乱の状況と影響力がそうさせずにいた。美丈夫の御仁で歳を取った今でもその上品な雰囲気は変わらない。が、その性格と戦場での彼は顔の雰囲気とは全くにつかわないタフな男であった。
「随分久しいなあ。知らぬ間に俺の隣とは出世したものだ。」
ルードウィックの深い紫の瞳が冴える笑みを見せた。その歳となっていても若き日の美丈夫は衰えてはいなかった。
「嫌味ですか?」
負けじと早くもお疲れムードのオリヴィアは笑顔を零した。
「そうだな。嫌味もふんだんに込めてあるな。」
「今話題となっている問題ですか?」
オリヴィアは具体的な名前や説明はしなかったが、今この時期に「例」とくればだれでも知っていることだ。
「いいや、俺の大事な妹がいくらお勤めだからと言っても家にいることが少なすぎて寂しいと洩らしていたんだよ。」
ルードウィックがニヤリと笑みを零す。オリヴィアにとってはまたかと苦笑めいた顔をするしかなかった。
「母上がまた閣下の御宅へ相談に行かれましたか。」
「外交官もいいが、少しは親孝行でもしたらどうだ?したい時にはもういないというのが両親というものだ。」
「まるで人を親不孝者のように言われますが、私は家にいられる時はいますよ。母上が出かけられる事が多いので、会わないだけでして…。」
「ばかもの。あいつは早く孫の顔を見たいのだよ。何処ぞの領王代理のように見合いでもしろ。いくらでも良い縁談持って行ってやるから。」
そう言って社交辞令程度の話しを隣の淑女としているエーリックを見る。
「………外交官の嫁になりたい娘さんなんていませんよ。」
オリヴィアはその事に触れられるといつも苦笑混じりに視線を逸らせてしまうが、今回もルードウィックから視線をつい逸らせてしまう。それに気が付いて慌てて視線を戻す。するとルードウィックは給仕にオリヴィアの杯に酒を入れるよう頼んでいた。
「いいや、いるね。オリヴィア・アルトゥールという名前と結婚したい娘なんて五万とね。」
「わたし自身はオマケですか?」
「これでもおまえを少しは買っているのだ。名前の副賞という所だろう。」
ルードウィックは杯の酒を一気に喉に流し込み、オリヴィアの手元にある杯に軽く音を鳴らすように当てる。ラジアハンド独特の習慣で酒の席で酒を飲ませたい相手に酒を飲ませる時には、まず自分の杯に残っている酒を飲み干して飲ませたい相手の杯に軽く「カツン」と音を鳴らすように合図をすると、その杯に入っている酒は飲みきらなくてはならないのだ。そういう習慣を「杯の礼」と言ってラジアハンドでは当然のように行われていた。
「御自分の娘は嫁に出さないでよく言いますね。」
オリヴィアは「飲め」と宣告された酒を見つめて、その酒が酒度の高いことにげんなりする。
「なんならお前にくれてやろうか?」
「冗談はよしてください。ルードウィック叔父さん。」
ルードウィックがニヤリとまた笑む。オリヴィアはつられてつい苦笑いを零す。オリヴィアが最初に憧れた人物は紛れもなくこのルードウィックであったと言っても過言でもない。そして騎士を志したのも何か自分の中で国を守ろうとかそういう使命感に燃えてなった訳ではない。単純にこの男に憧れて自分もそうなろうと思った所から始まった。剣を叔父に紹介してもらった剣豪のセフィーダの教えてもらい腕を上げたこともそんな理由だった。入隊してみれば友人も出来たしいろいろなものが見えてもきた。父親に文官の子供らしく勉強を強要されたりもしたが今となれば無駄では全然なかったとオリヴィアは思っている。
「ステンダー領王代理殿はついこの間見合いをしたそうだがいかがだったのかな?」
ルードウィックが果実酒を硝子製の杯に注いで酒の肴にするかのように大声で喧騒の中聞いた。エーリックはエーリックで御婦人方にその話題を振られてはにこやかに言葉を濁してかわしていたのにこうも正々堂々ルードウィックに振られて思わず「この親父は!」などと言うような渋い表情をした。聞こえないフリでもしてやりたかったのだろうが、周りの噂好きの紳士淑女の方々の前に一人心の中で舌打ちをするほかはなかった。
「ルードウィック閣下もお人が悪いですね。若い者捕まえてそのような公然と言い難いことを私に訊ねるとは。」
いつもの服とは大違いに領王代理に相応しい服を着て、普段近隣の者達にしゃべるような言葉の悪さは捨てそれなりの代役を果していた。それなりと評していても昔の「田舎育ちの山猿」という仇名からは想像出来ないほどの雰囲気は持っている。
しかしこの場にいる紳士淑女にエーリックの騎士時代の噂を知っているとしても、国内屈指の領主の孫であっても五男坊である彼を直接会ったことのある人物はこの饗宴の中では数える程度である。今こうしてエーリックが現実にこの場に領主の代理として席に座り殆ど食事にも手を付けない彼を見て昔とは変わったなと確信を持って言える者はいなかった。
「トロス殿はこの饗宴にはいらっしゃらないのですか?」
エーリックが逆に質問を返してきた。一同ざわめくがその答えを答える者はいなかった。その質問に大声で笑ったのがルードウィックであった。数々の華々しい饗宴には必ずトロスの顔があるという印象が強いが、最大級の華々しいこの饗宴には顔がないことには疑問を感じたように見せるエーリック。
「類は友を呼ぶとは言うがトロスとハイネスト公爵とは反りが合わないのだよ。しかしそれを知らないという訳でもないだろう?」
この場でそう言うことが出来るのはこのルードウィックだからこそであった。いろいろ逸話が残ってはいるが一番有力なのはハイネスト夫人との愛人関係であったりするのだが…そこの所は口には出さない暗黙の了解。
「先程の質問への気のきいた解答ではありませんかいろいろな意味では。ルードウィック閣下。」
そう口を挟んだのはオリヴィアだ。あまりエーリックにとってこの饗宴に楽しみなど一片もありはしないが、一片があるとするのならこのオリヴィアと話しをすることなのかもしれないと思う。そう思う反面こんな所でも会うことになるとはと思う自分がいることもたしかであった。
「オリヴィア君がそこに座っているのは、いわゆるそういう意味なのかい?」
誰かがオリヴィアにそう聞いた。“いわゆるそういう事”とはつまりエリーザ王女の側なのか?ということであった。
「そう深い意味合いはありませんよ。」
そう言いながらも意味ありげに笑顔を作ってみせた。こういう態度をとって直接の言葉は濁すことにした。
そもそもどちらの王女も今は甲乙をつける以前の問題であった。二人とも病んでいるのだ。エリーザ王女もヴァデラート王女も。その病んでいる二人と国王の間に絶対的なあらゆる力を持つラミスサイヤ猊下がいるから糸が絡みついているのだ。猊下本人は次代の権力増大など考えていないだろう。そのことは長年ビショップとしてこの国をあらゆるものから、あらゆるものを守ってきたことからもよく分かる。オリヴィアが王室警護という任に当っていた時でも自分にはどうしようもない「特殊」な場合は、自分達の防御網を潜り抜けられて最後の一線で猊下に登場してもらっていた。そうしてもらう程、警護の任に当っている自分にとってもどかしいことはない。だが、自分にもビショップのように「魔法」や「神法」が使えれば…などとは考えたことはない。使えればこのもどかしさはないだろうが、そんな力は持つなどと考える方が可笑しい。そもそも奇蹟の存在である「ビショップ」になろうなど「国王」になろうと考えるより馬鹿馬鹿しいというより可能性が低いことなのだ。
「その席に座っておいて深い意味がないということはないのではないですか?オリヴィア殿。」
そんな言葉を返してきたのはエーリックであった。果実酒を片手にしていた。
「王女殿下にお会いした時に頼まれたことで、断ることなど誰が出来るでしょうか?」
「では、そもそも何故今となっては一外交官となったオリヴィア殿が殿下に会う理由があったのです?」
エーリックが聞いてきては挑むように見ている。しかしその挑む目にも隠しきれない日頃の疲れが見え隠れしていた。
「王女殿下にお届け物があったからです。
………って私は何故ここまでしゃべらなければならなくなったのでしょうか?」
はて?と、しらばっくれるような態度をとりこの話しから逸らすように仕向けるとエーリックもつっこんではこなかった。
おもむろにエーリックが席を立ち会場から姿を消した。オリヴィアはそれを見送る訳ではないが目の端でとらえてはた。
「あれはそうとう気が参っているな。」
ルードウィックがそう言った。彼もまたエーリックの目の奥を見抜いていたのだろう。
「次期領王、そしてさしあたりそれまでは第六軍団長。今までフラフラとしていた者には多少肩に荷が積まれすぎたかもしれんな。そしてルンド最高位騎士の問題も積極的に介入している。よくもまあ、こんな宴にも出席したもんだ。その内ぶっ倒れるな。ありゃあ。」
「しかし彼にとってはこの宴も重要な事項です。」
オリヴィアは最後の一口の酒を飲み今度はルードウィックに「杯の礼」をやり返した。
「お前が手助けしてやったらどうだ?」
ルードウィックが突然そう言った。
「は?誰の何に対してですか?」
オリヴィアはぎょっとした気持ちになる。話しの流れからはエーリックのこと他ならないのについそう切り返してしまった。
「お前の従兄弟のロルフも冷静な顔しつつもそうとう頭に血が上っているようだ。」
「それは…彼らからすれば自分の尊敬すらしている上司が突然軟禁生活を強いられている訳ですから。」
「それに対してお前はどうだ?ラジアハンド王宮が大騒ぎしている中、ストレシアの重鎮相手に何やら楽しんでいたのだろう?その手腕を対外国ではなくて国内ででも使ってみたらどうだ?」
「やめてください。国内であんなことは出来ません。」
思い出しながらげんなりして答えるオリヴィアだが、ルードウィックは思いの他真面目な表情をしていた。
「俺はへたに口は出せんし、行動を起こす事もできない。今ルンドを失えばそれこそ武官府内で抗争だ。最悪クラリアットが介入をしてくるやもしれない。そうしたらどうなる?考えるだけで溜め息が出る未来像じゃないか。奴がラジアハンドの片田舎育ちの天才だったらいいが、クラリアットの名家カヌート家の男だ。ここいらでどうにかしとかないと……とばっちりがお前さんにも来るんじゃないか?」
とばっちりという言葉に眉毛をピクリと動かすオリヴィア。
「………その時はその時です。」
そう言い終わるか終わらない所でルードウィックに挨拶をする男が現れ。視線がオリヴィアから離れ内心ホッとしながらそそくさとその場を立つオリヴィアだった。もう一度ルードウィックの方を見ると視線が丁度ぶつかり、ルードウィックがニヤリと笑い「善処を期待する。」と言っているように見えた。
廊下には酔いを冷ますためにいるのか…はたまた違う目的でその場で何かを待っているのか、一見しただけでは分からない紳士淑女がいた。ロウソクの光に照らされるその者達がふと獣めいて見える時がオリヴィアにはある。そんな風に鼻が利く時は自分も何か獣じみているのかもしれないと思う。
「オリヴィア様。誰かを待っていらっしゃるのですか?」
そんな風に声を掛けてくる女がいた。降り返れば黒髪できつめな二重瞼の目が何かを求めて視線を送っていた。胸元が大きく開けられたドレスに沸き立つような女の匂いを振り撒く女だった。
「この屋敷にはワッカーログ様のバロルや愛剣が飾られている部屋があるらしいのですのよ。一緒に見に行きませんか?」
ワッカーログもこんな時に引き合いに出されては気の毒ではあるが、女もまんざらではない様子にオリヴィアもその気にはなる。しかしワッカーログの遺品を目の前にした時、四年前の混乱が思い出されルードウィックの言葉が頭をよぎりその気もどっかに吹っとんでしまう。
「――――……あーどうしてこうも奴に翻弄させられるのか!!私がやれることなどないし、私が動いた所で微々たるものだ!!」
そう心の中で思い至るが、女には断りの詫びを入れて別れた。そして数十分後にはエーリックの背中を見つけているのだから、自分は何をしようとしているのか…自分でも分からない。
「オリヴィア外交官殿は俺に気でもあるのですか?」
エーリックにそう降り返られて言われた。オリヴィアの心もグラ付き、この減らず口めと普段の自分では絶対に口にしないような罵詈雑言を唱えたりした。
「ある意味そうみたいだ。」
オリヴィアはそうにこやかに表情を作ってエーリックの肩を強く叩いた。その後彼らが何を話していたのかは、月と夜風が知るのみだった。