君の記憶

兄。

それは確かにいたはずなのだ。

リオが幼く小さく、まだ言葉も充分に喋れなかった頃に・・・

ただ、リオがその記憶を閉ざしただけなのだ。

あのセリフを最後に―――

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冬の寒い昼のことだった。

「兄さん!」

厚手の服をまとってリオが兄を呼ぶ。

その言葉で振り向いたのは背の高い15歳の兄。

髪は黒く、目は茶色ですべてがリオと似ていない。

しかし、リオは兄の事が大好きであった。

幼いリオの、たった一人の遊び相手だったからだ。

「何?リオ。」

「ご飯だって、行こう。」

「そうか。わざわざありがとう。」

兄は、完璧な人だった。

もちろんそれはリオから見ての話だったが。

王室暮らしの人間は礼儀もしつけも重んじなければならないせいか

リオの兄、アランは15歳にしては大人っぽく完成された人間だった。

「すみません、遅れました。」

リオと共に食事が並ぶテーブルへと座る。

王は少し不機嫌なようだった。

「この頃食事のときの遅刻が目に余るな。」

「申し訳ありません。・・・以後気をつけます。」

「わかっているならいい。」

そう言って王は何も言わず食べ始める。

母も、少しばかり笑みを浮かべながら食事を食べ始めた。

こんな風景は見慣れている。

王は兄に対して少し厳しい。

しかし兄は時期王だからしょうがない態度なのだと、リオはわかっていた。

「リオ、食事を食べ終わったら馬に乗って海岸にいこう。この時期は一層海がキレイだぞ

。」

兄がリオに微笑む。

「わぁい、行こう行こう。」

「アラン、気をつけるんですよ。」

母が心配そうに兄に言った。

「大丈夫です。馬は乗りなれてますから。」

「そう?ならいいけど・・・。リオに怪我させないようにね。」

「わかってます。」

兄が口元を拭きながら言って、最後のデザートに手をつける。

リオはというと、とっくに食べ終わり「兄さんも早くねー」と言いながら部屋を後にした

「あの子ったら、相変わらず行動が早いんだから・・・」

クスクスと口に手をあてて笑う母。

「誰に似たのか・・・。」

王も笑っていた。

一見すれば、この光景は何の問題もない暖かい家族に見えるのだった。

「わぁ、キレイキレイ。」

リオは寒さを忘れてはしゃいでいた。

少し湿った砂を触って、凍りつくような冷たさの海に足を入れて

思いっきり楽しんだ。

「風邪ひかないようにな。」

兄もリオと同じように海をバシャバシャ走って、充分楽しんでいた。

「冷たいねぇ、海の水。」

「冬だからな。もうじき温かくなるよ。」

「あ、じゃあ温かくなったら、また来よう。」

「うん。いいよ。」

「わーいっ!約束。」

少し砂で汚れた小指を差し出す。

「うん。約束。」

「絶対だよ!」

兄の小指をギュッと握って、リオはまた海をバシャバシャ走った。

楽しかった。

普段の王室暮らしが楽しかった分、余計にこの時間が楽しくて仕方なかった。

訳もわからず笑った。

なんにもおかしくないのに、笑い涙まで浮かべて笑った。

兄も、笑っていた。

リオはこの時間がずーっと続けばいいのにと、冬の海に祈った。

「もう帰ろうか。」

「うん。もう帰ろう。」

くる時乗ってきた馬にまたがって、リオと兄は王宮へ帰ることにした。

夕焼けの空。

来た時とは違ってなんだか寂しい情景だった。

「ただいま」

王宮の玄関が開く。

父や母の返事がなかったので、リオと兄は王室へと向かった。

王室のドアは閉まっていて、奥から声がした。

「・・・本当に、人選ミスだよ。」

「・・・こう遊んでばかりいられたんじゃ、次期王としての示しがつきません」

話しているのは大臣と父、王である。

「・・・全く、次期王としての自覚が足りないばかりか遊びにリオまで巻き込むとは・・

・」

「・・・アラン王子は何を考えているんでしょうなァ・・・。全く手に負えない。」

「・・・ここまで育ててはみたが、どうだろう。アランを返して別の子を引き取らんか。

「!?」

リオと兄の表情が固まる。

――アランを「返す」!?

――人選ミス!?

リオは幼すぎた為、王達が何を言っているのかすら分からなかった。

しかし、15歳の兄は、この会話の内容にとっくに気づいていた。

ガチャ・・・

兄がドアを開ける。

「!?!?ア$B(I#y$B%"%i%s$B(I%%%!?」

大臣も王も一気に顔が真っ青になった。

さっきの会話を聞かれたんじゃないかと怯えたような顔になる。

「い、いつ帰ったんだ。おかえり・・・。」

兄はずっと下を俯いていた。

「ただいま・・・父さん・・・。」

「あ、ああ・・・おかえり・・・」

「・・・さっきの、聞こえたよ。」

「え?」

何を言ってるんだ、という顔を必死でつくろうとしてる王。

しかしポーカーフェイスはつくれなかった。

「僕は、この家の実の子じゃ・・・ないんだね?」

兄には珍しく声が震えていた。

完璧だった兄。

その兄が、泣きそうな目で下を向いている。

リオはどうすればいいのか、わからなかった。

「な、何の事だアラン。お前はこの家の・・・」

「誤魔化さないでください。僕は・・・僕は養子だったんですね?」

「・・・。」

真実だということは、王の顔を見ればわかった。

「・・・・・・そう、だったんですか・・・・・・。」

暫くの沈黙が流れた。

真実を知ってしまった兄にどうすることも出来ず、兄以外の3人は呆然としていた。

「アラン、思い悩む事はない・・・。別にお前は捨て子だったわけじゃ・・・」

「だったら、僕は何処の子ですか?」

「そ、それは・・・」

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

「リオは?」

「え?」

「リオも養女ですか?」

「いや、リオは違う。ちゃんとした実の娘だ。」

「そう・・・じゃあ、僕だけ・・・」

その言ったかと思うと、兄はリオを突き飛ばして、王室を飛び出した。

「リッ、リオ、大丈夫か!?」

出て行ったアランを追いもせず、突き飛ばされたリオに王は駆け寄った。

リオは未だ事態を把握できていなかった。

わかっていたのは、兄が本当は兄でないということ。

それだけだった。

「父さん・・・。」

「なんだ?」

「兄さん・・・捨てちゃうの?」

「・・・・・・そうなるかもしれん。あいつは王を継がせる為に引き取ったんだが・・・

向いてなかったようだ。」

「そ、そんなの・・・。」

「失敗したよ。これはあいつに知られるべきではなかった。」

「そんなのヤダァァァァァアァアァァァァ!!」

リオも兄を追って、王室を飛び出した。

兄は、兄ではなかった・・・。

海岸で微笑んでいた兄の姿が、涙とだぶった。

                    2

「兄さん・・・」

兄は、自分の部屋で伏せていた。

今まで見たどんな兄よりも、小さな後姿がやけに切ない。

リオは兄のそばによった。

「$B(I%%%来るな。」

「にっ、兄さん・・・?」

はっきりとした拒絶の言葉。

リオは泣きそうになりながら、その場で止まった。

「・・・リオも、知ってたのか。」

「・・・・何を?」

「僕が、養子だったこと・・・。」

「・・・知らなかったよ。」

「嘘だ。」

「え?」

「嘘だ!!」

バッと立ち上がって机の上の紙をはらう。

ハラハラと何枚もの紙が床の上に落ちた。

「う、・・・嘘じゃないよ・・・。」

「信じない。僕は、一人でずっと信じてたんだ。」

「・・・。」

「僕は、王家の正統な血をひいてるって・・・。」

「・・・兄さん。」

「なんだよ、その目。同情してるつもりか?」

数時間前とうって変わって冷たい兄の態度。

リオを見る目付きさえ、敵を見るようだった。

「同情なんてしてない。」

はっきりと言ったつもりなのに、声は震えていた。

兄の目が天井を仰ぐ。

冷め切った瞳で。

「・・・お前はいいよなぁ。暖かい家族に囲まれて・・・。」

「・・・・。」

「・・ああ、そうか。だから父さんや母さんはリオを可愛がってたんだ。

 よそものの僕を、本当は可愛がってなんかいなかったんだ。本当は・・・」

「・・・・。」

「思い通りに賢く育たない僕が、憎かったんだ・・・。」

「そ、そんなこと・・・。」

いつの間にか兄の目には涙がこぼれていた。

その涙は悔しさなのか悲しさなのか、リオにはわからない。

リオの目に浮かぶ涙も、同情なのか切なさなのかハッキリしなかった。

「僕、この国を出るよ・・・。」

「えっ!?何処にいくの!?」

「僕の本当の親を探す。何処かに、いるはずなんだ・・・。」

自分に言い聞かせるようにそう言って、涙を拭う兄。

その瞳には決心の色があった。

「もう、ここには帰らないよ。――どうせ誰も、僕を必要としてないんだから。」

「・・・・。」

兄が部屋を出て行く。

リオはがしっと兄を腕を掴んで、兄を引き止めた。

「兄さん、行ったら嫌だよ・・・。行かないでよ・・・。」

そんなリオを、兄は軽蔑の眼差しで見つめた。

「何言ってるんだよ。嬉しいだろ?これで家族の愛情独り占めじゃないか。」

「そんなの、いらないよ・・・。」

「嘘つくな!偽善者ぶったって、僕はもう騙されないからな!」

「だましてないもん、私・・・兄さんのこと好・・・」

「うるさい!お前なんか、目障りだ!!」

リオが掴んだ小さな手をバッと振り払い、兄は部屋を出て行った。

リオはこの時、自分の今までの記憶を自ら消してしまった。

自分が、傷つかないように・・・

あんなに優しかった兄の記憶さえ、全て忘れてしまったのだ。

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兄は、王にさっきリオに言ったすべてを語ると、「ここを出て行く」という

自分の意志をハッキリと表した

王は、自分が無責任に真実をしゃべった事に対して「すまない」と言った。

兄は、「謝られる覚えはない」と言った。

次期王としての、アランはもう何処にもいなかった。

あの優しかった微笑みは。

あの優しかった声すらも

二度と戻ることはなかった―――――――――――。