笑顔だったあの頃



・1・

「……全部わかってたわよ。あなたが、私を通してこの国を調査してたこと。」
リオは、目の前に立っている金髪の少女レベッカにそう言った。
「そう、知ってたの…。」
レベッカはそう言って、リオの視線から目をずらした。

数ヶ月前のことだ。
セントルシア王国と仲が良かったエーレブルー国は、突然セントルシア王国を攻撃した。
…前々からこれを計画だてていた相手国の思惑に気付かなかったセントルシア王国は、なんの準備もしていなかったので当然の惨敗だった。
この話は、まだセントルシア王国が平和だった頃の、リオにまだ笑顔があった頃の昔の話である。

「レベッカ、待ってよ!」
真っ青な空の下、草色の草原の中を二人の少女が駆けていく。
一人はエーレブルー国の時期王妃である15歳、レベッカ。
そしてもう一人はセントルシア王国の時期王妃である7歳、リオ。
二人の仲が良い事は、国中誰もが知っていた。環境も趣味も似ていた二人は親友のようにいつも一緒にいた。
「レベッカ…足が速すぎるよ…。」
「リオが遅すぎるのよ。ほらほら、もっと速く!」
草原の続く限り、そして力の続く限り二人は走った。
いつも窮屈な王室ぐらしの二人にはこれ以上ないぐらい楽しい時間であった。
そう、昔は。
「そろそろ王宮に帰ろうか。」
「うん、帰ろう。」
二人は王宮へと帰った。
レベッカは今セントルシア王国に遊びに来ていた。珍しい事では無い。
頻繁に訪れるレベッカにその時はあまり誰も興味を示していなかった。
「ただいまーっ!リオのお父様っ!」
まるで自分の父親のように、リオの父…セントルシア王国の王に駆け寄ったレベッカの後を、リオも同様に走ってくる。
「こらこら。今大切な話しをしているんだ。ちょっとあっちへ行ってなさい。」
腕にからみつくレベッカとリオを突き放して、王は周りの者と話しを続けた。
「ちぇっ…。じゃあリオちゃん、貴方の部屋に行きましょ。」
レベッカは口をとんがらせてリオに言った。
「うん、いいよ。行こう」
リオは笑顔で、レベッカを自分の部屋に招いた。
「リオお嬢様、夕飯はどうなさいます?」
そう聞いてきたのは、リオの付き人―イメルダであった。
「レベッカと食べるから部屋に持ってきて。」
「わかりました。では7時ごろ持ってきますね。」
「うん。」
イメルダはリオにとって、第2の母親と言っていいぐらいに安心できる存在であった。
生まれた時からずっと側にいるイメルダは、今年で26歳になる。
「リオちゃんの部屋ってここしかないの?」
「え、うん。そうだけど?」
「リオちゃんのお父様の部屋は?」
「この隣の隣だよ。なんで?」
「ううん!この城って本当に広いなーと思って。」
「そう?フフ。」
この時のリオは幼すぎた。まだ7歳の子供には、…何も分からなかったのだ。


・2・

「え、レベッカ帰るの?」
荷物を運んでいるレベッカを見つめながら、リオが尋ねた。
「うん。もう結構遊んだし…。もうそろそろ帰んなきゃね。」
「そうなんだ……。今度はいつ頃来る?」
「え……、わかんない。いつ頃かな?」
この時の意味深なレベッカの笑顔が、リオの脳裏に焼きついていた。

その日の夜中のことだった。
セントルシア王国の街が、突然爆破した。

「何事だっ!」
予想していなかった騒音に目を覚まされた王は、寝巻きのまま外に飛び出した。
赤く燃えている街はすでに、火の海と化していた。
「お、王様大変です!エ、エーレブルー国から宣戦布告の手紙が…!!」
「なんだと!?」
「あ、あなたっ!!」
リオの母…王妃も起きだし、城の中と街はパニックとなった。
「と、とりあえず火を消せっ!エーレブルー国に電話をつなげ!!」
「は、はいっ!」
一方、リオはとっくに目を覚ましていた。
レベッカが忘れていった小さなカバンの中から出てきた数枚の書類を、呆然と見ていた。
「……そういうこと……。」
当時7歳のリオはようやくレベッカの正体に気付いた。
「父さん、母さんっ!」
その書類を服のなかにしまうと、リオは自分の部屋から出た。
「リオお嬢様!」
すぐに飛んできたのは、イメルダであった。
髪を振り乱し、王と同様寝巻きのままでリオを抱きしめた。
「ああ、良かった…!ご無事だったんですね。」
「大丈夫よ…。それより、どうしたの?街が変に赤いわ。」
イメルダはリオに真実を話すことをためらった。
だが…
「…エーレブルー国が、我がセントルシア王国に戦争をしかけてきたんです。」
そう聞いてもリオは驚かなかった。
いや、心の中では充分驚いていた。しかし、それを表に出す事はしなかった。
「そう…。それで、父さんと母さんは?」
「分かりません…。王室に戻ったのでしょうか…。」
その時である。
             ガシャーーン!!!
城の扉が、こじ開けられた。
何人もの兵が、城の中へ入って来た。イメルダとリオは急いで見えないところへ隠れると、兵達の様子をうかがった。
兵士の胸にはしっかりとエーレブルー紋章が光っている。
「…イメルダ…。怖い…。」
「大丈夫です。私がそばにいます。」
そう言いきったイメルダの瞳に、一瞬の翳りが見えた。
「イ、イメルダ…ずっと側にいてくれる?」
「…もちろん、私はずっと側にいます。だってリオお嬢様の付き人なんですから。」
「そう…。」
リオは心から微笑んだ。
しかしその微笑みはすぐ打ち消された。母の悲鳴が聞こえたのである。
「母さんっ!」
我慢しきれず、その部屋に飛び込んだ。
リオの目に飛び込んできたものは、血の海に横たわる母であった。
「・・・・・・・・・・。」
そばには、母を刺したと思われるエーレブルーの兵士が呆然となっている。
殺すつもりはなかった、と言いたげな目で。
「リ、リオ・・・。」
母は、立ち尽くしているリオに手を伸ばした。
「・・・・・・・・・。」
リオは、母が差し出した手を握り返せなかった。
ただただ、恐ろしかったのである。何が起こったのか、理解出来なかったのである。
ふとリオの瞳に、父の姿がうつった。苦しんでいる母を見もせず、父は自分の身を守ろうと
必死に身を構えている・・・。
そんな父の姿が、リオの目にハッキリと焼きついた。
「・・・・・・う・・・」
母の目が静かに閉じた。
「母さん!」
リオはやっと現実なのだと悟り、今更ながら、母の手を握り返した。
しかし、反応はない。
リオはその時も現在も、このことをずっと後悔している。
何故あの時、差し伸べられた母の手をすぐに握り返してあげられなかったのか。
・・・もう、暖かい母の手を握り返すことは出来ないのに。
「・・・・・・・。」
もう、母はその手を差し伸べてはくれないのに。

その後、エーレブルーの兵士は静かにセントルシア王国を去った。
・・・王が、負けを認めたのである。
これ以上犠牲を出してはならないと、たった一日で降伏したのだ。
もちろん、軍備もまるで揃えておらず兵士がいなかったのが理由である。
「リオお嬢様。」
イメルダが、部屋で立ち尽くしているリオに声をかけた。
母を失っても現実はとくに何も変わらないが、とにかく母の手を握り返せなかった
罪悪感と後悔で、リオの胸はいっぱいになっていた。
「・・・何?」
疲れた表情で、イメルダを見つめた。
出来るなら、放っといてもらいたい状況だ。
「あの・・・。夕食の準備が出来ましたが・・・。」
「いらない。」
「少しは食べないと・・・。」
「いらない。」
リオは窓のほうをふっと見た。
下に見える街は灰のように白く見えた。昨日までの賑わいは、何処にもない。
「・・・なんで・・・。」
リオは独り言のように語り始めた。
「なんで、戦わなかったんだろ・・・。」
「え?」
小さく首を振る。
「戦えたはずよ。すべての兵士を出動させれば・・・。そしたら・・・。」
「・・・・。」
「そしたら、母さんの仇が討てたはず・・・。」
やり場のない怒りを、いつの間にか王に向けていた。
父が母を捨てたと思えて―――仕方なかった。
「ごめん。なんでもない。」
大きくため息をついた。イメルダに言っても、どうにもならない。
そんなことは、充分わかっていた。
―――この時、イメルダも小さくため息をついていた。

・3・

次の日、母の葬儀が行われた。
火葬場には王族がそろい、しずかに皆手を合わせた。
王とリオ以外、誰もが泣いていた。
「・・・イメルダ?」
ふと、イメルダがいないことに気付いた。
こんな大切な場で、何処に行ったのだろう。
リオは、キョロキョロと辺りを見回した。
「・・・何を探している?」
王が落ち着きのないリオに注意する。
「・・・イメルダは?」
「いない。」
「え?」
「今朝一番に、王国を出て行った。」
「・・・なんで?」
「・・・・・・この王国にいても、もう自分になんの得もないと思ったからだろ。」
「イメルダがそう言ったの?」
「ああ。」
パリン、とリオの中で何かがはじけた。
―――嘘・・・
リオは王の言ったことが信じられなかった。
しかし、こんな状況で王が嘘を言うはずもなく、本当にイメルダがいないのも事実であった。
「・・・・・・・・。」
リオは、黙って母の遺体がはいった棺おけに近づいた。
止めるものは誰もいなかった。
静かに棺おけを開けると、母がしずかに、眠っていた。
「・・・・・・。」
リオは、母がつけている青い小さなピアスをとった。
そして、グッと握り締めると母の棺おけをまた静かに、閉めた。
―――ずっと側にいてくれるって言ったじゃない。イメルダ・・・
目を閉じて、そう心のなかで呟いた。
「一人ぼっちになっちゃったわ・・・。」
そのピアスに語りかけるように、またもう一度呟き、リオはピアスをポケットに閉まった。

・4・

「・・・何しに来たの?」
母の葬儀から数日後、エーレブルーの兵士数人と王代理が訪れた。
予定してなかった王妃殺害を詫びに・・・
そしてその中に、レベッカもいた。
「貴方に逢いに来たのよ、リオちゃん。」
リオが部屋にいる時突然入って来たレベッカに、リオは静かに軽蔑の眼差しを向けた。
その瞳は敵意が剥き出しになっている。
「あの人は?」
「・・・・・・誰の事?」
「イメルダ、とか言ったっけ。」
レベッカはリオの部屋を見渡して、いつも側についていたイメルダがいないことに気付いたのだ。
「・・・出てったわよ。」
「へ?」
「自分の国に、帰ったわ。」
それを聞くとレベッカは高笑いして、そしてリオに近づいた。
「アハハハハ、そう・・・そうなの。リオちゃん、あなた捨てられちゃったのね。」
「・・・・・・。」
「可哀相に。たった一人の友達だったのにね?」
「・・・・・・。」
「ああ、以前は私も友達だと思われてたのかしら?」
「違うわ。」
「あら、違うの?あんなに仲が良かったのに、私達。」
リオはその言葉を聞くとスッと、ベッドの下から数枚の書類を出し、
レベッカに叩きつけた。
「・・・これが友達?」
その書類には、セントルシア王国の王宮の地図に室内の構図などがびっしりと書き込まれていた。
「あら、私ったら忘れて行っちゃったのね。」
「・・・全部分かってたわよ。貴方が私を通して、この国を調査してたこと。」
レベッカはその書類を拾い集めながら、呟いた。
「そう、知ってたの・・・。」
「・・・気付くのが少し遅かったけどね。」
「フッ、全くその通りね。」
レベッカはその書類をまるめてゴミ箱に捨てると、リオに近づき あごをクイッとあげた。
「・・・7歳の少女がする瞳じゃないわよ。」
「―――誰のせいよ。」
「あら、私のせいじゃないわ。人を勝手に信じ込んだ貴方が悪いの。」
「・・・・・・・。」
「おかげで侵入しやすかったわ♪すべての内情は私が知ってたんだもの。武器を揃えていないこととか
 軍隊は数えるほどしかいないとか・・・。あなたのおかげでね。」
「・・・・・・。」
「どう?完璧な作戦だったと思わない?」
「そうね。」
「あら、同感してくれるの?優しいのね、リオちゃんってば。」
「・・・。」
「ま、これからはあんまり人を信用しないことよ。」
「・・・ええ、よくわかったわ。」
「私のおかげでね。」
レベッカは自慢の髪をかきあげて、部屋を出て行った。
―――それでも、友達が欲しかったのよ・・・レベッカ。
誰にも言えなかった本音が、胸のなかをぐるぐる回っている。
リオは泣きそうな瞳をグッとこらえた。
「お嬢様?」
大臣が、リオを探しに部屋に入ってきた。
「大臣・・・・。」
安心してだかなんだか分からないが、リオは初めてその時涙を流した。
本当に一人になってしまった孤独感。
何も知らずに敵国の片腕となってしまっていた罪悪感。
信じたくなかった現実を目の前に突きつけられた・・・悪夢。
いろんな思いを、我慢することが出来なかった。
「・・・お嬢様・・・。」
「大臣・・・・・・・・・・・、母は・・・・。」
「・・・はい?」
「母は、生涯を通して守ってきた国に殺されたのですね・・・。」
認めたくなかった真実を、口にした瞬間に リオは何もかも信じられなくなっていた。

―――これからはあんまり人を信用しないことよ。

レベッカのセリフだけが、頭の中をいつまでも駆け巡っていた。

・5・

多額の賠償金を要求されたセントルシア王国は、
その後エーレブルー国に植民地として扱われることになる。
たった数時間のうちに、平和で自然豊かだったセントルシア王国は
リオの笑顔と共に永久に消え去ってしまったのだ―――――