とある平和な一日

 注意:このお話の中には、筆者の非常に個人的で偏見に満ちた表現・思想などなど
が多数使われております。予めご了承下さい。

 例によって例のごとく、とある国のとある街…というより村の、とある宿屋の一階
にある食堂にて。
 よく見なくても双子かと思われるぐらい似通った…もとい同じ顔の二人の人物が、
何やら仲良く(?)話をしている。
 テーブルの上には紅茶らしき飲み物が入った器が二つ。そして半分ぐらいしか入っ
ていない砂糖瓶。
 黒ずくめと白ずくめという両極端な格好をしている二人は、それぞれそれなりに長
い銀髪を、後ろで一まとめにくくっている。顔は何となくも何も女の人…だが、これ
を言うと黒ずくめのほうが怒るので黙っておく。
 とりあえず状況としては、食堂の一角に陣取った同じ顔をした女顔の男が二人、向
かい合わせに座って何やら話をしている…という感じ。
 内容は…薄い。
「…なのに、向こうの方では同じものが倍以上する値段で売られているんですよ。ど
う思います?」
「いや、そんな…どう思う?なんて聞かれてもさぁ…それが嫌だったら安い方で買え
ばすむことでしょ」
 どうやら『物価の店舗差』か何かについて話しているらしい。
 やたらと熱弁を振るっている黒ずくめのほうの話を、さすがに退屈はしていないも
のの、さして興味無さそうに聞いている白ずくめ。因みにこいつの目は赤い。
「そんな簡単な問題じゃないんです!」
 白ずくめの当たり前といえる返答を受けて、即座に反論する黒ずくめ。特に関係は
ないが奴の目は緑だ。
「安い方で買おうと思ったら、わざわざそこに行くまでの時間やら交通費やらがかか
りすぎるんです!当時は今ほど魔法を上手く使えなかったので、ほうきで飛んだり今
みたいに魔法の翼を作ったり出来ませんでしたし…何より、魔法で飛んでいける距離
じゃなかったんです!となると徒歩か馬車・竜車などなどですが………」
 珍しい黒ずくめの長台詞。やれやれという感じでそれを聞いている白ずくめ。
 まだ台詞は続いている。
「…だとお金がかかるでしょう?学生は総じて貧乏ですし、あまり思い出したくあり
ませんけど、私を引き取ってくれた人は私をどこかにやってしまいたいばかりに学校
の寮に入れたぐらいですからお金なんて持たせてくれませんでしたし…」
 …と、この辺の話に興味があるのか、白ずくめがやっと口を挟んでくる。そう、本
当にやっと。いつもの調子ならこいつの話に黒ずくめが口を挟む、という程度なの
に。
「引き取ってくれた?ルシーそんな話してくれたっけ?」
 そう呼びかけられた黒ずくめの男は、(自分の顔をした人(?)に自分の名前を呼
ばれたくない!)と強く感じると同時に、(いい加減にこの状況に慣れないと…)と
も思うのだった。そんなわけで相変わらずの黒ずくめの名前はルシー。
 白ずくめの質問に、少し表情を曇らせて答える。
「…だから、あまり思い出したくない、と言ったでしょう。この話はしてませんよ。
あなたに話したのはこの直前まで、ですね」
「直前…ねぇ…まぁいいや。で、その引き取ってくれた人って?」
 口調と服の色とが相まって、軽い感じに聞こえて見える白ずくめの台詞と表情。実
際重い話題には向かないキャラであることは確かだ。
「……人の話、聞いてましたか…?思い出したくない、と言ったでしょう」
 そんな白ずくめに向かってそう冷たく言ってみるルシーではあるが、次の台詞を言
うまでに考え直したらしい。
「でも、まぁ…人だけなら…。その人は父の兄で、もう子供もたくさんいて…確か5
人ぐらい…みんな私より年下だったはずです。だからかどうかは知りませんが、私を
引き取ってから魔法学校の寮に入れるまで、決して良い顔はしませんでしたね。一緒
に過ごしたのなんてほんの二週間程度でしたが」
 今はどうしているのか知りませんし、知る気もありません。…と、そう言ってこの
話題から抜け出すルシー。白ずくめもそれ以上は追求してこなかった。
「…で、用事があって二・三度そのいけ好かない店に行く機会があったんですが、そ
の度にその品物の値段の訂正を求める抗議文でも置いていってやろうかと思うぐら
い、全く値段が変わっていなかったんです。そのものに関する知識は、そこらの雑貨
屋の店員よりも私のほうが絶対上です。これだけは自信があります!だから直談判に
なっても私は構わなかったんですが…」
 ………回数を重ねるたびにキャラクターの性格が変わっていくということは、今の
ところ内緒である。
「ねぇ…その品物って一体なんなの?」
 もはやルシーの言葉が途切れた時ぐらいにしか台詞を言う機会が無い白ずくめ。立
場逆転…とはいえないが、かなり珍しい状態であることは確実。
「…知りたいですか?」
 答えたくない、というオーラを全身に纏ったような雰囲気でそう聞き返すルシー…
だが、白ずくめは首を縦に振るだけ。
 あからさまに仕方が無さそうに答える。
「……………石…ですよ」
「………懲りない奴」
「………放っといてください」
 とりあえず、ここでルシーの話は終わる。いうなれば、元に戻る。
「ところで、これからどうするの?僕の活躍によって酒場で話は聞けたけど、全然関
係なくて的外れなものだったしさ。はっきり言って行くとこないんじゃないの?」
 特に何の効果も無いが、白ずくめは小さなスプーンで紅茶をかき混ぜながらそう言
う。正直手遊びである。
「…はっきり言いますね…実際そうですけど」
 顔は同じでも表情は全く違う二人。それは三点リーダの数によって表されている…
かもしれない。
「しかしですね、アプフェル。その姿で子供みたいな喋り方をするのは止めてくれま
せんか」
 ここでやっと名前登場。白ずくめの名前はアプフェル。ドイツ語でりんごを意味す
る。
 半ば諦めたような感じの口調ではあるが、密かに命令の雰囲気が漂うルシーの台
詞。それをひらひらとかわしていくアプフェル。
「それは駄目だよ。だってルシーは前に言ったでしょ?『喋り方は個性の表れだ
!』ってさ」
「そんなことを言った覚えなんて無いですよ!」
「じゃぁ夢のお告げ!」
「だから…何なんですかそれは…」
 そんなこんなで時間は経っていく。
 アプフェルも普通に喋るのが上手くなったな〜…などと思いつつ、元の姿で普通に
喋ってくれればどれだけ楽か、とも思うルシー。同時通訳は結構面倒なのである。
 と、そういう暇で食堂もそれほど騒がしくなく(むしろ静か)、人入りの少ない喫
茶店と化している午後の一時に。
 突然嵐のようにやってくる甲高い声と言葉。
 堂々と店の真ん中に陣取り、元気いっぱいというよりはやかましいと言った方が正
しいであろう声で喋りたてている少女が三人。
 否応も無く声が耳に入ってくる。
「でさぁでさぁ、…のカレシがね…」
「え〜!?うっそぉ〜それってマジぃ!!?」
「ってゆぅかさ、むしろ…なんじゃない?」
 …という、リアルに想像できる会話を数ターンした後に、とんでもない歓声…とい
うより喚声が上がる。勿論笑い声。
 ………。
「あの…アプフェル…耳栓か何か持ってませんか?」
「…僕もそれを聞こうと思ってた所なんだけど…」
 ちっ、役に立たねぇ奴だぜ………と、二人がお互いをそう思ったかどうかは別にし
て。
 とりあえず彼女らの声は、もはや騒音レベルに達していた。
 同じような一定の大きさでだらだらと聞こえてくるならともかく、不規則に大きく
なり小さくなり、部分的に笑い声が入るものだから余計にたちが悪い。
 一人、二人…と店を去る客が増えていく。といっても、もともとそんなに人は居な
かったが。
 行く所が無いので仕方なくここに留まることにした二人。
 そして更に聞こえてくる騒音。
 しかし、その台詞の一つを聞いた途端、ルシーの表情が変わった。
「でもぉ、それってぇ、リリルちょーやなカンジぃ〜(↑)?みたいな〜」
 多少時代に後れた特殊なアクセントと語尾上げと語尾延ばしと…まぁそれは彼女た
ちにしか理解できない流行というものの影響であると大目に見ることにしたが…
「…どしたの?」
 さっきの台詞を聞いたきり硬直してしまったルシーに、アプフェルは不思議そうに
そう声をかける。
 そして同じく不思議そうに言葉を返してくるルシー。
「あ…あなたはあの喋り方に何の抵抗も感じないんですか?」
 何か恐ろしいものでも見てしまったかのような、どこと無く震える声でそう言う。
その視線は恐る恐る宙を泳いで、結局三人娘に止まってしまう。
「…別に?」
 そっけなくそう答えるアプフェル。魔獣には人間の喋り方なんてどれもこれも同じ
に聞こえている、としても不思議ではないが、
「だってさっきも言ったでしょ。『喋り方は個性の表れ』ってさ」
 こういうことを言っている以上、魔獣にもちゃんと人間の発音などなどの違いが分
かっているらしい。
 それにすかさず反論が来る。
「あの喋り方はもう『個性』じゃありませんよ!どこの街や村に立ち寄っても、ああ
いう喋り方をしている人たちが…というより少女たちが必ずいるんですよ!?一体何
が悪いのか知りませんが、神経を逆撫でするようなあの喋り方…気色悪いにも程があ
ります!どうして疑問でもないのに語尾が上がるんです!?どうしてやたらと語尾を
伸ばすんです!?…どうして自分のことを自分の名前で呼ぶんです!!?それが可愛
いとでも思っているんですか!?っあーもう鬱陶しい!!!」
 言いたいことは分かったからとりあえず落ち着け。
 アプフェルは絶対そう思っているに違いない。余程のことが無い限り取り乱したり
しないはずのルシーが、喋り方一つでここまで落ち着きを無くしてしまうとは。
「言いたいことは分かったから、とりあえず落ち着いてよ」
 思った通りのことを言ってくれるアプフェルだが、この程度でルシーが落ち着きを
取り戻すとは考えられない。
「これが落ち着いていられますか!…ならアプフェルは、ある日突然私があんな喋り
方をするようになっても何の抵抗も無い、と言うんですか?」
 アプフェルは、それはちょっと違うだろう、と頭の片隅にそう思っていても…悪乗
りしてやろうという考えの方が大きかった。
「じゃぁさ、ためしに一回やってみてよ」
 …もうこの台詞を言った時点でアプフェルの顔は半分にやけている。笑いを必死に
かみ殺していると言う感じで。
 多少の間も何も置かずに、少女たちの笑い声が聞こえてくるのをBGMに…
「私…じゃなくて、ルシーそんな喋り方やな感じぃ?ってゆぅか〜…」
 …本気でそう言ってみるルシー。こいつもこいつでもう駄目かもしれない。
 アプフェルはそれを聞いてついに大笑いする始末だし、自分たちの声の大きさの割
りに周りのことを良く聞いている少女三人組は、一瞬会話を止めて今度はひそひそ声
で喋りながらこちらを変質者でも見ているかのような目つきでちらちらと嫌な視線を
向けてくる。…そういう目を向けられても仕方がないようなことをこの男はやっての
けたわけだが。
「…上手い!上手いよ絶対!」
 お腹を抱えて笑っているアプフェルが、その笑いの合間にそう褒めてくる。
「こんなことでいくら褒められても嬉しくありませんよ!全く!あ〜もう私は一体何
をやっているんだか…」
 その正面で頭を抱えて自分の愚行を呪うルシー。
 …似ているような対照的なような…
 とりあえず愚か者二人組はそそくさと席を立ち、特に何の用事も行く当ても無いが
さっさと店を後にした。…夜になれば再び戻ってくることになるが。アプフェルが野
宿は嫌だと断固として言い張ったために、今夜は贅沢にも宿に泊まることになってい
るのだ。生涯野宿に等しい生活の魔獣がそんなことを言ってどうするんだと思わなく
もないルシーだが、反対した所で何があってもこいつは自分の考えを押し通すだろう
ということが分かりきっているので、今の所はアプフェルの自由にさせてやる。
 万が一力ずくで、なんてことにでもなれば、自分の命が危ない。
 くどいようだが相手は魔獣。百獣の王を従える実力の持ち主。
 さっきからやたらと騒々しかった食堂は、この二人が去るのとほとんど同時に静け
さを取り戻した。


 三人娘は二人が店を出た少し後に、その後を追うように外に出たのだ。「よう
に」、というよりは「ために」、の方が正しいかもしれない。
「何あのオバサン私たちのことじろじろちらちら見てきてちょ〜ムカツクってゆぅ
かぁ?何あれ?」
「でもでもぉ、白い服の人ぉ、なんかぁ…子供っぽくてぇ、カワイかったよね?」
「…どっちにしてもぉ…リリルたちを馬鹿にしたあのですますオバハン(?)にリベ
ンジよ!リンチよ!そうよ、私刑だわ!!」
 だんだん小さくなっていく白と黒の人影を見送りつつ、地元の三人娘はそう逆襲の
意を露にし…こっそりと尾行を開始した。
 かくして、魔法使い・魔獣組対ローカル三人娘の、全く意味が無く無駄としか考え
ようのない戦いが幕を開けた。
 …片方はこういう戦いが始まったということすら知らない。


 村から少し離れるとすぐに森に出る。こういうところが田舎である。
 都会にいては決して味わえない、自然そのものの空気があたりを支配している森の
小道。そんなところをぶらぶら歩きつつ、アプフェルはさっきのルシーの話し方を思
い出すたびにいちいち笑っていた。立派な思い出し笑い、である。
「…何がそんなにおかしいんです」
 アプフェルをそうさせている元凶は自分であるとはっきり分かってはいるものの、
やはりこう言いたくなるのが人の情。その表情はよろしくない。いわゆる半眼、とい
う奴。
「自分でも分かってるくせに!何あれ『るしぃあんな喋り方やな…
「繰り返さないでください!!」
 どげしっ!
 アプフェルが全ての言葉を言い終わる前に、一気に実力行使にでたルシー。こうい
うときのこいつは強い。
 とりあえず、普段なら絶対にしそうにないことを、羞恥心でいっぱいになってまと
もな思考が出来ない状態の今なら平気でやってのける。
 さっきは兄弟げんかなどでよくある「手と口が同時に出た」というあれである。手
ではなく足であったが…
 いきなり蹴り飛ばされたアプフェルは、まさかこの程度では怒ったりしない…は
ず。
「な…何するのさ!いきなり蹴り飛ばすなんて!!」
 いつもならこれが『くぇくぇ』になる所だが今は別。
 驚き八割、怒り二割。…いや、九と一ぐらいか。
 付き合いは長いのか短いのか良く分からない三年と少し…だが、その場の調子でア
プフェルがルシーをどうこうすることはあっても、その逆というのは滅多に無い。
 だからアプフェルは驚きまくっているのである。
「(………手と口が同時に出るとは…そんなに気にしてるなんて思わなかったけ
ど………うーん………まぁ、いいか)」
 立ち上がって、そう見えているだけの白い服をぱたぱたと叩く。アプフェルは厳し
い修行の結果、人の言葉の習得と服の色を変える、という特技を身につけたのだ。
「…じゃぁ、私はこっちの道に行きますのでしばらくお別れです。さようなら」
 自分と同じ顔の人物を、思いっきり嫌味な目で睨みながらそう言う。さようなら、
の言い方が目付き以上に嫌味ったらしい。
「お別れです、さようなら…って、ちょっと待ってよルシー!」
「さ、よ、う、な、ら!」
 もうほとんどケンカした子供のようにぷぃっと顔を動かすと、アプフェルの呼びか
けに答えず振り向きもせず、「こっちの道」の方へ行ってしまう。こういうところが
つくづく子供である。気持ちは分からなくもないが。
「…行っちゃった…」
 しばらく「こっちの道」の方をぼけーっと眺めているアプフェル。ボケ役がいなく
なった…失礼、いつも隣にいる人物がいなくなったので、次に取るべき行動が分から
なくなっているのだろう。ツッコミ役とはボケ役がいて初めて生まれてくるものであ
り、ボケはツッコミによってボケとなる。ツッコミのないボケはボケとはいえない。
「………じゃあ僕はあっちの道にしよ」
 二股に分かれた道の真ん中に立って、ルシーが行かなかった方の道を行くアプフェ
ル。単純である。


 その一部始終を見ていたローカル三人娘はというと…
「あっ!ひっどぉ〜い!!ですますオバサン何すんのよぉ〜」
 ルシーがアプフェルを蹴飛ばした場面の台詞である。もうすっかりこの三人は白ず
くめ…アプフェルの味方であるらしい。
 理由は簡単、子供っぽくて可愛いから。
 同じ顔であるのにこの違い。やはり人を見るうえで大切なのは性格の方であるらし
い。
「…もう手加減しないってゆぅか、本気?でいっちゃうわよ!」
「で、どうするどうする?」
「やっぱあのテしかないって!」
「だねだね!?じゃぁ、やっぱあっこになるよね?もと竜の巣穴!?」
 三人娘はそろって同じ方向を見ると、にやっと怪しい微笑を浮かべる。
「…そうね…そこにぃ、あのオバハンを連れ込んでぇ…」
「閉じ込めちゃえ!」
 やたらとテンションの高いキャピキャピルンルン元気いっぱぁ〜い☆、という村娘
が、そう元気いっぱぁ〜い☆な声で言う。
 その案が即刻決定され、三人はもはや知り尽くしたといえる地元の森で再び尾行を
開始した。
 次に出てくる時は、黒ずくめと一緒、である。


「(…どうして私はあんな妙なことを…)」
 アプフェルと分かれて別の道を行くルシー。周囲に広がる光景は、相変わらず「林
に限りなく近い森」と言う感じ。遠くが「森」の割に簡単に見通せる。
 ここから道を外れて真っ直ぐ行けば、そのうち「あっちの道」に出られるだろうと
は思っても、決してアプフェルに会いに行こうとは考えない。
「(それというのもあの少女たちが妙な喋り方をするから…)」
 いや、それを聞いて「突然私が〜」なんて妙な例え話を持ち出した自分はどうなっ
ているんだ?
 とりあえず、人というのは自分に不利になるようなことは進んで考えようとはしな
いようだ。
「(しかし、アプフェルもアプフェルですよ。私を煽るだけ煽っておいて笑いとばす
なんて…)」
 だから、アプフェルをそう仕向けたのはルシーで、勝手に煽られたのもルシーだっ
て。
 しかしこの場には彼にそう言ってくれる存在は無い。風が木々の葉を揺らしている
が、これが何かの声に聞こえてしまっては…もはや幻聴か、極度にこの音を「森から
声」として捉えようとしている下手な詩人としか考えられない。
「(…さっさと宿屋に戻るとしましょう。そして今日のことは忘れるんです。よし、
そうしましょう!)」
 一応気持ちに区切りが付いたのか、それとも強制終了させたのか、回れ右をして来
た道を戻っていくルシーだった。
 ここで何事も無く宿屋に帰り着くことが出来れば、この話はここで終了である。…
しかし、世の中とはそんなに上手く回るものではない。
 後ろから黒ずくめを追いかけてくる人物が一人。やれば出来るじゃないかという
「標準的な発音」で、いかにもという感じの悲痛な声を上げながら走ってくる。
「た…助けて…助けてください〜!!!」
 さっきのローカル三人娘の中の一人、リーダーっぽい少女である。
 走りながらそれなりに大きな声を出すとは…なかなかの体力の持ち主であることが
窺える。
 しかしルシーは振り返らない。だからといって無視しているわけではない。生まれ
てから現在に至るまで、知り合い以外の人物に話しかけられた機会が必要な時以外ほ
とんど無かったので、こんな所で声をかけられても「自分ではないな」という思考が
働いて、その声に反応しないのである。
 ……………悲しい。
「助けて…!!!」
 少女にしてみれば、こっちは頑張ってこんな悲痛な声出してやってんのに気が付か
ないふりをするなんてどういうことだ、という感じだろう。
 実際、助けてください、の言い方がかなり険悪になりつつある。
「助けてください!!!」
 周囲に人がいないのを見て、やっとこの声は自分にかけられているんだと諦めるル
シー。やれやれといった面持ちで振り返ると、そこにはどこかで見たような少女が、
彼を気付かせるために今すぐにでも飛びかかってやろうという体勢で体を縮めている
姿。
 しかし少女は非常によく機転が利くようで、そういう姿勢でいてもおかしくない!
という状況をあっという間に作り出す。
「助けてください!友達が…友達がぁ…」
 …と、腰を落としている姿勢を利用してそのままルシーにすがりつく。
 何となく、「赤ちゃんを連れ去ろうとしている男にしがみついて子供を返せと懇願
している母親」の図に似ていなくも無い。立場も状況も全く違うが。
 慣れる慣れないの問題ではないにせよ、問答無用で困惑するルシー。どこかで見た
顔の少女が、今は自分にしがみついて放そうとしない。
「…一体何が起ころうとしているんです…?」
 半分泣いている(勿論演技)少女の顔を見下ろして、情けなくもルシーはそう考え
るのが精一杯だった。
 こういう状態に持ってきた時点で、「魔法使い対三人娘の中の一人」の勝敗は決定
したも同然である。
 少女はルシーがどこかに逃げないように(実際彼にそんな余裕は無いが)黒ずくめ
な服を掴んだまま、早口気味に伝えるべきことを伝える。
「友達が竜に襲われて…そのまま竜の巣に連れて行かれちゃったんです…お願い、助
けてください!!!」
 ぶりっこ!
 そんな言葉が真っ先に浮かんでくる。しかし猫を被るのは、これからの社会で生き
ていくうえで最も重要とされる手段の一つであろう。
 ルシーももうちょっと猫を被っていれば、また別の人生を歩んでいけたのかもしれ
ない。
 アプフェルは…どうだろうか。
「え…えぇと、あなたは確か…先程食堂にいた人…でしたっけ?」
 この状況においてそんなことはどうでもいいだろう!?
 お互いそう思っただろう。しかしここは少女、話を円滑に進めるためには多少は相
手の言うことも聞いていかなければならないと分かっている。
「そう、そうです!まさかこんなことになるなんて思ってなかったから…だからあな
たの姿を見つけたとき食堂にいた人だなぁって思ってぇ…すごく嬉しかったっていう
か…助かったぁ、みたいな?気になったんですぅ」
 長台詞になると喋り方が怪しくなってくるが、まぁ大丈夫。こういう喋り方は猫を
被る上で重要だ。
 …何より、くどいようだが今のルシーにまともな思考なんてものは出来ない。
「だから!助けてください!あぁっ、こうしているうちにも友達が竜に食べられてし
まう!!…」
「(…何となく下手な劇の台詞のような…)」
 不審な感じがしないでもないが、だからといってここできっぱり彼女の「助けてく
ださい!」コールを断れるような性格ではない。
「(竜…竜がひとさらい…友達…妙な喋り方…竜…アプフェル…)」
 今の所の重要単語はこれぐらいだろう。それらがルシーの頭の中をぐるぐる回って
いる。
「(正直彼女たちとは関わり合いになりたくない…でも話が本当で私が助けに行かな
かったばかりに彼女の友達を竜のえさにしてしまったら…当然彼女は竜を恨む代わり
に私を恨んでくるでしょうし…村をあげて私のことを非難しにくるでしょう…そんな
状況…果たして耐えられるかどうか…)」
 そして五秒と経たないうちに、結論「無理」…というのが出てくる。
 ちょっと観点がずれているような気がしないでもないが…まぁそれはそれでおいて
おく。
 涙ぐんだ目でじ〜〜〜〜〜〜っとルシーの目を見つめてくる少女。それが気になっ
て気になって仕方が無く、折角出来かけた「まともな思考」は、再びかき消されてい
きつつある。
 魔法使いは集中力が必要不可欠というが…
 お前本当に魔法使いか!?
 というツッコミは無し、ということで。
 それでもさっきまでの考えには一応「まともな思考」状態での答えが出ている。即
ち、「どんな結果になろうと助けに行かないと後が怖い」である。
「(こんな厄介な体じゃなかったら絶対断っているものを…)」
 …世の中そんなに甘くない。
 とりあえず、そういう気持ちを表情には極力出さないようにして、嫌々ながらも少
女の言う「竜の巣」へ行ってみる。
 …いい加減諦めをつけよう。
 そういうところが良くないと自分でも分かっているだろうとは思うにしても。


「こっちの道」から外れてひたすら北と思われる方角にたったか走っていく二人。前
を行く少女の表情はその真後ろにいるルシーには分からなかったが、してやったり!
というものであろうことは容易に想像できる。
「(上手くいったってゆぅか〜?私って結構ヤルじゃん!?)」
 にやっと笑って、自画自賛。
 そのまま一言も言葉を交わすことなく、森の終わりになっている岩壁の前まで来
る。ちょっとやそっとでは崖崩れは起こらないだろうという感じの、非常に頑丈そう
な岩壁。都合良くかなり大きな穴が一つ、森の木と同じぐらいの高さの所に開いてい
る。
 中ぐらいの大きさのドラゴンなら簡単に入れるだろう。
 その穴を見上げて、少女は言う。
「あそこが竜の巣です!お願い!早く助けて!!」
「………」
 同じように見上げて、ルシーは思う。
 アプフェルの出番です、…と。
 しかしここまで来て引き下がれない。乗りかかった船…というよりは、半ば無理や
り乗るよう決断を迫られた船である。
 入り口に最も近い木に登って飛び移る、村からはしごを持ってくる…など、入り方
にはいろいろな方法があったが、ルシーはこの話の冒頭でも言っていたように「魔法
使いらしく」魔法の翼で飛んでいく、という方法を取った。
 やる気も何も無い、という声で詠唱を始めて、とりあえずその魔法を完成させる。
 魔法の翼は、特に何も考えなかったら自動的に色は白。いろいろ考えれば様々な色
が出来るらしい…が、今はもうどうでもいいようなので白い翼になっている。外見的
には立派な有翼人だ。
「えぇと…無事ならちゃんと助けてきますので…」
「お…お願いします!」
 ため息をついてからばさばさと上昇するルシーと、必死に笑いをこらえながらそれ
を見上げている少女。
「頑張って!おね―さま!!」
 そしてこの一言がルシーのなけなしの集中力を奪い去り、かなりあっさりと魔法の
翼は消えてしまう。…が、ここは根性で何とかカバー。落下する直前に、ぎりぎり手
が入り口のふちに届いた。
「(…えぇ、頑張りますよ…)」
 よっ、とそのまま上がって、注意深くあたりを確認しながら奥へと進んでいく。
 因みに魔法の翼、調子のいいときなら連続使用1時間まで可能らしい。


 かなり広い空洞、としか言いようが無かった。
 天井、壁、床に敷き詰められたレンガのようなブロックのようなものが、かなり大
昔のものであるらしく崩れまくってはいたが、この空洞が人工のものであることを物
語っている。
「遺跡ですね…過去に何度も荒らされてきたようですが」
 普段ほとんど使うことの無いナイフの先に光を灯して、早速この空洞を探索してい
る。…人助けはどうなった?
 しかし光が照らし出すのは何も無い床、壁、天井、割れた壷、意味深なスイッチ。
魔物の影一つ無い、至って平和な遺跡である。
 入り口に通じている、割と大きめの部屋。そしてその奥にある、かなり広い部屋。
ここなら大きめサイズの竜でも快眠できる。
 出来るのだが…この二部屋しかなかった。
 非常に貧相な遺跡である。
「誰かいませんか〜?」
 と呼びかけてみても、返ってくるのは天井やら壁やら床やらに反射した自分の声だ
け。
 竜の気配も無ければ、囚われの身となっている少女の姿も見えない。
「…遅かったのか、少女の見間違いか…それとも…騙された…?」
 とにかくもうここには用は無くなった。
 そう思い、出口の方へ向かうが…
 さっきまで外と繋がっていた入り口が、しっかり閉まっている。
「………やられましたね…」
 こういうときはやたらと冷静になれるものであるらしい。
 そんな時、外からかすかに聞こえてくる声。とりあえずそれに耳を澄ましてみる。
「やっちゃった〜vもうチョー大成功!?ってカンジ!!?」
「まさかぁ、あんなにぃ、うまく行くなんてぇ、思わなかったよね?」
「ふぅ〜…これでぇ、やっとすっきりしたってゆぅかぁ?あのですますババァ人の喋
り方にぃ、いちいちケチつけんな?だよね〜」
 ………。
「…ですます…ババァ…」
 分厚い岩の扉ごしに聞こえてくる少女たちの言葉にいたく傷つきつつも、気になる
点はやはりそこだった。
「そんなに高い声をしてるんでしょうか…私は…」
 とりあえず、自分の力では開きそうに無い扉を開ける方法を探すべく、再び遺跡探
索を開始する。
 ここの遺跡の開閉スイッチは森の木の中に隠されていて、地元の者なら誰でも知っ
ているぐらいだった。そして当然中にもスイッチがあるのだが…
 奥の部屋の手前の方で、いかにもそれらしいスイッチを見つける。壁にあるレ
バー。単純な仕掛け…ともいえないスイッチ。
 とにかくそれを動かしてみる。
 がこん!…と盛大な音を立ててそのレバーは下がったが…何も起こった気配は無
い。上げてみるも、結果は同じ。がこがこやっているうちに疲れてきたのか、それと
も見込みがないと判断したのか、他のスイッチが無いかどうかを調べに移る。
 …が、無い。
 床も天井も壁も、くまなく探したが何も無い。
 例のレバーは反応なし。
 だが…地元の人は知っている。ここの開閉スイッチであるレバーが壊れていること
を。というのも、昔住み着いていた竜がそのスイッチを壊してしまったからなのだ
が。
 …そして今は外からしか開け閉めができないということを。
「…閉じ込められた…?」
 認めたくないが、それは事実としか言いようが無い。
 とりあえず脱出方法を考える…が、一つしか思い浮かばなかったため早速その方法
を試してみる。
「…(魔法詠唱内容)」
 淡い緑の光がふよふよ漂って、それがそのうち一点に集まってくる。まだこの「魔
法の光」は待機中。呼び寄せた者の合図がないと、この魔法は発動されない。
「全てを貫く槍となれ!」
 ぴしっ、と閉ざされた入り口を指差してそう鋭く言う。
 光は細長く凝縮され、槍のような形になってルシーが指差した方へ飛んでいく。
 そして、言葉通り入り口をふさぐ岩壁をいとも簡単に貫いて…どこかに行ってしま
う。
 よく考えても考えなくても、ものすごく危険な魔法である。そのうち勝手に消滅す
るだろうが、それまで岩があろうと何があろうと関係なく突き進んでいく。
 貫通する能力は素晴らしいが…この方法は大失敗である。
 岩壁に穴を開けていったわけだが、穴の大きさはせいぜい槍の軸程度。こんな所を
通り抜けることが出来るのは、虫やトカゲ…小動物の中の小動物ぐらいなもの。
「……………」
 しばらく自分の考えの甘さが生み出した結果に呆然となり…
「…はぁ…」
 現実なんてこんなもの、と悟る。
 のぞき穴のようなそれから見える空は、限りなく青かった。


 場面変わって、こちらは青い空の下、してやったりといった感じの笑い声を遠慮な
く上げている村の三人娘。
「てゆーかぁ?もーちょっと面白いことー、なんかない?」
「私はぁ、きょうはぁ、じゅ〜〜〜ぶんオモシロかったヨ?」
「目的ってさー、達成しちゃったらさ?その後ってぇ、すっごく満足するんだけ
どぉ、なんてゆうか?ほら、急にぃ、ソウシツカンってのが強くなったりするってゆ
うの?」
「わぁー、それ、その気持ち分かる分かるv」
 森のような林のような、そんな中途半端な木々の間を縫って作られた道を歩きなが
ら、少女たちはケタケタという笑い声などを織り交ぜながら無遠慮に雑談を続ける。
 食堂でしていた時と同じような調子で、大きくなったり小さくなったり。今は周囲
に人がいないからまだ迷惑さはないが…
 そんな大きな声で喋っている少女たち三人を、彼女たちの上空から注目している影
が一つ。
 それは、魚を見つけたカモメか何かのように急降下して、三人の中の一人をあっと
いう間にさらっていった。


 場面戻って、僅かな魔法の明かりとか細い一条の光しか光源の無い、暗い遺跡の
中。
 楽観的な思考が出来るのも僅かな間だけで、閉じ込められてから約一時間経った今
では消極的な考えしか浮かんでこない。
 外から漏れるように入ってくる光を、遺跡の奥から恨めしそうに見つめて、気が付
けばため息ばっかりついていた。
 もしかしたらアプフェルが来てくれるかもしれない…とは思っていたが、半ばこち
らから無理矢理別行動を取ったようなもの…というより既に取っている最中なので、
その線はきわめて当てに出来ない。
 とりあえず、どうしようもなく不安で不安で仕方がない。このままここで死ぬの
か…とか、そういうものばかりリアルに想像してしまう。
 もうそろそろいろんな意味で限界かもしれない。逆境に弱すぎる奴と言ってしまえ
ばそれまでだが…
 しかし、運命の神はルシーを見捨てはしなかった…かもしれない。
 いきなり出入り口を塞いでいた分厚い岩の壁が、轟音と共に破壊される。あまりに
も突拍子なことだったので驚いて声も出ないし身動きも出来ない。やたらとどきどき
している胸を必死で押さえて、次は一体何が始まるんだと新たな不安に駆られている
自分を情けないと思いつつ、突然差し込んできた光に目を細める。
 すると、光は徐々にその形を変えて…早い話が何か大きなものがその光を遮って、
この遺跡の中に入ってきた。
 真っ暗ではないのでそれが何なのか判明するまでに要した時間は、ほんの極僅かし
かかからなかった。
 竜。それである。
 翼をたたんで四つんばいになって、口にはどこかで見たような少女をくわえて、の
そのそとこちらに近付いてきているが…こいつは紛れも無く竜そのものだった。
「放してよぉ!ねぇ、放してってばぁ!!」
 その竜にくわえられてここに連れてこられた少女は…かなりやかましく抵抗してい
るように見える。どことなく気だるい感じがしないでもない喋り方はそのままで、た
だひたすら「放せ」を連発している。
 …竜を相手にしているのにもかかわらず、全くひるんだ様子を見せない少女をかな
り素晴らしい神経の持ち主だと思いつつ、相変わらず絶句したままのルシー。とにか
く、状況が変化したということもあり、先程まで感じていた不安は殆ど消えていっ
た。変化が無いというのは考え方を変えられないので良くないらしい。
 竜は遺跡の奥の部屋、つまりルシーのいる大きな部屋まで来ると、目だけ動かして
部屋全体を見回して…そしてある一点にその視線を固定させる。竜の目が捉えている
のは…この状況だとルシー以外に無いだろう。そして彼もまたあっけに取られた様子
で竜を見つめていた。
 竜は騒ぐ少女をぺっと床に下ろす…というより落とすと、多少聞き取りにくいもの
の、低い声でこう言った。
『今日は何と運がいい日だ。獲物が自ら我が家に入ってきているとは。全く喜ばしい
限りだ』
 喋るドラゴン。何となく表情まで喜んでいるような感じに見えるが、堅い鱗に覆わ
れたその顔が感情によって変化するとは思えない。
「あの…それって私のこと…ですか?」
 何とか言葉を取り戻したルシーは、そう自分を指さして聞いてみた。そんなことを
聞かなくても答えはわかりきっていただろうけども。
 案の定竜は、いかにも『その通り』と言いたげな目をして、二回もうなずいてみせ
る。
 閉じ込められてそのまま死ぬかもしれない、という運命の次に待っていたのは、竜
に食べられて死ぬかもしれない、という運命だった…
 …なんてことにはなって欲しくないと心底思うルシー。しかし、どちらか一方を選
べと言われたなら、多分彼は竜のえさになることを選ぶだろう。勿論えさになる前に
ささやかながら全力で抵抗するが。
『…さて、ワシは少々疲れたので眠るとしよう。…逃げるんじゃないぞ』
 竜はさっきよりも低く、どすの利いた声で二人にそう警告する。その視線は蛇の数
倍恐ろしい。
 そして出入り口を塞ぐように横たわって、目を閉じた。
 いつの間にかルシーの横に来て、隙あらばこいつを楯にしてやろうと画策していた
少女…たしかリリルという名前…は、いきなり脱出しようと、そっと竜に近付き、恐
る恐るそのそばを通り抜けようとする。
 しかし、こういうものはうまくいかないことの方が多い。
『逃げるな、と言ったはずだ。それとも今すぐ食べられたいのか?』
 片目だけしっかりと開けて、少女を睨みつける竜。口調は先程と同じくかなり恐ろ
しい。
 少女は思いっきり首を横に振る。もう目が回るんじゃないかというぐらい。竜の声
と視線が恐ろしすぎて、声が出せないらしい。
『…ならそこの男みたいに静かにしていることだな。竜の眠りを妨げるなどという愚
かな行為はしない方が良いぞ』
 それだけ言うと、再び竜は目を閉じて寝息を立て始める。竜は起きるのも早ければ
眠りに就くのも早い…のだろうか。
 少女は足早に竜から離れると、かなり驚いた様子でルシーに話しかける。
「あんたってさぁ、男だったの!?」
「…そーですよ」
 もう諦めているとはいえ、その言い方はかなり投げやりなものだった。
 少女はまだ信じられないといった表情でルシーの顔を見ているが…それもすぐに彼
の「人の顔をじろじろ見るのは止めろ」と言わんばかりの非難がましい目によって止
めざるをえなくなる。
 …そしてしばらく沈黙が続く。
 もともとあまり喋らない性格のルシーと、喋り好きだが相手次第な少女。会話が成
立するはずが無い。更に両者は現在抗争中である。
 薄暗い空間に、竜の呼吸する音だけが響いている。
 …いるのだが、さすがにこの状況、何とか動き出さないと本当に二人とも竜のえさ
になりかねない。
「ねぇねぇ」
「…何ですか?」
 リリルは思い切った様子でルシーに話しかけてみる。気安く話しかけんじゃねぇ、
という雰囲気がひしひしと伝わってくるわけでもないが、それでも彼は世間一般的に
見てかなり近寄りづらい存在なのだろう。数少ない友人たちと、現在別行動中の魔獣
を除いて。
 嬉しくも悲しくもない、という、いうなれば全く普通の表情と声音で、とりあえず
リリルのほうを向くルシー。話しかけられでもしない限り、彼は決して『妙な口調の
少女』と言葉を交わそうとは思わなかったに違いない。
「あのさぁ、あんたってさぁ、魔法使いなんでしょ?」
 多少語尾延ばしが残っている感じがするが、かなり標準語に近い発音で喋るリリ
ル。ここで唯一の味方であると思われるルシーの機嫌を悪くするわけにはいかない。
「魔法で何とかなんない?」
 冗談抜きですがるような視線を投げかける少女だが…
 返ってきた答えは、
「…竜と争うなんてことはしたくありません」
 …なんてものだった。
 並みのレベルの竜ぐらいなら何とか出来そうな魔法を使えないこともないルシーだ
が、とりあえず竜と対立したくないらしい。
 これを聞いた少女は当然怒り出す。当たり前だ。何しろ自分の命がかかっているの
だから。こんな所でこんな無愛想でさっき会ったばかりの自分たちの喋り方にいちゃ
もんつけてきた奴と仲良く竜のえさになど、誰がなりたいと思うだろうか。
「意気地なし!人でなし!人の命がかかってんのよ!?私が食べられるかもしれない
のよ!?」
「…そうですね」
「そ…そうですね、って何よ!あんたちょっとぐらい危機感ってものを感じてもいい
んじゃないの!?どぉしてそんなに落ち着いていられるわけ?!」
「(…落ち着いてないと何もできなくなるからですよ…)」
「あんたには人情ってものがないの!?」
 竜と戦う…とまではいかなくても、竜の気をそらすことぐらい出来るだろう、こい
つがそうしている間に自分はこっそりここから抜け出して村に帰って………というこ
とを少女が考えていることぐらい、容易に想像できる。人とは、特に何の関係もない
相手を平気で犠牲にできるものなのだ。よく「無関係な人まで巻き込んで」とか言わ
れるが、関係ないからこそ何でもできるのかもしれない。
 要は、知ったことではないのだ。
 出会ったばかりでお互い悪い印象しか抱いていないこの二人は。
「…だったら、私に一体何をして欲しいと言うんです?」
 さすがにリリルの言いたい放題に耐えかねて、かなり険悪な表情と口調でそう彼女
に言う。少し前に彼がアプフェルに対して同じようなことをしたが…それとは比べ物
にならないほど、ただ純粋に怒りの感情が読み取れる。
 こういうタイプは怒ると怖い。
「何をって…そんなの決まってるじゃん、竜を倒してぇ、私をここから無事に連れ出
して欲しいのよ!」
 リリルは開き直ったように面と向かってそう言い切る。竜の命もルシーの身の安全
も何も無い。
 そんな彼女の物言いにむしろあきれ果てて、高ぶりかけていた感情がまるで波が引
くように収まってくる。
「…正直な人ですね…」
 ため息交じりにそう呟くルシー。その表情は決して柔らかいものではなかったが、
しかし内心では助かった、と思っているに違いない。
「ってゆぅかぁ、あんた竜と戦いたくなかったんならさぁ、どぉして私の言うこと
あっさり信じてここに来たわけ?」
 言葉の勢いとその場のノリで聞いてみる。何となくこいつの行動が矛盾していると
思ったのだろう。
「あっさり信じて、というわけでもないんですけど…。正直な所、申し訳ないですけ
ど私はあなた方のこと全く信用していませんよ。でも、もしあなたの言ったことが本
当で、私が助けに行かなかったばかりに友人が竜のえさになってしまっていたら…あ
なた誰を恨みます?」
 ルシーはリリルの問いかけに、自分でも驚くぐらい本音に近い答えを出した。その
間ずっと彼女の目をみつめたまま。
 決して睨んでいるわけではないが、そういうふうにされると「先生に怒られている
生徒」のように言葉が出てこないリリル。
 しばらく間をおいて、再びルシーが話を続ける。
「…私があなたの立場であったなら、まず間違いなく竜ではなく助けに行かなかった
その人を恨みます。…きっと家族の人も村の人もそうでしょう。私の勝手な思い込み
かもしれませんけどね」
「………そうね。そうかもね。少なくとも私ならそうするかもね」
「あまり人の恨みは買いたくないんですよ。残念ながら私の精神はそれに耐えられる
ほど強くないので」
 …で、今に至るというわけです、と締めくくる。
「…あんたってさぁ…」
 リリルが、何か哀れな存在を見ているかのような表情で言う。
「………見た目通り女々しいってゆぅかさぁ…もぉちょっと、何というか…がさつっ
てゆぅか大雑把ってゆぅか、そんなのになったほうがいいんじゃない?人の気なんて
いちいち気にしてたらさぁ、身が持たないよ?」
「……………め…女々しい………」
 さすがリリル、的を射たことをずばりと言ってくる。この辺の遠慮の無さが彼女た
ちの元気の素なのかもしれない。
 そして、何気なく…なのか、本当にルシーのことを心配してなのか、それとも面白
半分なのかどうかは知らないが、そういう言葉をかけられた当本人は、最初の一言に
いたく傷ついていた。
 自分でも、そう言うところが女々しいんだろうと分かっていても…。
 すると、突然竜が目を覚まし、頭を持ち上げて二人の方を睨みつける。
『いい加減に静かにせんと、今度こそ食べてしまうぞ!!?』
 何となく、この竜は口を開くたびにどすの利いた言葉を発してくるが…回数が増す
ごとにどすに磨きがかかってきているようにすら感じる。
 リリルはやはり首をひたすら横に振って、一瞬のうちに静かになる。ルシーは…
きっかけが無い限り黙ったままなので、これ以上静かにはならない。
 竜は三度平和な眠りの世界に身を投じようと目を閉じるが…何故かいきなりはっと
目を開ける。何かに気付いたように視線をめぐらせて…結局ある一点に固定される。
『おい!そこの男!』
 竜は、今さっき女々しいと言われたばかりのルシーをぎろっと睨んで、続ける。
『…お前、本当に人間なのか?』
 竜のこの台詞に、ルシーのすぐそばにいたリリルは思わず彼と距離を置く。ものす
ごく失礼な態度だが…人間とは人外の存在に対しては決して寛容とはいえない。全部
が全部そう、とは言えないが。
 …そうじゃなくて。
 リリルは信じられないといった表情でルシーを見ているが、それ以上に驚いている
のはやはりルシーその人だった。…本当によく驚く奴である。
「ど…どこからどう見ても私は人間にしか見えないでしょう?エルフの方々のように
耳が長いとか、そんなこと全くないですよ!?」
 今までリリルたち三人を含む様々な人たちに性別を間違えられたことはよくあった
が…「人間なのか?」と言われたのはこれが初めてである。自分でいくら考えてみて
も原因は分からない。
 竜はそんな彼を気にすることなく、自分の意見を主張(?)し続ける。
『…もしや魔獣か?やたらと魔獣くさいのだが…』
 今日だけで何度も驚いてきたが、それと同じぐらい呆れてもいるルシー。この言葉
はかなりポイントが高い。リリルの彼を見る目はもはや恐怖にすら変わっている…か
もしれない。
 「だから、この私のどこが魔獣なんですか!?ツノも翼もしっぽも無いでしょう!
一体どこをどう見れば私が魔獣に見えるんですかこのすかぽんたん!」…とは決して
言うまい。しかし言いたい気分であるということは否定できない。
「…魔獣くさい…」
『人間やそこらの動物には分からんだろうが、確かにお前からは魔獣の気配がする!
!』
 自信たっぷりにそう宣言する竜。
「そりゃぁまぁ…始終アプフェルとべったりですから、それも当然かもしれませんけ
ど…」
 ようやく原因に思い当たるルシーだが…竜はその台詞よりも、その中に出てきたと
ある名前の方に気を取られていた。
『何!?アプフェル!!!』
 …と竜がその名を口にしたそのとき…
『くぇぇぇぇっ!!』
 ………非常に都合よく、例の魔獣の威嚇するような声が聞こえてきた。


 時間は少し遡って…
 リリルが竜に連れ去られた直後、残された二人はまだ森の中にいるであろう白ずく
めの男を捜して走り回っていた。
「もうっ!どこにいるのよぉ〜!」
「早くしないとぉ〜リリルがぁ〜!」
 …などなど、お互い口にしながら森の中を縦横無尽に全力疾走する。
 彼女たちの体力は素晴らしい。
 彼女たちの努力をよそに、白ずくめの男…アプフェルは、森の外れにある湖の岸に
座って、ぼーっと遠くを眺めながら何かを考えている様子。奴がぼーっとしているな
んてことは滅多に無いので、これかかなり珍しい。考えているのは多分…というより
絶対ルシーのことだろう。
「(…まだ怒ってるのかな…きっと怒ってるだろうなぁ…ルシーって根に持つタイプ
だから…それに何でも本気にするんだよね…冗談が通じないと言うか…その割に考え
てることとか思ってること言わないから…はぁ…人間って難しいなぁ…)」
 …大当たりである。
「(…そういえば、そろそろ財布の中身が危ないって言ってたっけ。あーあ、また野
宿の生活かぁ…)」
 …魔獣のくせにこの台詞はどうだろうと思うのだが…いつも布団にされているこい
つのことを考えると文句は言えない。
 そんなこんなでそろそろ宿に戻ろうと思っていた。その時。
「助けてぇ…助けてください!!!」
 やっとアプフェルを見つけた少女二人が、彼にすがりつこうとする。…それを遠慮
なく飛びのいて避けるアプフェル。
 しかし、とりあえず話は聞く。根は善人なのだ。
「一体何があったの?」
 外見はルシー、声はアプフェル…なので、かなり違和感があるのだが…今はそれを
気にしている場合ではない。
「友達が…友達が竜に襲われて…そのまま竜の巣に連れて行かれちゃったんです…お
願い、助けてください!!!」
 今度こそウソ泣きではなく本気で泣いている少女二人。
「竜に?」
「はい…うぅっ…この近くにぃ…竜の巣があってぇ…あなたの連れの人もそこに…」
 まさか自分たちがそこに閉じ込めた、とは言えまい。
 それを聞いてアプフェルの表情が変わる。
「それってどこ!?どっちの方向!!?」
 少女たちは泣きながら、湖から北西の方向を指差す。
「森の終わりに崖があってぇ…ひっく…そこに穴が開いてる…」
 その声を最後まで聞いてから、アプフェルは元の姿に戻り、翼を大きく広げると、
北西の方向に飛び立っていった。
 あっけに取られてそれを見送る少女二人。
 …ルシーのこととなると行動が早いアプフェルだった。


 森の終わりにある崖に近付くにつれて、「ドラゴンくさく」なってくる。まばらな
森の上空を飛び、崖にぽっかり開いた巣の入り口を見つけたとき…


「(これは…アプフェルが本気になっている時の鳴き方ですね…)」
 どことなく安心したような表情のルシー。因みにこの鳴き声、ただ聞いただけでは
いつもの鳴き方も何も分からない。だからといって聞き分けるコツがあるというわけ
でもないが。
 そんなルシーをよそに、かえって「今度は一体何が出てきたのか」とそわそわして
いる様子のリリル。普通はこういう反応になるのだろう。
『アプフェル…ついにこの時がやってきたか…』
 竜は低く唸り声を上げながらゆっくりと立ち上がり、長い尾をしならせて向きを変
える。そしてそのままで入り口から外に飛び立つ。
 非常に思わせぶりな竜である。
「…あの竜とアプフェル…何か関係があるんでしょうか…?」
 あるから竜がアプフェルの名前を知っていたと考えられなくもない。外からは早速
けたたましい鳴き声やら猛々しく吠える声やらが聞こえてきている。
 まぁ、何にしても…
「今がここから平和的に脱出するチャンスですね」
 竜をどかす必要がなくなった今、何も遠慮することなくここから外に出られる。…
もしもリリルの「嘘」が本当だった場合、ルシーはどのようにして竜から友人を助
け、逃げようとするつもりだったのだろうか。
 彼はリリルにそう呼びかけて、ここから出るように促す。しかし、
「どぉしてこんな時に外にでるのよぉ!外じゃ竜と何だかよく分からないのがいるん
でしょぉ!?」
 肝心な時に限って弱気になる彼女。今までの威勢の良さはどこに行ったんだか。
「どぉして、って…それは私が今のこのチャンスを逃したくないからですよ。いいで
すよ?別に。ここに残りたければ残っても。私一人で帰りますから」
 決して冷たい口調で言ったわけでも、突き放すように言ったわけでもなかったが…
この台詞でリリルは大泣きしてしまう。…つまり、今までの威勢の良さは、泣きたく
なるのを抑えていた反動…だったのかもしれない。なんにしてもルシーはいわゆる
「女泣かせ」である。意味は違うだろうけど。泣かせるだけ泣かせて、自分はどう対
応すればいいか全く分かっていない所などますます彼らしい。…本人にそんな気は無
いのだろうけど。
 だからかどうか、「出たいんじゃなかったのかよ…」と思いつつ、同時に非常に困
惑しているが、ルシーから見て非常にわがままな少女に対してかなり嫌気が差してき
てもいる。
「えぇと…とにかく、あなたの言う「何だかよく分からない奴」は私の知り合いで
す。別にあなたなんかを取って食おうなんてことはしませんよ。…たぶん」
「たぶんって何よぉ〜!!!」
 なだめているのかこれが本性なのか分からないが、とにかく彼の物言いによって彼
女が更に騒ぎ出したのは事実である。
 …そしてそんな彼女の様子を、今度こそ諦めたような、救いの無い目で見ている。
「………はぁ…」
 おまけにあからさまなため息もついて、うつむき加減に首を横に振る。
 そして、そのまま出口まで少女の方を振り返ることなく歩いていき、しばらくぶり
の太陽に何となくありがたさを感じるルシー。
 …視線を少し上げると、そこには森の上空で盛大に戦っているアプフェルと竜の姿
が見受けられた。
「…大怪獣空中大決戦………」
 大きいというほど大きいわけでもないが…まぁ両者とも人間よりかなり大きいこと
は確かである。
 しばらく、アプフェルと竜の交わす言葉に耳を傾けてみる。
『ここで会ったが百年目、お前がワシから奪った牛の恨み、ここで晴らさせてもらう
ぞ!!』
『くぇーっ!くぇ!(あれは僕が先に目をつけてたの!それを後から来たあんたが勝
手に奪っていくものだから僕が取り返そうとしただけだよ!!)』
『えぇい問答無用!!たとえお前が先に目をつけていようとも、先に手をつけたのは
他でもないこのワシだ!そのために我が家を破壊されたこの恨み、今こそ思い知れ!
!』
『くぇくぇぇっ!!(たかが並ドラゴンのくせに魔獣たる僕の獲物を奪う方が悪い!
!)』
「………」
 醜い争いである。と同時に、竜の言い分がもっともであると思うルシー。世の中早
い者勝ちなのだ。
 アプフェルはルシーを助けに来てくれたはずなのだが、そこで昔の敵に出会ってし
まったらしい。こういう時に、世界は狭いと実感する。
「(…とにかく今のうちですね)」
 飛び降りるには高すぎる位置にある出入り口なので、来た時と同じように魔法の翼
を作り出し、ゆっくりと降りる…はずだった。
「待って待って!待ってってばぁ〜!!」
 後ろからリリルが走ってくる。しかし時既に遅し。ルシーはたった今飛び降りたと
ころだった。
 …ここでリリルが取るべき行動は、もはやこれしか残っていない。というより、そ
れぐらいしか思いつかない。
「待ってっていったのにぃ〜!」
「!?」
 案の定彼女はいきなりそこから飛び降りる。勿論何の仕掛けもなしに。そして、そ
のまま真下にいるルシーにしがみついて…
 …ものの見事にバランスと集中力を失い、自由落下する羽目になった二人。彼女の
目論見通り、ルシーが下敷きなのは言うまでも無い。ここに来た時と同じように、空
よりも大地に気に入られる傾向にあるらしい彼は、それからしばらくの間地面に倒れ
たまま起きてこなかった。…反面、リリルの方は無事そのものである。
「えへへ…ごめんねぇ、おにーさんv」
 彼女は気味が悪いほどのぶりっ子ぶりを発揮して、悪戯っぽくそう笑うと…遅れて
やってきた友人と感動の再会を果たし、あっさりと村に帰っていった。結果がどうで
あれ、脱出成功である。


 その様子を空から見ている…なんていう余裕など無い二頭。竜の攻撃を避けるため
に激しく羽ばたき、そして時々鋭い声で『魔法』らしきものを発動させる。
『どうしたアプフェル!羽ばたくたびに羽が散っているではないか?』
 竜は嘲笑気味にそう吠える。実際、アプフェルが飛んでいるところの下にある木や
地面には、淡い紫の羽が落ちている。
『くぇくぇー!!(ウロコ族には分からないよ!夏毛から冬毛に生え変わる時期なの
!)』
 時期…というにはちょっと語弊があるかもしれない。旅の途中に偶然この村に訪れ
たわけだが、ここはかなり冷えるようで…そのためにアプフェルの羽毛が夏用から冬
用に変わりつつあるらしい。これでいきなり砂漠にでも行けば、また夏毛に生え変わ
ること間違いない。
「………あ…あの人は………」
 ようやく気が付いたルシー。とにかく近くに立っている木に手をついて立ち上が
る。今日はひたすら厄日だとか何とか思っているに違いないが、残念ながら事の発端
は彼自身にある。しかしそんなことは決して認めまい。人間とはそんなものである。
 ぼやけていた視界も意識も次第にはっきりしてきた。上空を見上げてみると、未だ
に激しい戦いを繰り広げている竜と魔獣の姿が真っ先に目に映る。
『大体魔獣がこのような人里に下りてきて、しかも人間と共に暮らしているなどとい
うこと自体おかしいことなのだ!』
『くぇぇ!くぇーぇ!!(暮らしてるんじゃない!旅してるの!!)』
『どちらも人間と共にいるということでは同じだろう!!』
『くーぇ!くぇくぇっ!!(いいの!そんなの僕の勝手!!)』
「………」
 いい加減にこっちの言い争いにも嫌気が差してきたルシー。どうせ決着はすぐにつ
くだろうと思ってアプフェルを待っていようと思っていたが、今までの出来事からど
いつもこいつも身勝手すぎると再認識されられただけなので…足早にその場を後にす
る。
 事の発端はルシーの口真似だが、それによる周囲の身勝手に振り回されたのもやは
りルシーかもしれない。
 …すると、竜が目ざとくその場を離れようとする彼を発見。
『逃げるな夕飯!!』
 上空から雷のような声でそう吠える竜。威嚇効果たっぷりである。
 実際、並みの状態のルシーならびっくりして立ち止まるところだが…しかし今はか
なりご機嫌斜めなので、そんなものは無視して歩みを進める。
「(夕飯ですかい…)」
 とか、胸中で毒づきながら。
 そんな獲物の反応を、竜が喜ぶはずがない。
 勿論怒って攻撃対象をアプフェルからルシーに変える。ずらりと鋭い牙の並んだ口
を大きく開けて、手の鉤爪を必要以上に誇示しながら急降下する。次の瞬間には獲物
は見事竜の口の中…のはずだった。
 何となく嫌な気配を感じてルシーが後ろを振り返った時、彼の目の前にはアプフェ
ルが竜を横から蹴り飛ばしている光景が広がっていた。通称アプキックである。
 これでいよいよ本格的に大喧嘩が始まる。
『アプフェル…お前は二度までもワシの獲物を横取りするのか!!?』
 怒り心頭の竜。アプフェルに蹴られた部分の鱗が剥がれているが、その痛みももは
や怒りで感じることはないだろう。目は今までになく凶悪な光を放っている。
『くぇ〜くぇっ!くぇぇっ!!(ルシーは獲物じゃないの!僕の友達!!)』
 本当は非常食と言いたかった…いや、アプフェルはそんなことは考えないだろう。
それぐらいこの魔獣はルシーのことが好きらしい。
 先程までとは比べ物にならないほど激しい戦いを繰り広げている竜と魔獣。竜は手
足の爪だけでなく翼の先まで切れ味の良い刃物のようになっているし、アプフェルは
使う魔法がワンランク上がっている。…それでも、やろうと思えばいつだって使える
破滅的な攻撃をしないのは、まだルシーがその有効範囲内にいるからだろう。
「…勝手にやってなさい」
 本日本当に何回目…もしかしたら何十回目になるであろうため息と共にそう呟くル
シー。そして、今度こそ安全に村へと帰っていった。
「(やれやれですよ、全く…)」
 寄り道などせずに、まっすぐ村の宿屋に帰ってきたルシー。本当にやれやれであ
る。木で作られた建物が妙に懐かしい。
「(たかが口真似をしただけで、どぉしてあんなに大事に発展するんです?)」
 …口真似はされたほうはかなり気を悪くするものだと思うが…。だからといって、
ルシーに周囲に対する気配りやら何やらが足りない、ということは無いだろう。あれ
はつい口が滑った、という程度のものだ。言い訳にしかならないかもしれないが。
 宿に入ったとき、主人が「お帰り」と挨拶してくれたのを、僅かに会釈しただけで
返事して、そのまま借りた部屋に入る。そして着ていた黒いコートを脱いで…きちん
と整えられたベッドの上に投げる。…本当に、本っ当に不機嫌である。
 窓を開けて外を見てみると、離れた所から聞こえてくる吠える声と鳴く声によって
不安に駆られた村人たちが外に出てきている姿が多く見られる。視線を村人たちが向
いている方向、つまりは森の上空に向けてみると…
「(まだ戦っているんですか…)」
 小さくでしか見えないが、茶色っぽい竜と淡い紫の鳥が戦っている様子が窺え
る。…いい加減寒いので窓を閉める。
 窓を閉めると外の音が殆ど入ってこない。静かな部屋で、そういえば何もすること
がないということを思い出す彼だが、同時に、そういえば長い間ページを開かなかっ
た本があったということを思い出す。
 部屋の隅に置いてある黒い鞄の奥から一冊の本を取り出して、部屋に一つしかない
椅子に座って続きを読み始める。読書家というわけではないが、暇つぶしに本を読む
ということぐらいはする…のだが、アプフェルと旅をするようになってからは殆どそ
んな時間が無い。
 しばらくして…外はもう夕暮れ、赤い夕日が空を染めている。濃紺の空に追いやら
れるような、赤い太陽。なびいている雲が紺色の中で朱く照らされている。
 そろそろ明かりがいる時間だろう。このまま読んでいると視力が落ちること間違い
ない。
 天井から吊るされているランプとテーブルの上に置かれている飾り物のガラスの彫
像に、それぞれ魔法使いらしく魔法の明かりを灯す。他の家の明かりは炎の色…大体
が明るい橙色だが、この部屋だけは白っぽい光を夕闇の中に浮かべている。
 …と、ここでぱたん、と本のページを開いたまま伏せる。どうも気分が良くない。
恐れていた事態勃発…ということろか。
「(…まぁ…あれだけ色んなことがあったんですから…今までこうならなかったとい
う方が奇跡に近いんですけども…)」
 でもどうして今頃…とか何とか考えながら、急に痛み出した胃の辺りを押さえてい
る。
「(こういうことになりたくなかったが為に、わざわざあんな少女の言うことを聞い
て竜の巣に行ったというのに…)」
 静かな黄昏時の部屋の中で一人。なんだかんだ言っても結局こうなってしまう自分
の精神の弱さを呪いつつ、テーブルに突っ伏すルシー。彼は彼で結構苦労している所
があるのだ。
 そこに、ぱたぱたと走る音が聞こえてくる。少し遅れて、宿の主人の「お帰り」と
いう挨拶と、どこかで聞いたような声で「ただいま!」という返事も聞こえてくる。
 途中階段を上る音に変わった足音はだんだん近付いてきて…宿の二階にあるルシー
とアプフェルが借りている部屋の前で止まる。走ってきた勢いで奴はドアを開ける
と…
「勝った!勝ったよルシー!やっぱり竜より魔獣の方が強いってことだよね!…あれ
?どしたの?」
 やはり走ってきた勢いでそう言う白ずくめ。しかし、返事をしてくれるはずの相方
はテーブルに臥せって、弱々しい声で
「…良かったですね…」
 としか言えない。
 さっきまで明るい表情だったアプフェルの顔が、一気に心配そうなものに変わる。
「ねぇ…大丈夫?」
 こうなるとアプフェルは何も出来ない。ルシーと出会ってから今まで、彼の胃痛が
再発した回数は決して少なくはなかったが、その度にアプフェルは、魔獣としての自
分の無力さを思い知らされずにはいられなかった。
「…あのさ、最近聞いたんだけどね…?」
 心配そうな目をしたまま、いつもより小さな声で話し始める。
「人間ってさ、緊張から解放された後でも、気が抜けて頭が痛くなったり胃が痛く
なったりすることがあるんだって」
「………きっとそれですよ…」
 どこでそんなことを聞いたんだアプフェル!?というツッコミは無しということ
で…。
「…大変だね、ルシー…」
「………」
 あぁ本当に大変だよ、と言いたげな表情だが、もう喋る気力もないのか黙ったまま
窓の外を見てみる。
 太陽はもう地平線の彼方に追いやられ、空には少しの星と、青みを帯びた月が輝い
ている。
「(…とりあえず…寝よう)」
 体調が悪い時は寝てしまうに限る。そう判断して彼はベッドにもぐりこむ。仕舞う
のが面倒なのか、コートはそのまま。
「…じゃぁ僕、晩御飯食べてくるね」
 アプフェルがそう言ったのを、ルシーは手を振るだけで答える。
 こうしていろいろありすぎた平和な一日は終わっていく…のかもしれない。
 とにかく、明日は平穏であることを心から願うルシーだった。

                                      
   おしまい。