◆蒼銀の髪 3 ◆



リフィディアーナと別れた後は、再び王宮内に聞き込みに戻る。聞き込みと言っても、侍女など王宮内でも 最下層に位置する者に、さり気無く話題に出し話を発展させて何とか情報を得るくらいで、 核心に迫れるようなものではなかった。
「……はぁ……どうしよう……」
やや俯きがちに歩いて溜息を吐く。それでも気力を振り絞って、とりあえず王室警護隊辺りに行ってみようか、と
顔を上げたところ少し離れたところにあった目と視線が合った。
「お前さんかね。ハインズのことをこそこそ嗅ぎまわっておるのは」
そこに居たのは老兵だった。老兵はゆっくりとルキに歩み寄ってきて、ルキより頭一つ高い身体を曲げて 少しばかり落ち窪んだ灰色の瞳でルキの顔を覗き込んだ。年はハインズよりも取っているだろう、白髪が目立ち 顔の皺は深く刻まれていた。何だろうか、と少し訝しげに老兵を眺めていると、老兵は曲げていた背を戻した。




老兵は騎士ではなく、現在はリフィディアーナのソーサレス独立大隊に所属する兵だった。
元々は騎士だったらしく、ハインズとはかなり長い付き合いで、兄と弟のような間柄だったという。
「本当に頭の良いやつだったよ。だが表と裏の顔を使い分けているような計算高さと、
火噴石のように一度熱されると簡単に飛び出すような青さを持つ、危うい男でもあった」
ルキと老兵は場所を変えて、再び中庭の奥へと歩いた。火噴石とは非常に硬い石だが熱を与えると簡単に砕けてしまう石で、 直情的な人間を例える時に良く使われる。どうやらハインズは動と静の二面性を持つ男で、 動の面は家族にも悟らせなかったようだ。
「あの性格だから周囲には気づかせなかったが…昔からフランク大公に惚れ込んでいたようだ。
何かと理由をつけて彼の周りにいたからな」
フランク大公といえば、991年のドランバームの叛乱の後、国王暗殺未遂に関わったとかで王位継承権と王籍を剥奪の上、 聖ブライ教会の奥の院に軟禁の状態となった現王の弟君だったはずだ。 詳細を知らないルキとしては、その程度のことしか知識には無い。
「……私はあの男が騎士を辞めざるを得ないほどの傷を負ったのは、あのお方の近くに居るためじゃないかと思っている」
「……もしかして、ハインズさんは…」
「…あぁ。近頃は不穏な動きも見せていたらしいからな。それだろう」
老兵は少し自嘲気味に笑んだ。大公に密かに心酔していたハインズは、裏で大公の復権を画策していたのだろう。
復権問題といえば王宮でも腫れ物を扱うような、大きな問題とされているのだ。
そんな中で行動を起こせば目障りな以外何者でもない。これでは、黒幕を見つけ出すことなんて。
ルキは視線を落として息を吐いた。そしてすっと笑みを浮かべて老兵を見遣る。
「…あの、もしかしてラーク=フォイルから頼まれましたか?私に話すように…」
「フォイル大隊長と、『リュエンの亡霊』から頼まれたよ」
老兵はそう言いながら、ゆっくりとルキの横を通り過ぎて王宮内に戻ろうとした。
「……お前さんに出来ることは、その男を疑わず、待っていてやることだろう……。
 私は…弟は……いくら待っても帰ってきやしないがな…」
そう去り際にルキに残して、老兵はその場を去った。


否定的な思考というものは、坂の頂上から石を転がすようなもので、加速がつくと止まらない。 それから夕方までは、腹に鉛玉を押し付けられているような鬱屈した気分だった。 胃もじわじわと穴を開けられているようにギリギリと痛む。こんな事なら老兵から話を聞くのではなかった、と 筋違いな恨みを持つ当たり自分は大分キているらしい。最悪な気分の中でどこか冷静な判断をする自分に、 ベッドにうつ伏せに倒れて顔を埋めながら密かに自嘲した。真実を知ってしまえば、 自分がいかに愚かだったかが身に染みて分かった。王宮を出る夕方まではまだ時間がある。 領に戻れば何も出来なくなるが、皆に言われた通りここに居ても何も出来ない。
「………………」
ルキはむくりとベッドから起き上がると、痛む胃を押さえながら部屋を出た。


「…ハーツはどうした?」
日も沈みかけた夕方、王宮から少し離れたところに停まっている馬車の周囲は少しだけ慌ただしかった。 領主も馬車に乗り込み、後は治安維持隊の馬車の準備が整うだけなのだが、 ルキの姿が指定された時間になっても見えない。ルークスは無表情ながらも苛立った声で 工作隊の面々に問う。ルキの名前は内情を知っている隊の中では禁句状態になっているらしく、皆一斉に押し黙ってしまった。
どうやら腫れ物を扱うように誰もルキには近づこうとしなかったようだ。
「……捜してきます」
ヒューケン=ハンスは意を決してルークスに一言告げると、王宮への道を走りだした。


ラーク=フォイルは廊下を大股でずんずんと歩いていた。急いでいるわけではなく、これが彼のウォーキングスタイルなのだ。
今までは城内に黒服姿の人間がちらほら見えていたが、暫く歩いて全く出会わない辺り、領へと戻ったのだろうか。
そんな事を考えながら歩き続けていれば、中庭に接した廊下に差しかかってラークは足を止めた。
聞き覚えのある声での啜り泣きが聞こえる。壁一枚を挟んだこの場所でもはっきり聞こえるところをみると、 全く隠れているつもりはないのだろうか。ラークは適当な窓に歩み寄ると窓を開いて枠に足を掛けてそこから中庭へと出た。
「…おい、何やってんだ。お仲間はもう城を出たみたいだぞ」
案の定、そこには壁に背を預けるようにして蹲って泣いているルキが居た。
「……帰りたく、ない……」
顔を伏せたまましゃくり上げながら言うルキに、ラークは溜息を吐いた。
「ここに居たって、何にもなんねーだろうが」
「帰ったら、本当に何、も出来なく、なります」
ぐずぐずと鼻を鳴らしている割には声は大分はっきりとしている。どうやら暫くここで泣き明かしていたらしい。 その言葉に、もう一度溜息を吐く。それを聞いてか、ルキは少しだけ顔を上げて袖で濡れた頬を拭った。
「……とっとと忘れちまえよ。男なんていくらでも居んだろが」
やや言い難そうな色を浮かべて、ラークは言った。
「…嫌です……ヒオがいい」
「ガキかお前は……別に婚約してたわけでも無いんだろ?」
「そういう問題じゃないです………本当に、本当に好きだったんですよ…」
 大切なものの価値は失った時に気付くというが、今、それを身に染みて実感している。 悲しみを通り越して恐怖にも似た感覚が胸の中でざわめいている。無意味に涙が溢れた。
「世界中で一番、ってヤツか?」
からかう口調で言えば、少しでもルキが気分を変えると思ったが、それにルキは 全く憤慨する様子もなく、頷いた。何だか余計に空気が重くなったようでラークは一人困惑したように眉を寄せて息を吐いた。
「…どうしたら、ヒオの無実が証明できますか?」
「…それは無理だろうな。証拠が無い」
はっきりと言い切るラークに、ルキは黙り込んでその場に沈黙が流れる。
その空気に耐えられなくなったか、ラークはガシガシと頭を掻くと、
「………ただ、罪を軽くすることは出来るかもしれねぇが」
そう言ってルキを見下ろすと、ルキはこちらを見かけたが、泣き腫らした顔が恥ずかしいのか再び顔を伏せた。
「どうしたら?」
「…国王に『恩赦』を求める。嘆願書に署名を集めろ」
過去に事例がある、とラークは付け加えた。
「……調べてくれたんですか?」
過去の事例など一般知識でラークが持っている筈が無い。少し笑った声で言うと上から視線を感じた。
顔を上げればきっとラークの鋭い眼差しがあるのだろう。
「……おい、来たぞ」
そう言ってルキの脇腹を小突くラークの視線の先には、ヒューケンの姿があった。



ルキ達が王宮から離れたその日のうちに、ヒオ=アーカースに懸賞金が掛けられた。
そして事件から半年後、リュエン領治安維持隊は嘆願書ともってヒオ=アーカースに国王の恩赦を求めたが、 当人が未だ逃走中であるために拒否された。しかしそんなところに、見計らったようにある人物がルキの前に現れ、 金を払えば恩赦を必ず与えてやると取引を持ち掛けてきた。だがそんな取引に維持隊が関わるわけにはいかない。
その者を完全に信用することは出来なかったが、縋ることができるのはこれしかなかった。 この取引はルキやヒューケン等、個人の取引としてルキ達は相手の条件を受けることにした。 しかし、要求された額は法外なもので、とても今すぐに払えるものでは無かった。
ルキ達が5年の猶予を要求すると、意外にも男はすんなりと受け入れてくれた。
しかし、5年を過ぎるとこの取引は白紙に戻しさらにキャンセル料として必ず要求された額を払うことを、誓約させられた。
その後、ヒオの人望のおかげか徐々に協力者数は増え、どうにか5年あれば金を用意できそうな状態になった。
そして事件から2年後、ルキはレン=コウガとリーチ=ウェアーを加えて、資金稼ぎの旅に出ることになる。


                    〜 Fin 〜